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自分の育ちを振り返る夏

こどもたち・パートナーと一緒に、夏のお休みを過ごしています。

今回は、帰省中に味わった実家の人々の振るまいと、自分の幼い記憶の振り返り、そこで味わった自分の感情を残します。完全に備忘録。気が向いたら読み進めて下さい。


それぞれの実家に帰省してしばらく過ごさせてもらい、普段は経験できないような体験や、人との関わりを味わっています。

家族は異年齢の集団で、血縁関係や婚姻関係が絡む、普段過ごす社会の中とは違った、自分にとって『濃い』関係。窮屈な事もあるけれど、長期休暇毎に会えることをいつも楽しみにしています。

ヘリコプターペアレンツを自覚して、辞めようと決めてから、初めての長期休暇。まだ口うるさく言ってしまうときもあったけれど、「これ以上はダメだな。後は任せよう」と意識できる様になりました。

以前は私がさせたいことを、本人がやるまで言いつづけていたので、相当嫌がられていました。しかも、嫌々やった後にどや顔で、「ほら、やった方が良かったでしょ?」「なんだ、結局やったんじゃん」等の嫌味までつけられたら…
己のやってきたことに吐き気がします。もうやらない…。


帰省中は、自分なりに意識を強く持って気をつけていましたが、帰省先の人々にとってはそれでもしつこく感じたようで、「そんなに言うもんじゃないよ」とか「子どもたちがかわいそうだよ」とか、色々とご指導頂きました。

我が実家は、『基本放置』。自宅に鍵を掛けたこともないような田舎で、同居家族が10人もいたので、親がこどもたちに構っていられなかった、というのもあったようです。嫁姑、更にはその上もいて、小姑もいる。言い争いに絶えられず、親が実家に帰ったことも何度かあります。

そんな中両親は、身を粉にして働いて、私たちを養ってくれました。感謝しています。

子供たちは基本放置で、大人たち(両親の仲は良かったのですが)が言い争いをしたり、嫌味だらけの会話の中で生活したりしていたので、人間関係をものすごくよく観察する子になりました。損得を考えて振る舞ったり、大人たちの仲を取り持とうと、それぞれの話を聞いて伝え合ったり。何とかしたかったのです。それぞれに謝らない大人たち。言いっぱなしでスッキリする様子。
小学5年生の時に、同級生に指摘されるまで気づきませんでした。
「あなたって、謝らないね。」
謝らない大人たちの中で育つと、こどもも謝らなくなるんです。素直になれない、意見をすりあわせようとしない大人の中で育つと、こどもも頑なになるんです。

世代も入れ替わっていき、大人たちは丸くなる事はありませんでしたが、自分は少しずつ変わっていきました。

この家は変だ。周りと違う。そこから、外に目が向くようになりました。

部活にのめり込んだり、夜に家を抜け出して1人でチャリンコ乗り回したり、周りが見えなくなるほど、恋愛にどっぷりのめり込んだり。

警察のお世話になることはありませんでしたが、大人の目を盗んで色々やってました。

とにかく家にいたくなかった。自分の力で人と繋がって、家の外で人間関係を作りました。
ただ、実家で受けたイヤな感情を、外に向けて相談したり頼ったりは、決してしませんでした。結局は帰るしかない家。否定してしまうと、自分も否定すると思っていたのでしょうか。

物を買って欲しいとか、言い争いをしないで欲しいとか、母に隣で寝て欲しいとか、家の中に向けた要求が伝わらない環境で育ちながらも、外に向けては放任というアンバランスさ。
大人たちも家の異常さを家庭内で我慢し、外ではのびのびやりたい事をする。家族と旅行はせず、よそで海外旅行。


そのうち18歳になり、進学先の関係という口実で、家を出ました。

箍が外れたように羽目を外し、ゲームやチャット、パソコン、サークル、恋愛にのめり込み、フッと興味が無くなるといなくなる。学生時代は本当に自由気ままに生きていました。
自分のずるさや弱さに向き合い、責められもしたし、排除もされた。「猫みたい」と言われていました。

それでもまだ、実家のイヤな記憶を外に出すことはしなかった。


自分が成人して、仕事を始めることになっても、素直に過ちを認めることは苦手でした。ごまかしたままの事もあります。


パートナーを見つけ、家庭を持ってからです。「自分はどんな家庭にしたいのか」を考えなければやらなくなり、イヤでも自分の実家でのことを思い出さねばならなくなりました。
こどもを持つようになってからは、意識しなくても他の家と比べ、なお一層、自分が過ごしてきた幼少時代の記憶が呼び起こされるようになりました。

(以下追記)

1番苦労したのは、「自分は何が嫌で何が辛いのかが分からない。どこから、どのようにして怒っていいのか分からない。」という事でした。来る者拒まず去る者追わず。一見、時の流れに身を任せて、その場に対応しているように感じていた時期もありましたが、私は実はそうではなかったのです。自分が執着したいこと・物・人が、分からないだけだったのです。
はじめに結婚した相手と離婚するとき、はっきりとそれを自覚しました。だから私にとって、1回目の結婚は、とても意味のあることだったと思っています。それがなかったら、何でも受け入れ何でも許し、けれども本心はそうではなく、我慢に我慢を重ねた末、自分自身を見失っていたでしょう。
そこからは試行錯誤の連続。自分の決断に自信が無いくせに、1人で何でも判断しなければならない職場の環境に疲弊し、頭が回らなくなっていきました。

そののち、今のパートナーと共に歩むことを自分で選び取り、2人で家族を作り上げていきました。

(追記ここまで)

そして今。自分が受けていた養育とは、似ても似つかないほど干渉しまくった。

やっと、自覚を伴って、ヘリコプターペアレンツを辞めることができそうです。


新しい自分の居場所で生活し、今回帰省したときに、実家の人々の考え方とはだいぶかけ離れてきたなぁと実感しました。実の親に自身の考えを伝えたときに「お前、面倒くさい子になってしまったな」と言われました。
突き放されたような寂しさも感じたし、もう巣立ったんだなという誇らしさも感じました。


さて、このあと。
自分自身と、パートナーとこどもたちとで、どんな家庭を作っていきたいか。
力ではなく、話し合いでお互い尊重していける関係を育てていくにはどうするか。

私が良かれと思って作り上げる家庭が、こどもたちにとっては窮屈な事もあるのかもしれないけれど。それを知っているのと知らないでいるのとでは、まるで違うと思うから。
こどもたちには折に触れて伝えています。
18歳までは、私たちの家庭で育つだろうけれど、我が家のやり方が間違っていることもある。けれど、信念を持ってやっていることなので、まずはこの家庭で過ごして欲しい。もちろん意見があるときは言って欲しい。将来パートナーを見つけ、自分が家庭を作るときに、自分のやり方でやってみて欲しい、と。


我が家なりに、考え続けて互いに生き続けて行きます。

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