見出し画像

27 なるべく挿絵付き 夕顔の巻 夕顔の遊び女扱いと意地悪な実資

・ 海人の子なれば

源氏に名乗りを迫られた夕顔は
海人の子なれば」とはぐらかします。

📖 白波の寄する渚に 世を過ぐす 海人の子なれば 宿も定めず

和漢朗詠集』の詠み人知らずの歌を引いてのことだそうです。
詠み人知らずとは既に広く人口に膾炙していたという意味でもあるでしょうか。

住之江辺りの?海辺の遊び女の自嘲を込めた歌だと言います。
名を訊かれた遊女が、家もなくこんな渚で世過ぎする海人の子ですから名前なんか…と。

夕顔にこんな遊び女の自嘲を言わせたことは、五条での夕顔の花を介した出会いを思い出させます。
『15 風流 春をひさぐ家(夕顔)』 https://note.com/modern_lilac381/n/n49703a7d5780
に引きましたが、
板塀に這う夕顔の花を見て、源氏が口ずさんだ『をちこちびとにもの申す』とは遊女に戯れかける歌でした。

五条の家は、受領階級のしっかりした乳母の所有するもので、公卿の遺児である夕顔がその家で春をひさいで暮らしを立てていたとも思えないのですが、
頭中将を待ちわびるのは、少なくとも家の者は、生活を立てる道として当てにしていると見えなくもなくて、
そうでなければ、羽振りのよさそうな通りすがりの源氏の車に呼びかけるのも妙なことにも思えます。
顔を出して覗いていた源氏の男ぶりが気に入ったという読み方もあるのでしょうか。

・ 遊び女扱い

それにしても、夕顔の周りに漂う遊び女感
夕顔の性的魅力に溺れていく源氏、お相手はするけれど愛情はない夕顔、の感じ。
源氏ほどの貴人からすれば板葺屋根から月光の漏れるような家に住む女など、一括りにそういう存在に見えていたということでもあるのでしょうか。
源氏からすれば遊戯的なちょっとした夜遊び。思いの外足は取られたのだけれど。
通うようになった経緯は省かれていますが、三日夜餅の儀式の記載などは当然ありません。
文遣いの尾行をしたとありますが、心の籠った後朝の文というような描写はありません。

・ 和漢朗詠集

和漢朗詠集というのは、道長の娘威子が一条天皇と彰子の皇子である後一条天皇入内する際の引き出物の屏風絵に添える歌として、藤原公任によって撰集されたものなのだそうです。

忠平の子であった実頼師輔は女子に恵まれたかどうか、天皇の外戚になれたかどうか、で命運を分けます。
女子に恵まれなかった実頼系で、実頼は孫である実資を養子にして小野宮流を伝えます。
嫡流は師輔の九条流に移ります。

威子の入内をめぐる系図

実資は誇り高く(可能な範囲で)道長に批判的であり続けました。
和漢朗詠集の意義とは大変なものなのでしょうが、
道長の娘道長の孫である帝に入内する祝いの引き出物の手伝いを従弟の公任が贈ったことを、実資は一族の者からの追従として苦々しく思わなかったでしょうか。

実資の小右記に和漢朗詠集の言及はあるのでしょうか。

何しろ道長の傲慢を伝えるこの歌
📖 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば

これは正に威子の入内を祝う宴で披露された歌だそうですが、実資の日記『小右記』以外に記録の残っていない歌なのだそうです。
酔っぱらって調子に乗り過ぎた道長の、さすがにみっともない酒の上の悪ノリ、世間に指差される失敗、を意地悪く書き残した実資、というストーリーを思ってしまいます。

公任は、百人一首の
📖 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞えけれ
の人ですね。

                        眞斗通つぐ美

📌 そういえば、この世をばの歌を詠んだ宴席で道長は実資にも歌の要求をしたのですよね。
道長の歌をヨイショして、なにぶん不調法なものでかなんか言って、実資は歌を詠むことを固辞しています。
従弟の公任のゴマスリへの怒りがあって更に依怙地になっていたんだとしたら、、
ますます実資が好きになってしまいます!

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?