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小説ですわよ第2部ですわよ2-1

※↑の続きです。
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 昨夜19時ごろ、珍春日市内の路上で異臭騒ぎがありました。近隣住民から「腐ったカレーのような匂いがする」「誰かのオナラが臭すぎる」などの通報を受け、警察と消防が出動しました。
 しかし異臭は確認されず、付近でガス漏れなどもないとのことです。また、異臭が発生する前に、爆発音のようなものが連続して聞こえたとの証言がありますが、詳細は不明です。
 警察は「誰かが信じられないほど大きな放屁をかましたのだろう。そのようなことは人生一度や二度あること。人権やプライバシーを考慮し、これ以上の調査は行わない」と発表しています。
(テレビちんたまのニュース番組より)
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「田代まさしだって!?」
 足を放り出すようにしてソファにもたれていたイチコが、勢いよく立ち上がった。その瞳は、無邪気な少年のように輝いている。
 田代まさし。名前だけは舞も聞いたことがある。一世風靡した超人気タレントだったが何度も逮捕され、現在テレビで見かける機会はない。確か今年の10月ごろに出所したとニュースでやっていたのを見たことがある。
 その田代が特異点――あらゆるマルチアヌスにおいて、たったひとり、あらゆる世界の可能性を操作しうる存在だというのか? そもそも、どうしてマサヨはそんなことを知っている? 田代まさしと田代マサヨ、名前が似ているのは単なる偶然?
 次々に疑問が湧いていくる。にわかには信じがたい。だが本当だとすれば……

「イチコさん、田代まさしを保護しにいきましょう。もう神沼重工の連中が動き始めているかもしれません」
 舞がイチコの肩に手を置く。イチコは真剣な顔でうなずいた。
「うん。本家マーシーを守らなくちゃ」
「…………」
 イチコの言葉にマサヨが一瞬表情を曇らせ、目を伏せたような気がした。が、すぐにイチコの手を取って引き留める。
「焦ることないわ。神沼重工は彼に手を出せない」
「なんで?」
「特異点へ迂闊に干渉すれば、近似並行世界に影響が出る。それがどうのようなものかは未知数で、下手をすれば自分たちの世界に破滅をもたらしかねないの」
「神沼重工は特異点へ自由に干渉する方法を持ってないってことか」
「今のところはね。だから“彼”を追うよりも、神沼重工の動向を探って潰すほうがいいと思う」
 イチコはソファに座り直し、足を放り投げる。
「そうだね。じゃあ作戦会議を始めよう。水原さん、いいよね?」
「はい、大丈夫です。でも、しっかりお給料はいただきますよ」
「ハハッ、助かる」
 今日は12月24日、土曜日。本来ならば休みだが、舞は水曜日に私用で休み をもらっていたので、代わりに土曜の午前だけ出社して書類の整理などをするつもりだった。

「ゴールド、軍団はまだ寝てる?」
 イチコの問いに、ゴールドはキーボードをカタカタと鳴らしながら、心ここにあらずといった様子で投げやりに答える。
「そのはず。もうすぐ起きてくるんじゃない? 午後から侍ジャパンの強化試合があるから……よし、返送者が経営する賭博サイトを潰してやった! ざまあみろ!」
 なぜ一般人が侍ジャパンと試合をできるのか大いに謎であったが、それより舞はイヤな予感に駆られた。
「私が軍団を起こしてきます」
 そして外階段へ出てすぐ、新入りの七宝 珊瑚に事務所専用のチャットアプリでメッセージを送る。

『この件、ひとまずイチコさんとマサヨさんには秘密で。ブルーと2代目おでんつんつんおじさんの身柄を保護してもらうようにします。折をみて事務所のみんなに共有しておいて』

 ブルーと2代目おでんつんつんおじさん(舞は勝手に“つんおじ”と呼んでいる)には、特殊な能力がある。それは対象を指先でつんつんすることで、その物質を分析できるというものだ。舞は、ふたりの能力を使えば特異点・田代まさしに干渉できるかもしれないと考えていた。しかし、それが神沼重工に知れ渡れば、ブルーたちの身が危険にさらされる。そこでふたりに雲隠れしてもらうおうとしていた。
 マサヨはまだ信用できないため、当然このことは伏せる。イチコにも秘密にしたのは、チャットの通知をマサヨに見られる可能性があったからだ。

 舞は階段を上がり、軍団たちが寝泊まりする3階のドアを開ける。
 その瞬間――ドアの隙間から何者かの指先が、舞の胸を突こうとする。舞はそれを掴み、引き寄せる。青いジャージの少年が目をこすりながら姿を現した。
「ブルー、起きてたか」
「おはよ……痛いんだけど」
「あ、ごめん。それより聞いて」
 舞が掴んだ指を離し、事の顛末を伝えると、ブルーはため息交じりに頭をかく。
「困ったなあ、午後から試合なんだけど」
「あんた、狙われるかもしれないんだよ!?」
「しょうがないな……セーフハウスがいくつかあるから、そこに隠れておくよ。場所はあとで伝える。あ、その前に、つんつんさせて」
「ダメ」
「ちぇ~っ。じゃあ、支度するから」
 ブルーは肩を落とし、部屋の中へ戻っていく。

 舞は急いで2階へ戻り「軍団はもう出かけた」と嘘をついた。珊瑚をちらりと見やると、小さくうなずく。こちらの意図を理解してくれたようだ。ゴールドは……
「えー、出かけたかー、それじゃ仕方ないなー、ひとりで寂しいなー」
 ひどい棒読みで驚いた。こちらも珊瑚と情報を共有し、舞の意図に合わせてくれているらしい。事情を知らないイチコだけは、まっとうな反応をする。
「連れ戻したほうがいいんじゃない? 試合は残念だけど」
「必要なら呼べばいいよー。俺が連絡するからー」
「ゴールド、なんか変じゃない?」
「ハッキングばかりしてたらー脳がファッキングしちゃったー気にしないでー」
「……そう? まあいいか」
 イチコはひとまずゴールドの棒演技を飲みこみ、背筋を立てて座り直す。

「じゃあ、作戦会議を始めよう。マーシー、話せる範囲でいいからキミが知っている情報を教えてほしい。異世界に転移したことや、神沼重工のこと」
「わかった。少し長くなるから、甘いものでも食べながら聞いて」
 マサヨは足元のクーラーボックスから、白い包装のお菓子を人数分取り出した。むっちりとした見慣れぬ黄色いゆるキャラが描かれ、でかでかとお菓子の名称が記されている。イチコが目と口を丸くさせた。
「ぬーぼー! ぬーぼーだ! 田代まさしがCMに出てたんだよ。懐かしい~っ!」
「でしょ。20年以上前に販売終了しちゃったものね」
「だったら腐ってんじゃないの?」ゴールドが無遠慮に言う。
「安心して。これは異世界のぬーぼー。田代まさしはCMに出ていないし、販売も終了していない。ちょっとしたお土産よ」
 イチコはマサヨからぬーぼーを受け取り、裏面を確認する。
「すごい、本当だ! 賞味期限が2023年3月21日になってる!」
 どうやら異世界のお菓子なのは確からしい。だが、だからこそと言うべきか、舞は毒などが入っている可能性を考え、イチコからぬーぼーをひったくる。
「お菓子は3時のおやつにいただきましょう。今食べたら、お昼のJリーグカレーがお腹に入らなくなっちゃいますよ」
「うう……そうだね。マーシー、悪いけど戻しといて」
 イチコは親指を咥え、ぬーぼーがクーラーボックスへ戻っていくのを見送った。
「気を取り直して……まずは私が転移した世界のことから見てもらうわ」
「見る?」
「話すより、能力で伝えたほうが早いってこと」
 そう言ってマサヨは、瞼をおろした。
 同時に舞の視界が、いや頭の中が真っ白になっていく――

つづく。