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子供の頃、チューチューアイスをパキっと出来なかった私(エッセイ)

最近、十何年か振りにチューチューアイスを食べた。
冷たくて、フルーツジュースが冷凍庫で凍っただけのアイスだけれど、なんだか懐かしく、そして夏の暑さに丁度良いおお供だと思った。
子供の頃のアイスと言えばチューチューアイスは定番中の定番で、お値段もお手頃で本数もたくさん入っている。
冷凍庫には途切れることなく常備され、いつでも食べられるアイス。
きっと家庭の心強い味方だったに違いない。そんな家庭の味方、チューチューアイス。子供の頃はたくさん食べてきたチューチューアイスは、成長するにつれ段々と冷凍庫からその存在が消えていった。そして個々でちゃんとカップに入っていたり、箱のアイスで何個か入っているアイスへと変わっていった。
そこに寂しさがあったかと言われれば、私は寂しさを感じることは皆無。
あれだけお世話になっておいてなんとも薄情な私である。
それから、子供の頃の私はチューチューアイスを食べる時パキッと2つに割ることが出来なかった。握力の問題か、自分の不器用さ加減がまずかったのか分からないが、いつもハサミを使って2つに分けるか、親に頼んでパキッと割って貰っていた。

そんな子供の頃からかれこれ何十年。
私は自分の力でチューチューアイスを
パキッと割ることがちゃんと出来るようになっていた。
当たり前のことだが、思わず私は独り言
「あっ、ちゃんと2つに割れた!」
我ながらなんとも可笑しい。
けれど、たったそれだけのことが、この時の私は嬉しくて嬉しくて仕方が無かったのだ。味も子供の頃と何も変わらず、美味しく懐かしいお味。
何年か振りに食べたチューチューアイス。懐かしい味と共にすっごく小さく、当たり前で、誰も感動しないし、ましてやこんなことで大人になった、なんてそれこそ誰も思わないことで嬉しくなったり、我ながら滑稽か?とも思うが、こういう小さい事でも子供の頃の私と、今の私は違う。昔はできなかったこと、苦手だったことが少し大人になって出来るようになってきた。
こんな些細なことでも成長を感じている。
小さくてもいい。
可笑しくてもいい。
けれど、これは紛れもない、私という人間のちょーーーっとした成長なのだ。

パキッ、ちゃんと割れる。
いいよ。
私。

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