■論語・孟子を読むの法

清?宋大字本に拠り補ふ。

程子曰く、「学者は当に論語・孟子を以て本と為すべし。論語・孟子既に治まれば、則ち六経は治めずして明らかなるべし。書を読む者は、当に聖人の経を作す所以の意と、聖人の心を用ふる所以と、聖人の聖人に至る所以にして、吾の未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者を観るべし。句句之を求め、昼誦して之を味はひ、中夜之を思ひ、其の心を平らかにし、其の気を易くし、其の疑はしきを闕けば、則ち聖人の意見るべし」と。
程子曰く、「凡そ文字を看るに、先づ其の文義を暁るを須ちて、然る後以て其の意を求むべし。未だ文義を暁らずして意を見る者有らざるなり」と。
程子曰く、「学者は、論語中諸弟子の問ふ処を将て便ち自己の問と作し、聖人の答ふる処は便ち今日の耳聞と作すを須ちて、自然得ること有り。孔孟復た生まるると雖も、此を以て人に教ふるに過ぎず。若し能く語孟中に於いて深求玩味し、将来涵養し成せば、甚なる気質を生ぜん」と。
程子曰く、「凡そ語孟を看るに、且く須く熟読玩味すべし。須く聖人の言語を将て己に切にすべし。只だ一場話と作し説ふべからず。人只だ二書を看得ること己に切なれば、終身儘く多し」と。
程子曰く、「論孟は只だ剰して読めば、便ち自ら意足る。学者は須く是れ玩味すべし。若し語言を以て解すれば、意便ち足りず」と。
或ひと問ふ、「且く論孟の緊要なる処を将て看るは如何」と。程子曰く、「固より是れ好し。但だ終に是れ浹洽せざるのみ」と。
程子曰く、「孔子の言語、句句是れ自然。孟子の言語、句句是れ事実」と。
程子曰く、「学者先づ論語・孟子を読むこと、尺度権衡の如く相似、此を以て去きて事物を量度すれば、自然長短軽重を見得る」と。
程子曰く、「論語・孟子を読みて道を知らざるは、所謂多しと雖も亦た奚をか以て為さんや」と。
[石川]

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