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「お母さん」でいられる事

昨年、親戚のおじいさんが亡くなりました。
子ども達が大好きなおじいさんでした。

音楽やスケッチを愛し、多趣味で、家族思いの優しい人でした。

私の事も凄く可愛がってくれました。

おじいさんが居ない、初めてのお正月。
親戚皆集まって、子ども達はお年玉を貰ったりして、
おじいさんが居ない以外は例年通りのお正月でした。

そしたら、

「おじいちゃんがいないよぅ」
と言って、息子がポロポロ泣き出しました。

子ども達にとって、近しい人を亡くしたのは初めての体験でした。

泣いている息子の肩をさすりながら
私の中では一瞬にして
「お母さんとしての自分」と
「お嫁さんとしての自分」が
壮絶な戦いを繰り広げていました。


お母さんとしての自分は
悲しんでいる息子に寄り添って「悲しいよね」と一緒に泣いてあげたい。

でも
お嫁さんとしての自分が
「おじいさんと一緒に住んでいた家族の人達に悪い」
「皆悲しいんだからガマンしなさい、と言わないといけないのでは」

と感じているんです。

親戚の手前、そう言うべきなのか、と。

そしたら、
「ピョン太くん、ありがとうね。おじいちゃんの事で泣いてくれて、ホントにありがとうね」
と、ご家族の皆さんが、特に、連れ合いを亡くしたおばあさんが、ポロポロポロポロ涙を流して言ってくれました。

子どもが悲しい時に「悲しい」っていう感情を我慢せずにいられること
私が「お母さん」を選べる環境であること

本当に有り難い。

たぶんだけど、
実家の方の親戚の前で同じ状況になったら、私は「お母さん」を選べないかもしれない。そう思います。

私が「お母さん」を選べる、「お母さん」でいられる事が、ホントに有り難いです。

その後、泣き疲れるまで泣いた息子は
「お腹すいた」
と言って、ご飯をいっぱい食べてました。

いっぱい食べて、いっぱい遊んで、
いっぱい泣いて、いっぱい笑って、
大きくなるんだぞ、息子よ。


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