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小説ですわよ第2部ですわよ4-8

※↑の続きです。

「先手必勝ォッ!」
 舞は腰を沈め、眼前に立つ神沼のひとりに飛びかかる。神沼02本人はすでに死亡し、姿を似せたロボットが影武者として統治していることはモヒカン渡部から聞いていた。10体もいるのには多少面食らったが、攻撃を躊躇するようなことではない。
 まっすぐ繰り出した舞の張り手が神沼の顎を捉え、かち上げる。さらに手を滑らせ、指先を神沼の両目にねじ込み、勢いのまま後ろへ押し倒した。生ぬるい感触は、相手がロボットであることを一瞬忘れさせたが、すぐに次の攻撃のための構えをとる。

 しかし他の神沼ロボットたちは一切動じず、テカテカの顔に作り物の笑顔を貼りつけている。そしてロボットの一体が前に出て、不気味に口の端を歪ませた。
「実にアクティブッな闘争心だ。“クロスファイア”と同じだね」
「あ? クロスファイア?」
「かつてこの星にも、そのような心があふれていた」
「クソが!」神沼にスルーされ、舞の語気が荒くなる。
「闘争心は人類の進歩に必要なファクターのひとつだ。敵に打ち勝つため、己を鍛え、新たな技術を産み、敵もまたそれを上回らんと進歩する。支配、略奪、革命、平和、統治、テロ、防衛……ドレスを着替えただけで、同じダンスを踊り続けてきたのが人類史だ」
「で、救世主たる神沼様は、大地のほとんどを砂漠に変えてダンスをやめさせたわけだ。砂の上じゃ、踊るに踊れないもんな!」
 舞はちんたま踊り(ちんたま市伝統の盆踊りである)を踊って挑発してみせたが、神沼は視線を動かすことすらなく話を続ける。
「場にふさわしい踊りというものがある。僕の晩餐会に、争いの心は不要だ。それでは人類は次のステージに行けないのだよ」
「このキモい笑顔だらけの都市が、次のステージってわけ?」
「真に幸福な世界とは、ポジティブッな笑顔によって作られる」
「そこへたどり着くまでの悲しいとかムカつくとか、人間らしい感情から、あんたは目を背けた」
「圧倒的なチカラがあれば、わざわざ愚かさに向き合って時間を浪費することなどない。そのために神沼重工はある。君たちの世界にも、我々の幸福を教えてあげよう」
「余計なお世話だゲロカス。あんたの好き勝手にさせない」
「ほう。で、どうする?」
「こうするんだよ!」
 舞は白鵬式のかち上げ(という名のエルボー)を、目の前の神沼ロボに叩きこむ。気持ち悪いテカテカ幸せフェイスが、スパークをあげて粉砕された。他の神沼ロボたちは微動だにしないが、舞は容赦なく次々に攻撃をかましていく。
 すべての神沼がスクラップになり、床一面がオイルの海になったところでピンキーセプターがヘッドライトを光らせる。
「お見事です。しかし、転移手段を知るために1体は残しておくべきだったのでは?」
「あ、やっちゃった……腹立つ顔してるから、つい」
「お察しします」
 テスラ缶の効果が切れ、冷えた頭で舞は次の行動を考える。転移手段を得るために、まずはこのビルを調べるべきだろう。というより、他に手がかりはなかった。

 ひとまず、だだっ広い部屋の中央に置かれたデスクから調べようと手をかけたときだった。
「そのアクティブッさは危険だ」
「クリエイティブッではない、破壊の精神」
「真なるポジティブッな心を、君にも植えつけなくては」
 ドアが開き、またしても神沼の影武者ロボットたちが、同じような顔を並べてぞろぞろと部屋へ入ってくる。数は先ほどの倍以上、20体……いや30体はいるだろうか。しかも今度は銃器らしき物体を抱えている。
 舞は身構えるが、テスラ缶の効果の反動で思うように力が入らない。そこでピンキーが自ら方向転換し、神沼ロボの群れと正対する。
「水原様、戦闘許可を」
「スカラー電磁波で無力化できそう?」
「いえ、危険です。こいつらなんかに心を与えれば、数十人の犯罪者ができあがるだけです。神沼01が無数にいるとお考えください」
「……おぞましいね。戦闘は許可。真っ向からやろう」
 ピンキーがエンジンをうならせると同時に、神沼ロボたちが一斉に銃口を向ける。咄嗟にピンキーは車体を、舞と神沼ロボのあいだに滑りこませる。直後、青白い光が続けざまにフラッシュする。神沼ロボの銃器から発射されたものだろう。
「ピンキー!?」
「う……あ……しゃ、喋れ、な……」
 外部に損傷はなさそうだが、異変が起きていることは明らかだ。
「ピンキー、ピンキー! 神沼ァ、てめえ何をした!」
 舞はピンキーセプターの車体越しに、神沼ロボを睨む。
「反スカラー電磁ビーム。心を制御する作用がある。『Hな聖地♪』に行ったのが仇になったね」
 神沼ロボたちは銃口を前に向けながら、壁となったピンキーを回りこむように移動して舞へと標的を定める。舞はどうにか全身を奮わせ、デスクの裏に身を隠した。

「あいにく、反スカラー電磁ビームの効果は一時的でね」
「君たちは工場でポジティブッにリメイクする」
「クロスファイア2号機と、そのサポートロボットとして」
 神沼の声が輪唱のように響き、舞は頭痛を覚えたが、声を振り絞る。
「クロスファイア?」
「我らが巨神の生体コアだ。反射や姿勢制御といった身体操作にはAIより、人間の脳が効率的でね」
「お前らの兵器になるなんて、死んだも同然だな」
「死も同然……フフ、悲しむだろうねぇ。彼女が聞いたら」
「彼女って、まさか……!」
「そう、田代マサヨ。クロスファイア1号機だ。コロッケそば好きのポンコツは、そのサポートロボにしてやった」
「なっ! よくも……よくも、お前らァ!」
 マサヨと愛助の異変は、神沼たちによって尊厳を踏みにじられたからだった。舞の頭が一瞬真っ白になり、脳から怒りとアドレナリンが爆発する。しかし今、身を乗り出したところで勝ち目はない。歯を食いしばり、時間稼ぎのために会話を続ける。
「マサヨさんがアヌス01へ戻ってくるまで半年間かかったのは、改造されていたから?」
「ああ、肉体の拒絶反応を抑えるのに時間を要した。だが空白の半年間のおかげで、君たちの不信感を煽れたのはポジティブッな不幸だったよ」
「フン、疑念を抱かせたんだからミスでしょ」
「どうかな。君たちはポジティブッとネガティブッのあいだで葛藤したはずだ。田代を仲間だと信じたい、だが敵かもしれない。その揺らぎが結果的にネガティブッな事態を招いた」
「くそっ、ネガポジネガポジうるせえんだよ!」
 舞は論理的な反論に窮した。神沼が指摘した通り、マサヨへの疑念から事務所のメンバーはバラバラに動かざるを得なかった。そしてマサヨを信じたいという想いが隙を作ってしまった。
「話はもういいだろう。抵抗はやめて、僕らについてきたまえ。このビルは間もなく、アヌス01へ向けて発射される」
「この浣腸みたいなビルが? いや……浣腸だからか!」
「フフ。神々のケツ穴をこじ開け、腸を進むためには、あの形状がベストであるとスーパークリエイティブッコンピューターが答えを導いたのだよ」
 神沼ロボたちが止めていた歩みを再開し、舞の隠れるデスクへとじわじわ迫ってくる。ピンキーが動けない今、絶体絶命のピンチだ。しかし、このビルごとアヌス01へ帰るチャンスでもある。

 舞は意を決し、分の悪い賭けに出ることにした。マントの中をまさぐり、モヒカン渡部からもらった手榴弾を懐から取り出す。ベルトとホルダーをいくつもジャージに巻きつけ、武器を隠しておいたのだ。舞は手榴弾のピンを抜いてデスク越しに放り投げる。
「ベラベラ喋ってくれてありがとよ、マヌケ!」
 すかさずホルダーから拳銃を抜き、安全装置のロックを外す。轟音を伴って閃光と煙が巻き起こると、デスクから上半身を出して神沼ロボの心臓に狙いを定めた。
「くらえっ!」
 人差し指に力をこめて引鉄をしぼる。衝撃に両手首が跳ね上がり、弾丸は狙いから逸れた。しかし偶然にも、神沼ロボのテカテカフェイスをぶち抜いた。舞は拳銃を構え直し、銃口を次の神沼へ向けてスライドさせる。
 だが運だよりでは、ここまでだった。青白い光が舞の胸を四方八方から貫く。痛みも出血もない。なにかが触れた感触すらない。それでも舞の肉体は反スカラー電磁ビームによって異常をきたし始めていた。
「う、ご……かな……」
 急激な脱力によって拳銃を支えることができず、舞はその場に両ひざをつく。
「く……あ……」
 悪態をつくことすらできない。というより、なにを叫べばいいのかすらわからなかった。抗い、戦うという概念そのものが、頭からスッと漏れ出ていく。しかもその感覚は、眠りに落ちるような快感を伴うものだった。
 舞は集まってくる神沼たちを、口を開けてただ見ることしかできない。
(ここまでか……)
 悔しさが生まれてこない。そもそも悔しさとはなんだったか。闘争心だけでなく、それに付随する感情も消えていく。
 神沼がふたりがかりで、舞を両脇から抱えズルズルと引っ張る。別の神沼はピンキーのドアを銃床で殴り始めた。
(私とピンキーは“神沼様”の手で生まれ変わるんだ。ネガティブッな感情から解放された、新しい存在に)
 こんなことを思う自分に驚いたが、その驚きの念さえも幻であったかのように消えていった。

 しかしドアまで引きずられたところで、神沼たちが一斉に動きを止めた。元より表情は固定されているが、身体の動きまでが不自然に固まっている。そして爆発音と共に窓ガラスがびりびりと揺れた。その向こうからは黒い煙があがっている。今の舞にも「なにかが起きた」ということは理解できた。
「……すかぁ?」
(えっ、なに?)
 ピンキーセプターから、ザラザラとした音声が流れてくる。
「水原さぁん、聞こえますかぁ?」
(渡部さん……?)
 間違いない。ねっとりした口調はモヒカン渡部だ。ピンキーが無線を受信したのだ。
「今ぁ我々はぁ、チンタマグレートアリーナを襲撃しぃ、地下にある神沼のコンピューターを破壊しましたぁ」
(グレート……アリーナ……)
 舞が住む世界にも同じ建造物がある。スポーツやライブコンサートなどが毎週のように催される、関東でも最大級の多目的施設だ。この世界における役割はわからないが、地下にはロボットを制御するコンピューターがあるようだ。神沼たちが止まったのは、その影響らしい。
「ですがぁ、まだコンピューターはあるみたいでぇ、我々はそれを破壊しに行きますぅ」
(破壊……)
 舞の真っ白な思考の海に、赤黒い火が灯る。決して美しくはない醜悪な色。だが人間らしい感情。その欠片がよみがえってきた。
「死者同然だった私たちをぉ人間に戻してくれたのはぁ、水原さんの闘志ですぅ。あなたの勇気がぁ、皆を立ち上がらせてくれましたぁ。我々もぉ、共に戦いますぅ!」
(たた……かう……戦う……そうだ!)
 舞の思考一面が赤黒く染まる。闘争心の色、血の色、生きている人間の色。
「こんなところで終われるか!」
 舞は肩に回された神沼の手を振り払い、立ち上がった。テスラ缶の反動と反スカラー電磁ビームの影響で、まだ足元はふらついている。姿勢を整えたところで、神沼たちがハッと我に返ったように動き出す。
「コンピューターが破壊されただと? だが、ひとつだけでは完全に……」
 神沼たちが銃口を向けようと銃器を持ち上げようとするが、そこで動きが再び止まってしまう。同時に遠くで爆発が何度も起こった。渡部たちが他のコンピューターも破壊しているのだろう。
「こ、このままでは、世界がネガティブッに……」
「黙れ!」
 舞は拳銃の銃床で、神沼の脳天を叩き割った。
「なにがネガティブだ、ポジティブだ。人間をナメるな!」
 呼応するかのように、ピンキーセプターも勢いよくドアを開け、そばにいた神沼を吹っ飛ばす。
「自動車もナメないでください!」
「やるよ、ピンキー!」
「了解!」
 ピンキーセプターが神沼数十体をまとめて轢き飛ばし、残った神沼を舞が拳銃で仕留める。そして弾切れとなった銃を捨て、舞は最後の1体となった神沼へ突進し、
「必殺“のど輪”だぁっ!」
 喉を掴んで持ち上げ、渾身の力をこめて床に叩きつけた。

「フフ……ンフフフフ……」
 倒れ、天を仰いだまま最後の神沼が笑う。
「憎悪や闘争心だけでは、僕たちを倒すことはできない」
「なに?」
「すでに君たちの世界へ尖兵は送りこんだ。このビルも間もなく転移する。そして巨神は目覚め、アヌス01はポジティブッ! アクティブッ! クリエイティブッ! に再統治される。神沼の本体は死に、コンピューターもすべて破壊されるだろう。それは認めるよ。だが手遅れだ。アヌス01を母体として、アヌス02、いやすべてのマルチアヌスは僕の理想とする幸福で満たされる」
「そんなもの、止めてみせる」
「やれるものなら、やってみるがいい。虚空に拳を振りながら愚かに戦い続けろ。すべてが終わったとき、残った醜い世界で君たちは気づくだろう。僕に委ねればよかったと」
 顔をテカらせ、笑みを浮かべたまま神沼は動かなくなった。
 神沼の言い分にも一理あるなと舞は思ってしまった。自分が戦い続けられたのは、敵が許せぬ者だったからだ。闘争心を燃やす糧となるのは、奪われることへの憎しみや怒りだった。しかし憎悪をぶつける相手は、もういない。今アヌス01を侵略しようとしているのはマサヨと愛助だ。自分は果たして戦えるのだろうか。戦えたところで、マサヨたちを殺すことにならないだろうか。そうなったら……残るのは虚しさだけだ。あるいは耐えられぬ罪悪感に襲われるだろう。確かに神沼が言う通り、思考と感情を停止させた偽りの幸福に心を委ねるほうがマシかもしれない。
 そんな舞を見透かすかのように、ピンキーがクラクションを鳴らす。
「舞さん、気をつけてください。ゲロ沼なんかの言うことを真に受けているようじゃ、そのうち胡散臭い占い師やマッサージ師に騙されてしまいますよ」
「でもさ」舞はムッとして返す。
「敵か倒すためにしか戦えないのは、ゲロ沼のようなロボット人間だけです。心あるものは、同じ心を救うために戦えます」
「救う……」
「そう。親愛なる人々が、心から笑える世界を」
 舞は思い浮かべた。イチコ、軍団、綾子、岸田、珊瑚。母に妹。大学からの友人たち。モヒカン渡部や、ハマちゃんをくれた女の子。マサヨや愛助も。誰もが、それぞれに、笑っていた。それらに触れたとき舞も笑顔になった。そんなことを想像していると胸がじんわりと熱くなる。ピンキーの言うことがよくわかった。
「そうだね。大事なことを忘れてた。難しいことだけど……救おう。みんなを!」
「はい!」

 と、ビル全体が激しく上下に揺れ、舞はたたらを踏んだ。爆発や地震とは違うと直感的にわかった。スピーカーから機械音声のアナウンスが流れてくる。
「間もなく、本ビル“アヌスブレイカー”は転移に突入します。人間は即座に退去してください。繰り返します――」
「直球で最悪なビル名だ……」
「でもこれで元の世界へ帰れそうですね」
「うん。こっちの世界も渡部さんたちが取り戻してくれそうだし。そうだ、ピンキー。こっちから渡部さんたちに通信できる?」
「可能です。音声は拾っていますので、いつでもどうぞ」
「ありがと。え~、オホン。こちら水原。渡部さん、渡部さん、聞こえます?」
「水原さぁん! ご無事だったんですねぇ」
「色々ありましたけどね。どうにか元の世界へ帰れそうです。そっちはどうですか?」
「こちらもぉ、あと少しでぇ、すべてのコンピューターを破壊……うおっ!」
 銃撃が渡部の言葉を遮った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「はぁい。敵の抵抗は続いてますが、戦力は着実に減っていますぅ。どうか我々のことはお気になさらずぅ」
「わかりました。来てくれて、ありがとうございます。嬉しかったです」
「お礼を申し上げるのはぁ、こちらですぅ。あなたのおかげでぇ、皆が立ち上がれましたぁ。あなたはぁ、やはりぃ、光の人ですぅ」
「いえ。立ち上がったのは、皆さんの中に抗う意思が残っていたからですよ。大体、救世主なんて胡散臭いものは御免です」
 「あはは」と渡部がねっとり笑ったところで、アナウンスが再び流れる。
「転移までのカウントを開始。10、9、8……」
「あ、なんかもう転移しちゃうみたいです! 渡部さん、お世話になりました!」
「ご武運をお祈りしておりますぅ。そちらの渡部さんにも、よろしくお伝えくださいぃ」
「3、2、1、0。転移します」
「あ、はい、必ず!」
 テンパって、できもしない約束をしたところで無線が切れた。
「ビル全体が電磁シールドのようなもので覆われ、外部との通信が遮断されたようです。あんな約束しちゃってよかったんですか?」
「いやあ、どうにかして渡部陽一に会わないと」
「会ったところで、向こうは意味不明でしょうけどね」
「困ったなあ」

 呑気な会話は、下から突き上げる揺れによって終わった。一瞬、身体が羽根のように軽くなり、胸がくすぐったくなる。ビリビリと振動する窓の向こうを見ると、並ぶビル群が沈んでいった。正確には、このビルが浮上して景色が下へ流れていっているのだ。続けて上下左右に激しい揺れが起こり、舞はピンキーにぶつかる。
「水原様、私に乗ってください」
「うん。本当に転移できるのかな」
「それは神沼のみぞ知る、です」
「せめて神々のアヌスに祈ろうよ」
「ですね」
 突然、外が真っ暗な闇に包まれる。チンタマ上空のアヌス内に突入したようだ。ジェットコースターがうねるレールを走るかのごとく、右へ、左へ、上へ下へと、身体が慣性に引っ張られる。裏腹に景色は暗闇のまま変わらず、脳が状況を正しく把握できないでいた。
「い、今は神々の腸を進んでる……んだよね?」
「はい。この感覚は間違いありません」
 10分ほど奇妙な揺れが続いたあと、外へかすかな光が差しこみ、アナウンスが流れる。
「間もなく、アヌス01・ちんたま市の上空に転移完了します」
「いよいよか……」
 舞は帰還できる喜びだけでなく、不安を抱えていた。アヌス01はどうなっているのか。事務所のみんなは無事なのか。もしかして、すでに……しかし考えても仕方ないことなので言葉にはしなかった。
「アヌス01に突入します。重力逆転にお気をつけください」
「へっ?」
 車体がひっくり返り、何度もバウンドして、室内の壁に激突した。転移を開始したときと逆に、身体がズンと重くなり、引っ張られる。舞はピンキー共々ひっくり返ったまま、その重力を感じた。
「ね、ねえ、ピンキー。これって……」
「ビルの浣腸部分からアヌスへ突入し、浣腸部分を先端にしてアヌスから出る。つまり我々は逆さのまま、アヌス01に着地するということです」
 メリメリと何かを“こじ開ける”ような音が聞こえ、窓の外が青色に変わる。アヌス01の空へ出たのだ。今度はスポンと排出するような音がして、重力が一気に増す。
「うおおおおっ!?」
「うああああっ!?」
 窓の外がモヤのような白い煙に覆われる。雲の中に入ったらしい。かと思うと、またすぐに青い空へと変わる。窓ガラスに大気が叩きつけられ、今にも割れそうだ。舌を噛みそうになりながら、舞はピンキーに問う。
「ひ、飛行機ってさ」
「はい」
「着陸するとき、少しずつスピードを落とすよね」
「ええ」
「このビル、スピード変わんなくない?」
「変わってませんね」
「ヤバくない?」
「ヤバイです」
「どうしよう」
「神々のアヌスのみぞ知る、です」
「最っ悪っ!」
「本ビルは、ちんたま市に“着弾”します」
 舞の叫びに、非情なアナウンスが追い打ちした。

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「え~、本日はですね。まあ珍しいお方です。あーた、出る番組もチャンネルも違うじゃないですの」
「細かいことはいいじゃないですか、徹子さん。長い付き合いでしょ」
「まったく突然現れるもんですから、困っちゃいますね。というわけで本日のお客様は、ボッシュートされた“ひとしくん人形”でございます。よろしくお付き合いください」
(某国民的トーク番組・正月特番のオープニングより)
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 意識が飛びそうな衝撃のあと、舞はピンキーごと、ビルへ突入した際に開けた穴から外へ放り出された。ピンキーは空中でガスを噴射しながら姿勢を正し、ゆっくりと着地する。
「帰ってこられたんだよね」
「そのようです」
 舞が降車すると、紛れもない“ちんたま市”の光景が広がっていた。ちんたまグレートアリーナも、他のビルも、先端が浣腸のように尖ってはいない。といっても逆さになった神沼のビルがクレーターを中心に地面へ突き刺さっっており、驚き慌てふためくはずの市民が見当たらない。車が通る様子も一切ない。街全体が静止している。異常事態が起こっていることは明らかだった。
「ひとまず事務所の人たちに連絡するね」
 舞はスマホを取り出したが、1日半以上も充電していないので電源が切れてしまっていた。ピンキーに頼もうと声をかけたとき、後方でアスファルトをこする音がした。敵に見つかったか!? 振り返ると――
「水原さん! ピンキーセプター! 無事だったんスね!」
「つんつんしていい?」
 レッドとブルーだ。生きていたのだ。舞は喜びに声をあげ、駆け寄りたかったが、それはできなかった。代わりに出たのは悲鳴であった。
「ぎゃあああああああっ!?」
 レッドとブルーはいつもの色ジャージではなく、赤と青のスリングショットの水着を身に纏っていたのだ。身に纏うという表現は正しいのかはわからない。なにせ股間と乳首がV字に隠れているだけで、ほぼ裸である。
「オレたち!」
「業務外スカラー電磁波倶楽部!」
 レッドとブルーは身をかがめ、両手を突き出して構えをとる。股間部分の水着がゆるんで今にも見えそうになり、舞はまた絶叫した。

つづく。