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襟裳の風

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私の襟裳時代のことを、纏めました。
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記事一覧

襟裳の風#14 完

 白浜(フンコツ)の集落では電気も通じていませんでした。  鉄道も敷設されていない北海道…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#13

父は、酒が強い体質ではありませんでしたが、若い頃はそれでもニシン場で茶碗酒をあおってい…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#12

 小学校は白浜(フンコツ)から庶野まで歩いて通学しました。  片道約四キロメートル(約一里…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#11

 私の家は日高昆布を採って生活していました。  父と母は岩場の波の荒いところで胸まで海水…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#10

 黄金道路は襟裳岬に向かって迫り出した日高山脈の断崖絶壁にできた道路です。  この道路が…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#9

 晴れた日には、岩場で、竹の一本竿の釣り糸を垂らし、アブラコ(アイナメ)やハゴオトコ(カ…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#8

 私の家のそばに、トンネル(隧道)がありました。  そのトンネルの上の岩場には高山植物のガンコウランが群生していました。  その実を採って食べたら甘酸っぱく、美味かった記憶があります。  ただ、崖の上まで登るのが非常に怖いのです。足が竦んで、登れず途中で諦めました。  そしてある晩、夢を見たのです。それも怖い夢でした。  高いところから飛び降りる夢だったと記憶しています。本当に怖くて勇気が出ないのです。一歩が出ません。そして目が覚めました。  ぐっしょり汗をかいていました。い

襟裳の風#7

 小学校に入学した頃だったろうか、ある冬の日中、家の前の砂利道路(黄金道路)を大型トラッ…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#6

 上から二番目で男一人の私は、よく一人で遊びました。  遊ぶ物には事欠かきませんでした。 …

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#5

 私が三歳のころ(昭和二十九年頃)の十月のある日の早朝、三時頃だったろうか。  地震によ…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#4

 私には小さい頃、可笑しな癖がありました。  ヨチヨチ歩きができるようになった頃、父母が…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#3

 秋が深まったある雨降りの日、母が裁縫をしながら歌を歌っていた記憶があります。  その時…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#2

 当時の白浜には電気が来ていませんでした。私が小学校に入学する前です。    その家は黄…

杜江 馬龍
2か月前
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襟裳の風#1

 小生が幼児期の襟裳岬近辺の生活状況を14回に分けて、記述させていただきます。70歳を過ぎますと、小さいころの記憶が浮かび上がってくるようです。  本内容は「襟裳の風」という本で、北海道立図書館 北方資料室に蔵書されており、貸し出しもしているようです。  昭和30年代初期の、襟裳周辺の生活記録として、保存されていることは、ありがたいことです。  また、noteで既に投稿させていただいた、「黄金道路」と重複する箇所がありますが、ご了承願います。 ...............