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自分を大切にする感情

自分を大切にする感情

日常さまざまなことをやる、あるいはさまざまなことを考える中で、

ストレスが溜まってくると心がやつれてくる。

心がやつれると目の前にある対象物がいかに尊いものであっても、

私の負担になる。

今まで好きだと思っていたものでも、だ。

それはつまり自分の内界が暗くなってしまったから、外界が暗く見える、という現象に似ている。

外界がたとえどんなに素晴らしくても、

内界が健全でない限り、

世界は晴れやかに見えない。

それは内界の暗がりが悪いと言っているわけではなく、

むしろ「善く」生きすぎたから、内界は暗くなっていると私は観る。

そんな中で「自分を大切にする感情」これがなかったら、

自身の内界が暗くなっているということを認めてあげれない気がする。

自分を大切にする感情があってはじめて、

自身の不調を観察できるようになる気がする。

言葉を持つ人間が思考ができるようになるのと同じように。

そしてその自分を大切にする感情に従って、自分の内界をある一定のところまで晴れやかにできたとき、

私たちはそこに生きる意味を感じるのだ、と思う。

"生きる意味とは自分を大切にした結果起きる感情のことのように思われる。"

私はずっとこのかた「自己愛の錬磨」「自己愛を通してから」「自己愛が大事」と言ってきたが、

つまりその自己愛は自分を大切にする感情である。

そしてそれは母親と父親の愛情の有無に限らず自身で発電・発育できるものである、と見る。

もちろん母と父に愛がなければ、自分を愛す、ことは難しいように思う。

しかしながらそれでは決まって母と父に愛がなかった人間は必ず不幸であるはずだ。

しかしそれでも幸福になった人がいるようだ。

あくまで他者に愛されなかったこと、と

自分を愛すこと、は区別されるものである、

私はそういう認識をするようになった。

もちろん愛されたことのない人間は、自分を愛すというフェーズに移るまでに多くの苦労を必要とするだろうが。

自己愛。

自分を大切にする感情。

生きる意味とは自分を大切にした結果生じる、動的なダイナミックな感情のこと。

だからその初めにも最後にも必要になるのは、

自分を大切にする感情であり、

「自分が調子が悪い!」と言えるようになったということは

少なくとも調子が悪いと断じて言ってはならなかった、自己に鞭を打ち続けるときより、自己愛がうまくいっていると言えるだろう。

おそらく自分を愛すという、最高に勇気のいる課題に今その人は向き合っているのだろう。

内界が暗がりになると、どんな素晴らしいものが外にあってもダメだ。

どんなに美しいものが外にあろうと、自身がやさぐれてしまっては本当に外界は暗く見える。

そういう日をいくつも通り抜けてきて、何がこの私をまだこの世界に留めているのかと問えば、

それは小さくはあるがそれでも「生きたい」という自分を大切にする感情それであった。

そしてこのブログもすべては自分を救うためであり、

また暗がりに迷い込んだ時ヒントを得る貯蔵庫としての機能を与えようと試みたものだ。

だから私がずっと求めているもの、

あるいはやり続けていることは、

やはり自己愛の錬磨、昇華に他ならないのだ。

そしてそれを促進してくれるから、私はアニメが好きなんだ。

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