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休職での恩恵

休職期間中は働いていたときと比べて読書や音楽にたくさん時間をつかえている。
電子書籍で次から次へと本を買い、書店では漫画や気になる本を購入。
Spotifyでは自分の好きな音楽を繰り返し聴いている。
新しいものから自分が昔気に入っていたものをなんでもかまわず聴きまくっている。

今年は自分にとってかけがいのない作品に3つ出会うことができた。
とても嬉しいことだ。

愛する作品に出会うためにはただ出会うだけではだめだった。
愛着が湧くには時間がかかるものだ。

自分にあう作品に出会うにはたくさんの作品を読んだり聴いたりしなければならない。
しかし、仕事をして社会生活を送っているとそれは難しいことだ。

特に家庭を持ってしまうと自分の中のツボは「家庭」でほぼいっぱいになってしまう。

10代のころのように作品に貪欲で渇望する熱意を向けるのが難しいのだ。

だから歳を重ねると出会った作品に愛着がわくこと自体が少なくなるには明白だ。
絶対的な作品に向き合う時間が10代のころに比べて少ないからだ。

作品を取り巻く環境もかわってきている。
AIやサブスクやネットが発達したおかげで作品を消費しやすく、また敷居も昔より下がってしまった。
作品がファストファッション化してしまったのだ。

飽きたらすぐ次にいきやすい。たくさんある料理を一口しか食べなくてもよくなったのだ。
昔はチョコチョコたくさん料理はたべることはできず買ったらなかなか次は買えないので買ったものを骨の髄までしゃぶり尽くすのが通例だった。
また、10代で学業を人並みにしてればことたりたので時間は今よりもあった記憶がある。
また、パートナーもいなくシングルなので自分の時間というものは自然にたくさんあった。
どれだけ好きな作品をもとめても問題がなかった。

たくさんの時間をかけて作品を骨のずいまでしゃぶった先に発生する作品への愛着はかなりの価値があると思っている。
個人的にはお金を稼ぐことよりも価値があるんじゃないかぐらいだ。
この作品の愛着ってのはAIにはできないと考えている。
好きかもしれないというサジェストはAIにできても、作品への愛情が芽生えさすことは難しいだろう。

今回の休職は、精神面の回復、育児への時間的な確保っていうのが大義名分にあるけれど、
実はエンタメにたくさんの時間触れられていることがもっともメリットだった。
しかも、これは必ず成果がでるとは限らない行為。
もちろん「うわ、つまらんな。時間無駄にした」と歯痒い経験もしている。
だが、この歯痒い経験があるからこそ、自分の選球眼の精度が磨かれていくのではないだろうか。
AIを使うと時間の節約効率化できるが、自分の頭を使った選球眼の能力は下がるとみている。
手間かもしれないが、作品を渇望し求めていくことが
自分にとっての価値である。
またその先にかけがえのない作品がみつかった、その域に達することができれば
これ以上に嬉しいことはない。

そしてそれを聞いてくれる家族、友人がいて自分はとてもめぐまれていると思う。


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