わたしもワタシも私の一部

 どうやら私は根幹で人をバカにしているらしい。そして私が優位な立場であると思っている。いや、思い込んでいる、思いたいという願望。私はこうあるはずだという自分への期待。慢心。こんなものは早く捨て去ってしまいたいものであるが、このようなみかん箱の底で腐ったようなドロドロなプライドはなかなか取り除くことはできない。箱ごとすてれば良いのだが、このカビ臭いを通り越し腐敗臭のするものに愛着を感じてしまい、あ、今日はダンボールの回収日じゃないなといい後回しにしてしまう。このようにして放置してできた私はもはや腐海そのものと言っても過言ではないだろう。人は他人と対することで見えない自分が見えてくる。が、それは自分の一面であり全てではない。また、一人でいるときの自分、ピンチのときの自分などさまざまな一面があるがそれも"一面"なのである。ときには受け入れることができないジブンもいるだろう。それでも認めることから始めたら良いのではないだろうか。だから私はとりあえずこのダンボールは草滑り用に取っておきたい。

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