「いっすーくるま」です。単車の事故編⑧

手術に、どれ程の時間を要したのか分かりませんが、私は、身体を揺さぶり起こされました。目を開けると医師の声が聞こえて来たのです。
「今、手術が終わりましたよ」
「はあ、ありがとうございます」ボーとする意識で答えると今度は、手術後のレントゲン写真を目の前に差し出されました。見ると、1本に整形された大腿骨の右側に金属のフレートが当てられ、骨折部分の上下に2本ずつボルトが締め込まれ、合計4本のボルトで大腿骨を固定していました。それを見た瞬間に、(あっ、大腿骨の左側に4本のボルトの先が、突き出している)と思ったのを最後に、私は、そのあと3日間も眠り続けたようでした。果たして、腕に打たれた注射は、一体、何であったのか?ずっと、後年ですが、静脈麻酔であると知りました。私は、麻酔が切れた後、手術の傷の痛みも感じる事無く、深く深く眠り続けたのです。目を覚ました時には、すでに3日間も過ぎ去っていました。私には、そんなに寝込んだ覚えなどありませんでした。ハッキリと意識が戻ると、心に蘇って来たものは、(自分の身体には、麻酔が効かない)という恐怖だったのです。1週間後には、両手の手術が予定されて居りました。既に、3日が過ぎていて、あと、4日後に、手術は予定されてました。また、あの激痛を味わうのかと思っただけで、恐怖心に襲われました。あと3日、あと2日と激痛が牙を剥いて迫って来る感じでした。手術前日、私は、あまりの恐怖心で、とうとう発熱してしまったのです。手術は、1週間延期となりました。されから1週間後、まな板の鯉でした。(もう、どうにでもなれー)と開き直るしかありません。手術へ臨みました。今回は、右手親指の付け根が脱臼骨折して関節が砕けていたので、付け根を固定して親指を使えるようにする事。左手の甲の骨4本が、粉砕骨折していたため整形術で機能を改善する事が目的でした。私は、手術台の上で仰向けに寝かされてました。とうとう麻酔を注射する時が来たのです。右手の麻酔は、右腕の脇の下へ。左手は、左脇の下へ投与するとの説明を聞きながら激痛への不安はありました。最初に、右腕を45度、上にあげると脇の下から麻酔が投与されました。そのままの状態が、暫く続くとイキナリ右腕の力が抜けて、腕がベッドへ落ちました。麻酔が効いたようですが、メスが入らなければ解りません。
「それでは、手術を始めましょう」
「はい」
医師と看護師さんの声です。メスが、親指の付け根に入ったようでした。その瞬間、また、私は、「いてぇー」とは、叫ばなかったのです。何と、何と、麻酔が効いているのでした。心の中で、大きく叫んでいたのです。(やったー、麻酔がしっかり効いてるぜー。刺激物が身体から抜けきったのか?バンザーイ)。
今度は、左脇の下へ麻酔を打って、左手甲の手術が始まりました。事故から1ヶ月以上経過して骨はズレたまま固まり始めてます。それを、剥がしながらの整形作業です。整形外科の手術は、バチッ、バチッと釘を打つ音、キーン、キーンと骨を削る音など、まさに、大工仕事でもしている様な感じでした。手術が終わると、レントゲン写真を見せられました。右手親指の付け根は、金属で固定されてました。左手の甲には、9本の釘が打ち込まれていたのです。麻酔が効いた状態で、手術は終了しました。万々歳です。しかし、この後、右足の手術では、経験しなかった事態が起こります。さあ、それは、一体、どんな事が起こったのだと思いますか?それでは、今日は、この辺で失礼します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?