祖父を看取った話

つい先日、97歳の祖父を看取りました。

多くの方がそうなのかもしれませんが、私は、これまで死というものに対してとてもネガティブな感覚をもっており、なるべく遠ざけてきたところがありました。できることなら、身近な人の死の瞬間には立ち合いたくないし、自分や身近な人がいつか死ぬことを考えるととても怖くなってしまい、なかなかそういうことと向き合えずにいました。

16年前、大好きな祖母が突然亡くなったとき、心の準備ができていなくて、しばらく立ち直れませんでした。電話を受けたとき、大人なのに、子供のようにわんわんと号泣してしまったことを覚えています。当時、子供が生後4ヶ月くらいだったのですが、いつでも行けるからと思い、まだ会わせてあげられていなかったことをとても悔やみました。(私の家から2時間ほどかかる田舎に住んでいました)

そんな思いはもうしたくなかったので、今回、もう長くはないであろう祖父の家に何度か足を運び、少し介護を手伝ったりすることができました。祖父はとても気丈な人だったので、すっかり弱ってしまった姿に、夜中涙してしまったこともありました。

そして、ついに、もう今夜越えられないかもしれないという連絡がきました。
覚悟をしつつ、翌朝すぐに駆けつける準備をしました。なんとなく、祖父は生きていてくれるような気がしていましたが、やはり翌朝になっても、持ち堪えてくれていました。

お昼頃、母と病院に到着。普段も介護をしてくれていた従姉妹が一晩一緒にいてくれたそうです。呼吸が荒く、苦しそうにしている祖父を見るのは辛く、涙が止まりませんでした。それでも目は開けて少し見えているような気配があったし、耳は聞こえていると思うので、話しかけたり、手を握ったり、身体を撫でたりして過ごしていました。その間に何人かの方が来てくれ、賑やかな雰囲気は伝わっていたと思います。
相変わらず心拍などの数値は危険なものの、その状態で変わらなかったので、いろいろな準備も兼ねて母と従姉妹はいったん帰ることに。

苦しそうな祖父の姿を見るのはもちろん辛かったのですが、一方で、今回はしっかりと見届けようという決意もありました。祖父の最期の瞬間をみてあげようと。きっと、私が祖父だったらそうして欲しいと思うだろうと思いました。

私1人になってから、病室が静かになったので、祖父は少し落ち着いたのでしょうか。どんどん心拍の数値が下がっていきました。それにつれて、苦しそうになっていくのかと思いきや、だんだん弱っていく、朦朧としていくようなかんじで、苦しさが和らいでいるようにみえました。
そして、最期の瞬間は訪れました。
本当に、息を引き取るという表現がとてもしっくりくるように、とても静かに、安らかな最期を迎えました。もしかしたら不謹慎な表現かもしれませんが、プツッと電池が切れたような。もちろん悲しくてたくさん涙がでましたが、私は祖父の最期を、この目に焼き付けられてよかったという気持ちが勝っていました。
本当に、肉体ってただの入れ物に過ぎないんだなということを感じたのです。祖父から受け継いだものはたくさんあって、それはずっと生き続けているし、霊的なものは信じていませんが、魂はきっとあり続けるんだろうなということを感じました。何より、死ぬことって思っているより怖くないし、生の延長なんだということを、身をもって教えてくれたように感じました。

仕事には不思議と支障がなく、祖父が見守っていてくれると思わずにはいられません。今頃あの世で祖母と仲良く喧嘩しているのかなと思います。

おじいちゃん、97年間お疲れさまでした。
そして、本当にありがとう。

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