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「同期」という存在

以前医療従事者として、総合病院に勤務していたことがあった。

もう何年も前のことなので、当時の仲間は国内外いろいろなところにいて、それぞれに結婚したり、仕事を続けたり、活躍の場は様々。

つい数年前まで、それぞれ年賀状でやりとりをしていたので、子どもの成長が感じられたり、近況は知っていたけれど、ここ最近はそんなやりとりもだんだんと少なくなっていた。


そんな中、地方にいた1人が都内に戻ってくることになり、とっても久しぶりに、みんなで集まることになった。


そのうちの1人は、産休をとりながらも、ずっと同じ勤め先にいた。キャラの濃かった人やお世話になった人を、記憶の中から引っ張り出しては、

スタッフの〇〇さん元気?
〇〇さん、どうしてる⁇

など、数十年の時間が経っていても、名前を聞けば顔や背景をパッと思い出せることに驚きながらも、ワーワー言いながら、思い出話に花を咲かせていた。



悲しい話もあった。

皆でお世話になった師長さんが癌になり、仕事を辞めて、勤めていた病院の個室病棟で数年前に亡くなられたということ。

とても明るくて面倒見がよく、スタッフや患者さんからも信頼されていた先輩が、心の病を患い、入院治療されていた。症状が軽快傾向で、一時外泊した際、自宅で亡くなってしまった。
心を病んでしまう、何かがあったのだろう。仕事のことなのか、プライベートなことなのか、周りの人も気づけなかったとのこと。


自身にいつも心のゆとりがあるとは言い難いが、身近な人のSOSには、気づきたい。
根本的な解決にはならなくても、1人じゃないよ。ということは、伝えたい。そして、ひとり暗く寒い闇の中に身を置いてしまうなら、仲間がいること、ほんの少しでも、その繋がりや温かさを感じて欲しい。
辛い選択を選ぶしかないということの苦しみ。想像の域を出ないし、知ったところで何ができたかもわからない。
今はもう、優しかった姿を思い出し、冥福を祈ることしかできない。



ちょっと懐かしい人もいた。

就職して2ヶ月くらいの頃、大きなミスをしたことがあった。対応にアタフタと走り回り、ようやく事が落ち着いた時、起こしてしまったことの重大さ、自身の不甲斐なさに、あまりに情けなくて涙も出ず、呆然としたまま帰宅した。

自宅に戻ったら電話が鳴った。同期の医師だった。その頃は勤務先にスタッフの連絡名簿があり、それを見て気になって連絡をしてくれたとのことだった。

その優しい声に、初めて涙が出た。
「一緒に頑張ろう」そう言ってくれた。

しばらく泣いたあと、誰よりも必死に仕事をしよう。そう思えた。

その後も、わからないことを聞けば「理解力低すぎ」と言いながらも、図を書きながら、病気や治療の説明をしてくれた。ステーションの奥で。時には外で。
優しくて、ユーモアがあって、でも描いてくれる字と絵はあまり上手じゃなかった。そんなことにちょっと笑いながらも、すごくわかりやすかった。そのおかげもあり、新人だった私も、夜勤の管理者を任されるくらいには成長した。


そんな彼の病院配属移動が決まったと同じくらいに、私も他部署への移動が決まった。
最後はギュッと握手をして、別れた。

その後彼が年上の看護師さんと結婚したことは、噂で聞いていた。今は、勤務医ではなくクリニックを開業しているとのこと。ずいぶん白髪にはなっていたけれど、昔の面影もあって、元気そうだった。
優しくて、腎臓の絵はすごく上手だったこと。本当に久しぶりに思い出した。



思い返してみると、若い頃からいろいろな経験をして、失敗もして、今に至っている。その過程では、仲間、友人、家族、恋人。たくさんの人に助けてもらい、支えてもらった。


仕事においては、同期の存在が、本当に大きかった。共にいろんな経験を重ねてきたからこそ、今はこうやって昔を懐かしんだり、今の活動やライフスタイルを応援し合えている。
 
なかなか会えなくても、大切な存在であることは、いつまでも変わらない。



目の前には難題もあったりするけれど、きっと何とかなる。なるように、自らできる限り動く。それでもどうしてもできないことは、頼れる人に相談したり、力を借りればいい。逆に頼られた時には、できる限りの力になろう。


今日、久しぶりに思い出したこと。
大切なことの、備忘録。

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