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人間として生まれて

 自分が関わってきた人たちは、これまでに何人いただろうか。
 この世に生を受けてから七十数年間で数え上げればきりがない。
   過去にかかわった人々の大半を、私の記憶から忘れさられてしまっている。ところが、ふとしたきっかけで、思い出すことがある。あることがヒントとなって思い出すのだ。ただそれだけだ。しかし直ぐほかのことに思いを巡らしてしまう。

 「人間」という漢字は、人の間と書く。支えとなって人と書く。その人の間(あいだ)である。
 自分を救ってくれた人、怒りに身を震わせた人、愛した人、尊敬した人、あこがれの人、安心できる人、信頼できる人、喧嘩をした人、説得した人、などなど。
 いまの自分の内面を形成しているのは、過去に様々な人たちとの会話や関わりがあって、それらの経験が自己なるものをかたち作ってきたのだと思う。
 人間一人では生きられない! という。
 
様々な人達との絡みのなかで、喜怒哀楽の連続の日々の中で成長し、またこれからも生ある限り、他人と繋がる(かかわる)中で、常に成長するのが人間なのだ。

 人間として生まれてくることは、なかなか出来ないことと思う。
 地球上の生物を考えてみたまえ。
 様々な生き物がいる。
 その中でも特にこの地球上では、知能が一番優れているのは人間なのだ。

 近年の地球温暖化による様々な災害、訳の分からないウイルスの出現。これらをもたらす原因が、中途半端に知能だけが発達した人間の様々な活動の結果だと思うのは私だけだろうか。
 そうは言っても、この地球上で知能が一番優れている人間に生まれてくるということは、それこそ稀なことなのだろう。

 ある人は、この世は苦しみだらけとぼやく。またある人は、競争のない世界に行きたいと嘆く。またある人は数字のない(縛られない)世の中になればいい、などと、現実逃避的? な願望を抱く。

 自分を鼓舞して移り行く現実に向かって強く生きる! その日々の蓄積が人生なのかもしれない。

 
 

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