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【連載】還らざるOB(1)

 台北桃園空港をその日の午後一番に日本に向かった一機の飛行機があった。台湾と日本との時差は僅か一時間、所要時間 約四時間である。

 台風が接近している中でのフライトであった。

 この気象状況であれば欠航の判断をするはずだが、その日はなぜかフライト許可が出てしまった。

 通常であれば、機長と運航管理者が事前に出航か欠航かを決めるはずが、その日に限って、機長が遅刻し、運航管理者が出航を決めてしまった。

 機長はなぜ遅刻してしまったのか。

 その機長は遅れた理由を何一つ話さなかった。他人に言えない訳でもあったのだろう。彼はその日の天候や台風予報で、フライトは無理だと思った。

 機長は欠航を主張したが、既に出航が決まっており遅刻した機長の意見は取り上げてもらえなかったのである。

 彼は自分が遅刻してしまったことを悔やんだ。しかし、すでに遅かった。やむなくコックピットの操縦席に座った。

「機長。どうして遅刻したんですか?この天候じゃフライトは無理ですよ」と副操縦士が機長を詰った。

「つべこべ言わず、フライト準備だ」と機長は副操縦士を睨んだ。

 離陸してからというもの乗客は座席にへばり付いた状況で、フライトアテンダントは不安で顔が引きつり、台風の影響で機内サービスの準備も出来ない状態であった。

 離陸して三十分ほど経過した時だった。突然機内の後部座席付近で、バリ、バリ!と大きな音が二回した。乗客は一斉に後方を振り向いた。

 機体後部のトイレあたりが、スーと何かに吸い込まれるように機体から遠ざかって行った。

 一瞬の出来事だった。

 物凄い勢いで機内圧が低下し、一分と掛からず機内の全ての物が後方に吸い込まれていった。まるでブラックホールに吸い込まれるような恐ろしい情景であった。

 機内のあちらこちらで悲鳴が挙がった。

 シートベルトをしていない何人かは浮き上がり、機外に放り出された。機内に残った乗客も時間の問題であった。まさに地獄絵の様相だった。

 飛行機は、操縦不能となり大海原に墜落してしまったのである。

 

 事故後、その海域を捜索した台湾の警察は、乗客乗員の全員が死亡した事を発表した。正式発表によると、死亡者百八十五名、行方不明者三十二名という大惨事であった。ほとんどが日本人観光客であった。

 その中に、彼ら八名も行方不明者リストに含まれていた。彼らは日本から台湾に二泊三日の日程でツアー旅行した帰りであった。

 その後の調査で、整備不良による隔壁損傷による事故と断定した。その飛行機は、過去にも胴体着陸した事故を起こしていたのであった。

  その八名は同じ会社に勤めていた連中であった。八名のうち三名が、まだその会社に嘱託などで残っていたが、残りの五名は、別の会社か、または一切仕事をしていない身分だった。

 今まで、国内の北は北海道から南は鹿児島まで、年二回ほどのインターバルで旅行をしていた。とにかく男同士の旅はいいと皆思っていた。行く先々でそれぞれ思い出を つくっていった。

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