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異動に関するあれこれ その1

 教職のよい点の一つに、組織のフラットさがあると考えていました。
 要するに、「平教員~教頭~校長」という構造になっているということ。
 企業だと(それこそ島耕作の世界ですね)、係長・課長などの役職・ヒエラルキーが多いように感じました。つまり、出世思考とか競争意識の弱い私には、「定年まで平教員でいることができる」というのも、教職に転じた要因の一つでした。
 しかし、地方の公立高校教員になると、もう一つの「ヒエラルキー」があることを知ります。

◆初任の実業高校で…
 東京では、「公立より私立」「学校の先生より予備校の先生」という価値観があります。しかし、地方では異なります。
 「公立学校の先生」というと、相手の対応が変わります。世論・ネットなどでは、「学校の先生」というと「無能・税金で食っているずるい奴ら」などの評価が定番と化していますが、現実世界では結構歓迎されます。
 A県の公立高校教員として採用され、赴任校が決まると、まず家探しとなります。まだネットが普及していない頃ですから、現地に行って不動産屋さん巡りとなります。
 不動産屋さんに、「公立高校の教員」と自己紹介すると、ものすごく歓迎されます。いくつか物件の紹介を受けるうち、「赴任先の高校名(実業高校)」を告げると、顔が若干曇ります。「ああ…」という反応…。
 赴任先は、その地区では学力的に低く、いろいろ大変な生徒さんが多い学校です。そういう学校に赴任する先生は、「学力が低い、教員としての能力が低い、飛ばされた」という認識があるようです。
 個人的には「偏見・先入観」と思いますが、赴任後も、「勤務先の学校名」を告げると対応が変わる、相手が強気になる、見下されるということがありました。

◆普通科の進学校に異動する
 最初の異動は、初任の実業高校から離れた、大きな港のある街の進学校でした。県境の小さな街からA県で2番目に人口の多い町への異動・実業高校から進学校への異動です。
 一応、元予備校講師で、ただ大学院で研究に挫折した身として「大学進学を希望する生徒さんのサポートをしたい」「就職へのパスポートではなく、研究を目的として大学進学する生徒さんを育てたい」ということが教職に転じた大きな理由でした。ですから、「県庁所在地のように塾・予備校などの環境が整っている街」ではなく、「大学受験予備校のない街の進学校」への異動は、個人的な希望を叶えるとてもうれしいものでした。一応、実業高校でも頑張ったことが評価されたという思いもありました。
 しかし、職員室的には、少し異なる風当たりがありました。

◆一部の先生方のお言葉
 異動が公表されると「ご栄転おめでとうございます」と言われるのです。
 「ご栄転??」
 これは、勤務校よりも「偏差値が高い学校」に異動することへの祝福だそうです。そういえば、その年異動する先生方の中で、「いわゆる進学校」に異動するのは私だけです。一度、実業高校に勤務すると、実業高校・学力困難校を回り続けることが多いそうです。そういう中で、「実業高校から進学校」へ異動するのは「栄転」なのだとか…。

◆偏差値的なヒエラルキーの存在
 別の記事でも書きましたが、地方でも「偏差値的な価値観」がかなり浸透しているようです。
 ちなみに、旧帝大を出ている私の父は、「早稲田・慶応なんてのは国立のすべり止め」という感覚。地方で生まれ、地方の旧帝大を卒業して、東京で就職・生活を始めた父の理想は、「わが子を都内の有名私立大学付属高校から東大か、それに準じる旧帝大に進ませる」だったようです(全部裏切りましたが…)。
 地方では、「公立高校に進むだけの学力がなかった、もしくは受験に失敗した生徒さん」が進むのが「私立高校の位置づけ」です。
 つまり、学力的なヒエラルキーの最下位には「私立学校」がある。ここから、公立高校もヒエラルキーにあてはめられる。
 初任の実業高校は、「受け皿の私立を落ちた生徒さんの、さらに受け皿」という言い方をする方もいました。そこから「進学校に抜けた」私に、あまりよい感情を持たない人も少なくなかったです。
 つまり、勤務先の高校の偏差値的価値観が、教員の能力として評価されるのですね。これが地方公立高校のひとつの現実…。
 
 今日の締めくくりに、笑い話のような本当の話。
 当時の私には、いきつけの食堂がありました。
 進学校に異動すると、話しかけられること、雑談などする時間が増えました。
 その後、食堂のある街のトップ進学校に異動すると、明らかにご飯・おかずの量が増えました。明らかに待遇がよいのです。
 まぁ、ありがたいのですが、やや複雑な心境でもありました。
                       (その2へ続く)

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