杜江 馬龍

徒然に創作しております。エッセイ・短編小説など。 「もりえ ばりゅう」と読みます。 …

杜江 馬龍

徒然に創作しております。エッセイ・短編小説など。 「もりえ ばりゅう」と読みます。 北海道襟裳出身、東京都在住です。

マガジン

  • 短編小説

    徒然に創作した短編小説です。

  • 杜江馬龍のエッセイ集

    今まで投稿させていただいたエッセイを纏めました。

  • 杜江馬龍のつぶやき

    外出した折りとか、日頃感じたことや、なにかを発見した時のことを ショートショート(つぶやき)に投稿しました。 それらの記事を纏めました。

  • 襟裳の風

    私の襟裳時代のことを、纏めました。

  • 黄金道路

    襟裳岬のことを、掲載します。覘いてみてください。

最近の記事

【連載】私たちは敵ではない(6)

 その夜、妹から私に連絡があった。  実家での出来事を事細かに、電話で話してくれた。  私はショックを受けた。  お袋のことを、何も解っていなかった。  深い反省とともに遣り切れなさを感じた。  何とかしなければならない。  私は独身である。いままで所帯を持ちたいと思うことは、無かったと言ったら嘘になる。  それにしても、わざわざ都会にまで出て、仕事をする意味はあるのかと、ふと思った。  昔の日本は、自分が生まれたその土地で仕事をして、その土地で所帯を持ち、そして親の面倒

    • 1972年の札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級で、日本人初の金メダリストとなった笠谷幸生さんが23日、虚血性心疾患のため死去した 80歳 —産経電子版から― ノーマルヒルのフロストレール工事に携わった者として、大変お世話になりました 謹んでお悔やみ申し上げます(合掌)

      • 【連載】私たちは敵ではない(5)

        ・・・・朝が来た。  妹は、階下の物音で目が覚めた。横で息子はまだぐっすり寝ている。  着替えてから階下に下りた。すると、お袋が前掛けをして、朝ご飯の仕込をしていた。 「おはよう」と妹が朝の挨拶をお袋にした。お袋は、 「おはようございます」と、なぜかよそよそしい。   「お母さん、昨日兄貴から連絡を貰って、息子と二人で様子を見に来たよ。お母さん大丈夫なの」 「・・・・・・」 「あなた本当にお母さん?」 「・・・・・・・」 「もしかしてまた、狸なの? お母さんは何処なの」 「お

        • 【連載】私たちは敵ではない(4)

           妹と息子はありあわせの食材を冷蔵庫から見つけ、ご飯を炊いて食べた。  妹は旦那に今日は実家に泊まる旨連絡を入れた。旦那は明日お袋を連れて病院に行ったらどうかと提案してくれたが、明日の状態を診てから判断することにした。  遠く離れている兄に電話で助けを求め、帰ってくるなり布団を敷いて寝てしまったお袋の異常な行動に、妹もどうしたものかと悩むのであった。  その夜のこと  階下でなにやら騒がしい物音がした。  妹は息子と二階の部屋で寝ていたが、その物音で目がさめた。  お袋は

        【連載】私たちは敵ではない(6)

        • 1972年の札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級で、日本人初の金メダリストとなった笠谷幸生さんが23日、虚血性心疾患のため死去した 80歳 —産経電子版から― ノーマルヒルのフロストレール工事に携わった者として、大変お世話になりました 謹んでお悔やみ申し上げます(合掌)

        • 【連載】私たちは敵ではない(5)

        • 【連載】私たちは敵ではない(4)

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          14本
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          13本
        • 明治からの日本
          8本

        記事

          【連載】私たちは敵ではない(3)

           ある金曜日の午後、携帯電話が鳴った。思いがけずお袋からだった。  お袋は田舎で独り住いだ。親父はすでに他界している。暫く忙しさにかこつけて連絡もしていなかった。  電話の向こうでお袋の声がする。聞き取りにくい。「・・・助けてくれ」と言っているような言葉であったが、そこで電話が切れた。以前、妹が緊急時用のため、お年寄り用の携帯電話機をお袋に持たせてくれていた。  早速妹に電話した。  お袋の只ならぬ様子を伝えて、実家に顔を出してもらうことにした。こういう時一緒に住んでいれば、

          【連載】私たちは敵ではない(3)

          【連載】私たちは敵ではない(2)

           次の日から仕事で汗を流した。会社の総務に席を置く私は、朝からバタバタと走り回った。  朝礼の準備やら蛍光管の球切れ対応やらと、小さい会社なので庶務的な仕事のほうが多い。休み明けの月曜日は特に何かと多忙である。  自分の机に向かいパソコンを操作し始めた。そこに一人の営業業務の人間から、「パソコンが起動しないから見て欲しい」との依頼が舞い込んできた。  早速エレベータで上部階へ行き、動作確認をした。すると、ウィルスに感染したようだ。直ちに操作を中止し、各部署へ連絡。契約してい

          【連載】私たちは敵ではない(2)

          【連載】私たちは敵ではない(1)

           三日間休暇をとり、私は日本から離れ、南の島に休暇に出かけた。    砂浜に寝そべり、抜けるような青空の下、きらめく太陽をいっぱいに受け、甲羅干しをした。湿気を含んだ風が赤みを帯びた体に纏わりつく。まもなくスコールがやってくるかもしれない。 ..................................  入社間もない頃、仕事で父島・母島のもっと先の硫黄島に行ったときのこと。  その島で働いていたある建築関連会社の人から、 「スコールがやってきたら石鹸をつけて体を洗え

          【連載】私たちは敵ではない(1)

          久しぶりに、飲んでいます。 本日、還らざるOB が終了し、飲めない酒を、美味しく楽しんでいます。 普段は、一切飲んでいませんが、 今日は飲みたい心境になり、来てしまいました。 次回、新しい連載にチャレンジします。

          久しぶりに、飲んでいます。 本日、還らざるOB が終了し、飲めない酒を、美味しく楽しんでいます。 普段は、一切飲んでいませんが、 今日は飲みたい心境になり、来てしまいました。 次回、新しい連載にチャレンジします。

          【連載】還らざるOB(11完)

           彼らが日本に帰還して、半年が過ぎた頃、野森から皆に、錦糸町で「反省会」をしようとの連絡があった。  連絡をもらった皆は、乗り気ではなかった。しかし、野森は、命令口調で必ず参加するよう話したのだった。  反省会の夜、錦糸町のその店に集合した八名と、横浜在住の平崎が集合した。  最初に野森から話し始めた。 「みんな、よくも今日まで耐えてきた。死んだはずの我々が生きてのびて、またここに集えた。こんなうれしいことはない」と言って涙を見せた。皆も泣いた。  平崎は、また泣かせ

          【連載】還らざるOB(11完)

          【連載】還らざるOB(10)

           その後、全員が無事釈放されたのが、飛行機事故のあった日から既に五か月経っていた。  台北の刑務所のなかで、悲惨な飛行機事故のことは知っていたが、まさか自分らが乗るべきだった飛行機とはつゆ知らず、また、日本の関係者が喪に服していたとは、知るはずがなかった。  釈放されて初めて、搭乗するはずだった飛行機が、台風の影響で墜落し全員死亡との報道を知るのであった。  まったく呑気な連中である。  生き残った八名は、台北から日本の各家族と連絡を取った。  八名の家族は、すで

          【連載】還らざるOB(10)

          【連載】還らざるOB(9)

           二泊三日の旅行であった。  台北に着いたその日は、鼎泰豐(ディンタイフォン)で昼食をとり、龍山寺でエネルギーを注入した八人はいたって元気だった。その後淡水に移動し、屋台で食べ歩きをした。  その夜、羽田が腹痛をうったえた。野森が持参した日本の正露丸を多量に飲ませ、何とか収まった。  二日目は、国立故宮博物館の展示物を見学。昼は近くの料理店で台湾料理を堪能した。午後から九份に移動し、街並みを観光した。皆は感動していた。  三日目は、日本へ帰る日であった。午前十時にホテ

          【連載】還らざるOB(9)

          【連載】還らざるOB(8)

           十月上旬のその日の朝早く、その唯我独尊のメンバー八名が、成田空港の待ち合わせロビーに集合した。  出発前の大きなトラブルはなかったが、羽田が集合時間に大幅に遅れ、皆を心配させた。  遅れた理由を本人は多くを話さなかった。時間とともに羽田は元気を取り戻したが、これから楽しい台湾旅行となるのになぜか浮かない顔をしていた。  実は、その日の朝、羽田の妻が不吉な夢を見たので、今回の旅行はキャンセルできないかと、羽田に頼んだのである。  何を今更と羽田は一蹴した。そのやり取りで、家

          【連載】還らざるOB(8)

          【連載】還らざるOB(7)

           秋保温泉旅行から一年ほどが経った時季、野森から東京在住のメンバーにメールがあった。その内容は次回旅行の打合せ会開催の連絡であった。  場所は、錦糸町にある居酒屋であった。  あの忌まわしい台湾旅行の五ヶ月ほど前の五月、錦糸町の駅から歩いて五分ほどのところの、その居酒屋で旅行の打合せ会があった。  これまでも、何回かこの店で集まり打合せをしていた。料金は少々高いのだが、美味しい物を出してくれる。  彼ら全員が六十歳をとっくに過ぎていて、それなりに舌もこえている連中であるが

          【連載】還らざるOB(7)

          【連載】還らざるOB(6)

           当初は、年二回のペースで旅行に出かけた。  中には軍資金が少なく、贅沢をしようにも出来ない人がいるので、旅行一回当り三万五千円以内に抑えるよう日程を組んだ。  しかし、コンパニオンを侍らすと予算オーバーしてしまう。個人的に何人かが寄付をして何とか旅費を賄っていたのであった。  ある年の秋、三菱がいる九州へ行くことが決まった。  羽田から飛行機で福岡空港へ行き、三菱と合流して、レンタカーで熊本方面を巡った。  三菱はみんなと再会して、非常に感激したのであった。  美味い焼

          【連載】還らざるOB(6)

          【連載】還らざるOB(5)

           五年ほど前、その会社の同じ部署の人間であった者同士がもう一度会って食事でもしようと声掛けをしたのが野森であった。  彼は仕事が忙しく、会社に泊まり込んでの徹夜仕事に身も心もぼろぼろ状態であった。そのとき、ふと思い立ち、連絡を取ってみた。  高円寺の居酒屋に集合したのが、野森と佐枝と新賀と田川と小平の五名であった。早速旅行の話題になった。  その年の秋、野森の自家用車を使って白樺湖に向かったが、田川は車の中でよく喋りまくった。同乗者は閉口し、そのうるささに勘弁してくれと言う

          【連載】還らざるOB(5)

          【連載】還らざるOB(4)

           八名の他に、九州に一人仲間がいる。三菱である。質実剛健を絵に描いたような人間で、人一倍仲間を大事にするが、遠いので度々の旅行は無理である。本人曰く「心は皆といつも一緒に旅行に行っている」とのこと。    ほかに横浜に一名仲間がいた。平崎である。  彼は仕事が超多忙なため、最近合流する機会が無い。しかし、この仲間の中で一番皆を気遣い、グループのメンバーを思いつづけているのは、彼かもしれない。  また、仙台にも一名の仲間がいる。海名である。彼は千葉出身で、その会社の取締役ま

          【連載】還らざるOB(4)