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【短編小説】 三日月

**  夕張から砂川へ  **

    彼は夕張で生れた。
   その後、一歳の時から砂川市という炭鉱の町で育った。
 年を重ねるごとに背丈が伸び、砂川北小学校に入学する頃には、学年でも一番大きく目立つ存在になった。
 その彼の名前を 佐藤 淳 といった。
 体に似合わず性格は温和で、人に優しく、いつもニコニコと笑顔を絶やさない物静かな性格の子であった。

 昭和三十年代前半当時の日本は、高度経済成長期で石炭産業が華やかな時代であった。
 三井砂川炭鉱では、夕張に劣らず良質な石炭が採掘された。
 反面その石炭には可燃性ガスが多く含まれており、人々はいつガス爆発事故が起きるかと、不安な日々を過ごしていた。まさに死と隣り合わせの日々であった。
 
 当時、淳の父親は砂川の採掘現場の切羽で採掘に当たる先山さきやまとして働いていた。父親の名前を正といった。

 炭鉱では、勤務が三交代制であった。早朝から午後二時頃までの勤務を一番方、午後から夜の十時頃迄を二番方、夕方から翌朝までを三番方といっていた。

 炭住街の各家庭では、その日暮らしの贅沢な食卓の家が多かった。
 鯨のベーコン、イクラ、鮭、肉など精が付くおかずがテーブルに載った。

 淳が小学三年生のある夜、二番方の父親が仕事から帰ってきた。
 その日は珍しく淳は起きていた。
 父親正の傍に寄り、「父さんお疲れさま」と大人じみた言葉で労った。父親は普段仕事から帰ってきても素知らぬ顔の淳がお帰りと言ってくれたことがよほど嬉しかったのか、
「どうした淳、このベーコン食べるか」と淳に小皿に載ったベーコンを差し出した。
「淳は、大きくなったらどんな仕事をするのだ」
「まだ考えていない。父さんのように炭鉱夫になろうかな」
「そうか」と言ったきり、父親は黙々と焼酎を飲んでいる。
「ところで父さん、炭鉱はきついところか」
「淳、どんな仕事も楽なものはないぞ」
 母親は、横から口をはさむ。母親の名前を和子といった。
「淳、早く寝なさい」
「わかった」と淳は寝所へ行った。
 布団に入ってからも暫く寝付かれない淳だった。自分の将来に漠然とした不安を抱いた。自分はまだ若い。本当に炭鉱夫でいいのか?自分に適した仕事は何だろう、様々なことが淳の頭を過った。
 
 学校では休み時間ともなれば、彼の周りに何人かの生徒が群がった。
 皆は彼の傍に行くとなぜかほんのりとするのであった。生まれつき人を引きつけるものを淳は持っていた。

 
 淳が小学五年生の夏、砂川市内を南北縦に流れる石狩川で水遊びをしていたとき、そこから百メートルほど下流の砂川大橋の下で、子供の大声がした。
「大変だ-! 誰か助けてくれ!」振り向くと、なにやら川面で水飛沫があがっていた。
 泳ぎが堪能な淳は、一目散にその方へ走った。砂利に足を取られ転びそうになりながらも走った。
 駆け寄ると、川の中ほどで小学生らしき男の子が、バシャバシャともがいている。
 淳は、衣類を脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。そして、もがいている子供に「力を抜け!」と言いながら川岸までたどり着いた。かなり水を飲んだようだったが、大事にはいたっていない。その子供を砂利の上に寝かせ、ほほを何回も叩いて声を掛けた。
 息を吹き返してくれと必死だった。暫くすると、その子供は口から水を吐き出した。

 気が付くと遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。到着してすぐ、救急隊員が駆け寄った。
「どうしましたか」
 すると、助けを求めた子供が、
「この子が川でおぼれた。そこのお兄さんが助けてくれた」と淳を指さした。
「僕、よくやった! ありがとう」と消防隊員の一人が言った。
「ところで、その時の状況を教えてくれないかな」
「いいよ」と淳は応えた。
「これから、この子を砂川市立病院に運ぶから、一緒に乗っていかないか」と、消防団員は淳に聞いた。
 寝そべっているその子供の周りには、たくさんの人が心配そうに集まってきた。
「じゃ、乗って」
 淳は、救急車にその溺れた子と一緒に乗り、病院に着いた。
 病院には、二人の警察官がすでに来ていた。淳は、その警察官に事故の一部始終を説明した。溺れたその子と一緒だった子も後から、病院に駆けつけ、その警察官に事の次第を話した。また、淳は警察官から褒められた。
「僕の勇気は素晴らしいよ、ありがとう」
「.....…」
「君の勇気ある行動で、助かった」
 淳は、初めて充実感を味わった。人を助け、その子供を救った。人の為になったことに、爽快な気持ちだった。

 翌日の日曜日、助けられた子供の親が、淳の家にお礼に来た。
 淳の母親の和子が、その子の両親を家の中へ招き入れた。
 おぼれた子供は大事をとって、その日も入院中だった。
 居間に通されたその子供の両親が、改まって深々とお礼を述べた。
「この度は、息子を淳ちゃんに助けていただき、ありがとうございました」
 父親の正は、「まあまあ、頭をあげてください」と言い恐縮した。
(淳が、人のために役に立った。自慢の息子だ)と内心思った。
 正が傍にいた淳に言った。
「淳、何か言え」
「俺は、ただ無我夢中で助けただけだ。助かってよかった」と、はにかみながら話すのであった。
 
 淳が、溺れた小学生を助けたことが、学校中で話題となり、また翌朝の新聞にも紹介された。
 一躍有名になった淳は、
(俺はただ溺れている子供を助けただけだ。人間として当然なことをしただけだ)と思った。
 周りの騒ぎに、淳は閉口した。

**  福  **
 
 淳、中学三年生になった。北海道の四月はまだ朝晩は冷え込む。
 その日、学校からの帰り道、生後一カ月たらずの可愛らしい北海道犬(アイヌ犬)が道端に置き去りにされていた。
 その子犬は段ボールの中でブルブルと震えていた。小さなタオルにくるまっていた。(誰かが子犬を捨てたのだろう)と淳は思った。
(このままにして置いたら、死んでしまう)
 道端のその段ボールの周りには雪解けの草むらに福寿草が芽を出していた。冷たい雨が降っていた。その子犬は雨に濡れ、小刻みに震えながら、淳の気配を感じたのか、か細い声で泣いていた。
 淳はその捨てられた子犬を家に持ち帰った。
 母親にその子犬を飼うことをお願いしたが、なかなか許してもらえない。理由は犬にかまけて勉強がなおざりになるのではないか。また家の中では飼えない。母親の和子は、三交代で仕事をしている正にも気兼ねしていた。しかし、正は「淳飼ってもいいぞ」と簡単に許してくれた。淳は小躍りした。和子はふくれていた。
 
 その子犬の名前を福寿草からとって『福』と付けた。
 黒と白の逞しい雄犬だった。早速、淳は方々から板切れを探してきて、福の小屋を作り出した。
 最初は犬小屋の簡単なスケッチを描いた。そして、父親の工具箱を引っ張り出し、製作にかかった。
 板に鉛筆で線を引き鋸で切り、福が大きくなっても入れるように、大きめな犬小屋が出来上がった。しかしそれで終わりではなかった。
 貯めた小遣いでペンキと刷毛を買ってきて塗装した。屋根は真っ赤、小屋の外壁は黄色と見事な犬小屋の完成だ。
 その小屋の置く場所は、長屋の淳の家の裏庭とした。
 製作に約二週間もかかった。満足な出来栄えだった。
 福が家の中で敷いていた毛布をその小屋に敷き詰めて、新しい犬小屋に早く馴染めるよう工夫をした。ほどなく福はその小屋を気に入ったようで、出たり入ったりしていた。
 淳はその雄犬の福を可愛がった。
 毎日学校から帰ってくると、淳は福を連れ回した。散歩の途中に程よい休憩場所があった。そこで、淳は福に今日学校であったことなどを話して聞かせた。福はじっと淳の目を見つめているのだった。
 
 淳が高校生になった頃、淳が行く所、福は何処にでもついていった。そして淳の心根の優しいことを知ってか知らずか、よくなついた。

 淳は北海道の広大な大自然が好きだった。
 高校を卒業したら炭鉱で働くことを、小さい頃から決めていたが、国策で発展した石炭産業も、時代の流れに押され、除々に斜陽化していったのである。
 ある年の六月半ばの晴れた日、淳は福と連れ立って、砂川駅から南西方向にあるピンネシリ山に登った。標高千百メートルのなだらかなおっとりした山である。
 この山はお花畑で知る人ぞ知る山であった。カタクリの花が風に揺れ静かに咲いていた。
 山頂に着き、持参したおにぎりを頬張った。山頂で暫く福と遊んだ淳は、そろそろ下山の準備に取り掛かろうとした。と、そのとき地底からドスーンという鈍い音を感じた。
 地震とは違う衝撃だった。
 炭鉱でなにか大変なことが起きたのだと直感した。

 父親が今日は一番方で坑内に入って採掘している時間だった。
 福はそわそわとして吼えた。何遍も吼えた。淳は急いで下山した。父親が心配だった。坂を転げるようにして下った。家には誰も居なかった。長屋の隣のおばさんが、淳が戻ったのを察知して出てきた。
「和子さんは立坑に行ったよ。薫ちゃんも一緒だよ。淳ちゃん気をしっかり持つんだよ。お父さんはきっと大丈夫だよ」

 薫は淳の二つ下の妹である。
 福を小屋に繋ぎ、淳はすぐさま立抗に急いだ。福の吠える声が遠くまで聞こえていた。


 **  父の死  **
 
 大勢の人が蠢いていた。
 マスコミの取材も来ていた。
 淳は母親と薫を探した。
 坑口付近に、母親と薫はいた。周りはただならぬ雰囲気だ。淳が近づくと薫は「おにいちゃん!」と言って、泣き出した。淳は薫の手を握り締めた。

 和子は不安顔でじっと鉱内から担架で運び出される人を食い入るように見つめていた。炭塵で真っ黒い顔の作業員が担架に乗せられて坑内から出てきた。何処の人か見分けがつかなかった。

 十人ほど出てきたあと、担架に乗せられて出てきた真っ黒い顔に、淳は父親だと直感した。びくとも動かない。大丈夫だろうか!母親が「父さん!」と叫んで、担架に乗せられた父親の正に縋り付いた。

 父親は既に息絶えていた。父親が死んだ。死んでしまった。淳は信じられなかった。嘘だろうと思った。
 
 淳の父親の正は、余市町出身、実家はリンゴ農家。四人兄弟の三男坊だった。ニッカウヰスキー余市工場で有名な町である。
 正は高校卒業と同時に、夕張の北炭(北海道炭鉱汽船㈱)に就職した。昭和十年の春だった。
 当時の夕張は、良質の石炭が埋蔵されており、国のエネルギー政策とも相まって活況を呈していた。全国から人が集まった。その中には半端物も紛れ込んでいたようだ。
 
 正は、住初すみぞめの社宅に独り住まいをして、採炭員などの世話役をしていた。
 毎日が骨の折れる仕事だった。
 結婚したのが夕張に着て十年ほど経ってから、会社の上司から勧められ見合いをした。そして、結婚した。
 和子は地元の酒屋の娘だった。
 結婚して三年目の昭和二十三年に長男が生まれた。淳と命名した。手のかからないおとなしい子供だった。

 山間に突然出現した町。昭和三十年ころには夕張の人口が十二万人にもなった。人が大勢集まると自然発生的に、歓楽街もでき、明日とも知れぬ自分の命に向き合うストレスを発散させるために、炭鉱夫はその飲み屋街に繰り出す。
 酒の席でのトラブルも多かった。時には刃傷沙汰もあった。

 正はある夜、そこでトラブルを起こした。以前から顔を出していたスナックラベンダーという店での出来事だった。

 本町一丁目の坂を上がった通り、百貨店の裏通りにその店はあった。
 広さは十坪ほどの広さだ。
 店の入り口に近いカウンター席に座り、ビールを頼んだ。ほかに何人かの男客が酒を飲んでいた。カウンターの中では、和服姿の四十歳代の女性が忙しく立ち働いている。
 店内を何気なく見渡すと、奥のテーブル席で、社光しゃこう一区に住んでいる炭鉱夫の吉田和夫と目が合った。
 吉田は十歳ほど正より年上だ。仕事は休みがちで、普段から素行が悪く、彼の周りにはチンピラ紛いの連中が跋扈ばっこしていた。

 正は、つい一週間前、仕事に出ない吉田の住居のある社光地区に出向き、どうして仕事をしないのか、と吉田をとがめていた。
 家にいた吉田は一升瓶を抱えて飲んでいた。そこへ行ったものだから、言い合いになった。吉田は二年ほど前に離婚して一人住まいだった。
 生活は荒れていた。正の上司は、その吉田の解雇を会社に上申していた矢先であった。


 その日、たまたま正が入った店に吉田がいたのである。
 そのテーブル席には店の女と見知らぬ男が座っていた。吉田はかなり酩酊しているようだ。正は、目を反らした。すると吉田が席を立ち、正の側に来て、
「おい、さっきのお前の目つきは何だ。俺に文句あるのか」と絡んできた。
 淳の父親は吉田を無視し黙ってビールをコップに注ぎ飲んだ。
「吉田さん、かなり飲んでいるようだね」
「うるせい、お前に関係ないだろうが」
「今日は二番方でなかったのか、休んだな、真面目に仕事しなよ」
「俺に説教垂れるのかよ!」
 吉田は、まだ中身が少し残っているビール瓶を持ち上げ、正の頭を殴打した。
 正は、椅子から滑り落ち、床に転がった。頭からは血が噴き出ている。店の女性や店内にいる客が、吉田を抑え、救急車を呼んだ。
 
 誰かが夕張警察署に連絡した。
 正は炭鉱病院に搬送され、吉田はその場で逮捕された。解雇されるのは時間の問題だった。
 正は治療のかいがあり、頭を十五針も縫う大怪我だったが、一命は取止めた。正にしてみれば、最悪の日になってしまった。

 正は、神経をすり減らす坑内員の世話役より、坑内での石炭の採掘の仕事がいいと日頃、淳の母親にも話していた。
 上司に相談しても、良い返事をもらえなかった。
 丁度その頃、高校時代の友人の一人から、砂川炭鉱で働き手を募集しているとの情報をもらった。その友人は、三井砂川炭鉱で採炭員として働いていたのである。
 正は決めた。

 その半年後の昭和二十四年の四月、淳一家は砂川の三井砂川炭鉱に移った。淳が満一歳の年だった。そして一年後、妹の薫が生まれた。正は先山として働いた。
 最初は不慣れな作業にも愚痴一つこぼさず、黙々と働いた。
 近所の炭住街の奥さん連中は、よく働く正のことを尊敬の眼差しで噂し合っていた。
 その働き者の父親が死んだ。
 
 母親の和子と妹の薫は、死んだ父親の胸を叩きながら泣き崩れていた。
 淳は呆然と立ち尽くすのみであった。
 遺体が自宅に戻り、通夜・告別式とあわただしく過ぎた。
 父親の遺体を焼いた煙が空高く昇っていく。遠くのズリ山から自然発火した煙が、小さく昇っていた。
 今回のガス爆発事故で十八名の尊い命が奪われた。
 淳はこれから母親と妹の支えとならなければと意識した。

 
 高校卒業と同時に、淳は炭鉱夫となった。一生懸命働いた。
 親父も、このような厳しい環境で働いていたのかと思うと、目頭が潤むこともあった。

 勤めて三年後、事業採算が厳しくなり会社は希望退職を募った。
(いま辞めてしまえば、今後の生計はどうなるのだろうか。仮に辞めてしまって次の就職の充てがあるのか)と、淳は悩んだ。
 母親と妹の今後の暮らしを思うと、退職するわけにはいかなかった。しかし、その一年後、会社は無情にも倒産してしまった。

 淳は路頭に迷った。たまにはアルバイトで繋いだ。しかし、いつまでもこの状態では良くない。どんな仕事でもやらなくてはと気持ちばかりが焦った。



**  みどりのこと  **


   昭和四十五年の冬の冷え込む晩、淳は一人砂川の繁華街の飲み屋の縄暖簾を潜った。
 滅多に外で飲むことはなかったが、その晩は、妹の薫と些細なことから口喧嘩となり、その足で飲み屋を潜ったのである。
 
 熱燗を注文して、一人で飲んでいると、見知らぬ女性から声を掛けられた。
 一瞬何処の誰か見覚えがまったくなかったので、軽く会釈しただけでまた下を向いた。
 ところが、その女性が、
「淳ちゃん」と親しげに声を掛けてきた。淳は戸惑った。
(だれだろう)その女性は淳の隣に移った。淳がその店に入る前から居たようだ。
「どちらさんでしたっけ?」と尋ねた。
「私よ、淳ちゃん、私のこと覚えていないの、名倉みどり」
 淳は固まってしまった。
 淳は女性の顔をじっと見つめたまま、閉じる口を忘れていた。

 暫くして、
「お父さんは元気なのか」と淳が訊ねた。
「父さんは坑内で粉塵を吸って肺の病気になって、昨年、死んだ」
「淳ちゃん、炭鉱倒産した後、なんか仕事してんの」
「いや、してない」
「・・飲もう」
 淳とみどりは中学の同級生だった。
 みどりの変わりように淳は、あのみどりとは気が付かなかった。
 飲みながらみどりは、高校卒業後の出来事について、話し出した。過去を振り返ることが、やっとできるようになったとの思いで話をするのだった。
 
 みどりは中学を卒業すると、市内の淳と違う高校に行き、三年後、卒業と同時に札幌に出て、デパートの婦人服売り場で働いた。
 豊平区平岸に住み、平凡な日常を過ごしていた。しかし、みどりは、満たされない生活を過ごしているのではと感じていたらしい。
 彼女の過ごしやすい場所は、やはり砂川での生活だった。
 仕事場と平岸の往復の生活だった。
 
 ある日仕事が終り地下鉄大通り駅の改札を通った時、誰かの目線を感じた。
 チラッと振り向くと、にやにやと顔を崩している年のころ同年代の男がいた。
 みどりは何処かで見た記憶がある顔だと思ったが、直ぐには思い出せなかったのだった。
 彼は砂川時代の高校の同級生のまことだった。
 実も地下鉄南北線の『中の島駅』の近くのアパートに住んでいた。
 みどりの乗り降りする駅は一つ先の『平岸駅』である。
 二人は、改札を出て地下街に出た。『野ばら』という喫茶店に入った。

 ソファーに腰を下ろし二人は珈琲を注文した。
 ほの暗い店内で顔を寄せ合ってなにやら小声で話している客が三組ほどいた。
 店内は暗いがテーブルの上にある小さな豆電球の電気スタンドが客の顔を沸き立たせ、その周りがぼやけ、霧がかかったような情景であった。
 ほのかに落ち着く店だった。

 二人は高校時代の三年間、同じクラスではなかったが、お互いそれとなく惹かれあう間柄であった。しかし、二人ともそのことを言い出せないで卒業してしまった。
 実は高校卒業後、札幌の某大学に合格し、既に四年生、就職活動の真っ最中であった。

 ある休日、みどりと実は、野ばらで落ち合った。
 とりとめのない話をした後、みどりは、聞いた。
「実君、ところで、通っている大学の名前をまだ、聞いていなかったんだけど」
 ちょうどその時、ウェートレスが、
「〇〇まこと様、お電話です」と案内した。
「ちょっと待っててね」そう言って、実は店内の電話ボックスへ向かった。
「誰からだった?」
「バイト先の先輩からで、シフトの変更の件だった」
 そういいながら、別の話題になってしまった。
 実の通っていた大学の名前を聞かなかったことが、その後、みどりは悔やむことになる。

 みどりと実は、再会してからお互いに徐々に惹かれていった。ときには将来を語り合うこともあった。毎回出る話題はやはり故郷の砂川のことだった。砂川の山や石狩川や駅前の商店街が二人を繋いでいた。
 故郷の話をしている時が、充実した時だった。

 実と再会して半年ほど経ったある日の仕事帰り、みどりはいつものように『野ばら』で実を待っていた。
 昼間、実からみどりの仕事場に電話があり、今夜会おうと連絡してきたのである。
 何かの用事で遅れるときには、実から必ず野ばらの店の電話へ遅れることを連絡してくる。
 その日に限って、三十分待っても一時間待っても実からの連絡は来なかった。
 当時は携帯電話が無い時代である。連絡の取りようがなかった。
(どうしたんだろう?)みどりは一抹の不安に駆られた。
(連絡をくれないことはいままで一度も無かったのに・・)みどりは不安になった。

 来る日も来る日も、実とまったく連絡が取れなくなった。
 後日、みどりは彼がいた『中ノ島駅』の近くのアパートを尋ねてみたが、既に彼が住んでいた部屋は空室になっていた。
 そういえば、実が通っていた大学の名前を聞いていなかったことを悔やんだ。
 なにか事故に遭遇したのだろうかとみどりは思った。
 当時は各戸に電話が無い時代だった。ましてや携帯すらもなかった。
 その後長い間、実のことが気がかりで、みどりの頭から離れなかった。
 なんとか、実の実家の住所を探そうと、思案していたみどりは、卒業した高校に連絡を取り、実の実家の住所を聞き出すことに成功した。

 ところが砂川の実の実家に彼の所在を確認したところ、会う約束をしたあの日、札幌の北二十四条の交差点で交通事故に遭遇し、死亡していたことが判った。
 みどりはショックで目の前が真っ暗になった。
 この世に実はいない。深い悲しみに打ち震えた。

 
 時は流れ、みどりのなかで実との思い出が薄れていくようだったが、ふとしたときには思い出すことがあった。
 実とのあの半年の交際はまさに夢か幻のような日々のような気がした。

 その後、みどりは父親が肺の病気で他界してから、札幌での生活に区切りを付け砂川に戻った。
 実家に居ても身の置き場が無く、たまにはと外に飲みに出たのである。
 立ち寄った店に淳がひょっこり入ってきた。中学時代のときより逞しくなった感じの淳であった。
             
 その日以来、時々淳とみどりはその店に来て一緒に飲んだ。みどりから札幌で働いていたときのことなどを聞きながら淳は、札幌で仕事を探してみようかと思った。

 その後、母親に札幌に出ることを相談した。
 砂川にいても、これといった仕事があるわけでもなく、母親の了解を得て札幌に出ることにした。
 年老いた福と別れるのが辛かった。

 みどりはその後、良縁に恵まれ函館のあるサラリーマンに嫁いだと聞いた。

 

**  札幌に出る  **

 札幌は当時、既に人口が百五十万人を超えていた。
 都市に人は集まってくる。
 淳は藻岩山に登ってみた。札幌市内が一望できた。繁華街で一番活気があるところを探した。札幌駅から南に続くすすきのへの通りに賑やかさがあった。

 後日、大通り公園のテレビ塔に登ってみた。
 遥かに大倉山シャンツェが市内に突き出ていた。
 さあ、これから仕事を探すぞ!と決意した。希望が湧いた。力が出てきた。俺はお上りさんだと苦笑いした。

 北区に安アパートを借りた。昼はガソリンスタンドで働き、夜間の専門学校で建築を学んだ。
 夜遅く学校からの帰り道、ふと空を仰ぐと、三日月が出ていた。
 久しく夜空を仰ぐゆとりなど無かった。
 そういえば砂川には石狩川の三日月湖がある。渡り鳥が時期になると大勢やってくる。淳は思った。
 おれは渡り鳥のような生き方しか出来ないのか、薄暗い三日月に照らされて、背を丸めて生きている、食っていくために仕事を探しながら...…。

 人間の欲望は飽きることがない。お金が貯まれば、それに飽き足らず、益々欲しいと思う。常に一歩いや一段上を目指す。
 すべからく現状に満足しない。
 そういう気持ちを留める手立ては見つからない。
 人類は常に欲望・執着・ロマンでもって、前を向きバトンタッチして今日に到っている。
 
 淳は藻岩山を眺めながらふとそう思った。

 

 淳は夜間の授業には真面目に出席した。ただ、受講していても、睡魔が襲い、眠くて仕方なかった。実習は寝ている暇がない。淳は実習が好きだった。
 ニ年間、昼はアルバイト、夜は専門学校で建築の勉強をして大過なく過ごした。
 札幌の街にも、幾らかは慣れてきたような気がした。しかし、いつも淳はいまの生活が、自分が望んでいるそれではない気がするのであった。
 本当の生き方とはどういうことをいうのか。なにか満ち足りない、空虚な、後ろ向きの日常を過ごしているのでは、と淳は不安になるのであった。

 北海道で一番大きな石狩川のような男がヤリキレナイ川のようになる毎日であった。

 その結論を見出せないまま、専門学校を卒業した。
 就職先は地元札幌の建築会社だった。
 入社までの期間、淳は砂川に戻った。
 母親と薫は元気に過ごしていた。
 薫は高校卒業後、東京で就職をすることとなった。
 昼は某警備会社で働き、夜間の短大に通う。
 将来幼稚園に勤めるのだという。しっかりした妹だと思った。

 砂川から札幌に戻り一週間後、妹の薫から福の様子がおかしい、週末に帰ってくるよう連絡が入った。
 急ぎ淳は砂川に帰った。福は淳の帰りを待っていたようにその夜、息を引き取った。淳は悲しんだ。

 母親は、これから一人で生活するようになる。
 淳は将来落ち着いたら、母親を札幌に呼んで一緒に住むつもりでいたのである。母親の和子に相談した。

 

 札幌に戻った淳は、新入社員として一生懸命働いた。
 工事現場で朝から晩まで働いた。仕事を早く覚えようと必死だった。
 地下鉄東西線の二十四軒駅から直ぐ近くの三十八世帯のマンション新築工事の現場だった。
 所長は四十歳代の人で、厳しい人だった。所長に怒られ職人に怒られ、心が折れそうになる毎日ではあったが、徐々に仕事を覚えて行った。
 二十四軒のマンションの現場が竣工して、次は、発寒の六階建て事務所の新築工事現場だった。

 淳は現場では、若いわりには落ち着いた、へこたれない、愚痴の一つも言わない、誠実なスケールの大きい男として周りから見られるようになった。
 仕事の段取りもよく、人当たりも良く、会社の中でも徐々に信頼を勝ち得ていた。

 仕事関係の国家試験にも挑み、挑戦一回で見事合格した。
 三年もすると主任に昇格し、母親似の女性と結婚した。
 子供も授かった。
 母親は砂川から札幌にやってきた。
 母親なりに複雑な思いを抱いただろう。それでも淳と妻の説得に応じてくれた。

 

 ある年の五月初めの連休、淳は家族で大通り公園に出掛けた。
 もうすぐリラ(ライラック)の花の香りが風に乗り漂ってくる。

 冬が長かったせいか、ところどころに雪まつりの雪がまだ残っていた。
 涼風がテレ塔の方から吹いてくる。風は寒さの名残りを乗せている。

 大通り二丁目の芝生にシートを敷き、持参した弁当を皆で頬張った。
 テレビ塔の時計の針が十二時を指していた。
 淳の家族の座っている場所に鳩が何羽か近寄ってきた。

 ふとその時、淳は感じた。

 これこそが自分が獲得した、かけがいのない唯一の日常なのだと。

 薫風が母親と妻と子供の顔を撫でていった。

                         了

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