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小説ですわよ第2部ですわよ1-2

※↑の続きです。

※神沼重工については、↑をご覧ください。

「この世界が狙われている……?」

 イチコは疑問と共に、マサヨへの抱擁を解て一歩下がる。舞はなぜだかホッとした。途端に外気の寒さが身に染みて、蕎麦で温まった体温が冷め始める。
 マサヨは猫のように、いたずらっぽい笑みで言う。
「“神沼重工”に気をつけて」
「えっ?」
 舞は神沼重工の名に聞き覚えがあった。午前中の仕事で返送した老婆が、神沼重工なる兵器製造会社が支配する世界から帰ってきたと語っていたからだ。
「“ここ”と近い歴史を歩んだ世界を牛耳ってるんだよね」
 イチコが真剣な表情で問い、マサヨはウェーブのかかった黒髪をかきあげて応える。
「知ってたのね。そういうこと」
「マーシー、ひょっとして君はその世界に……」
「うん。気がついたら転移してた」
 マサヨの顔に影が落ちる。
「想像してた異世界とは違って、こっちに近すぎたから逆に戸惑った。でも、あそこは私にとって氷の地獄だった」
「ごめん、マーシー。わかっていたなら……」
「いいの、イチコ。誰にも、どうすることもできなかった」
「でもさ、こうやって戻ってきたからには!」
 イチコがマサヨへ、下がった一歩を再び前へ踏み出す。舞の心臓が理由もなく高鳴った。しかしマサヨは手を突き出し、イチコを制止する。
「また会いましょう、イチコ。そして……あなたは?」
 舞は急に視線を向けられたので、反射的にペコリと頭を下げる。マサヨの視線は猫のようであったが、好奇心に瞳を煌かせる可愛らしいものではない。近所のネズミを狩るような、野生本能を感じさせるものだった。
「み、水原 舞です」
「水原さんか……イチコをよろしくね」
「は? えっ? あ、はい」
 舞はコクコクとうなずき返した。しかし心の奥底では、事情があるとはいえバイトをバックレた女が、偉そうにイチコを託してきたことに腹がたっていた。
「あ……れ?」
 一瞬、怒りに囚われていたあいだに、マサヨの姿は消えていた。一切の音もなく、みぞれ雪のなか足跡もなく。イチコも目を皿のようにして周囲をキョロキョロと見まわしている。
「前の相棒が帰ってきたんだけど……幻覚じゃないよね?」
「確かにいましたよ。でも消えました」
 舞はイチコの問いへ、事務的に応える。意地悪をしようとしたつもりはなく、ただ咄嗟に出てしまった。舞はすぐに気づき、抑揚をつけて応える。
「な、なんだったんですかねえ? 急にバックレたのが異世界に召喚されたのなら、そこで得た能力が急に消えるとか!? よくわかりませんけど、ははは」
 イチコは直接答えず、舞の顔を覗きこんでくる。
「水原さん、大丈夫?」
「ええ、私は」
「そっか……色々気になりすぎるけど、今のことは姐さんに報告して、私たちは午後の仕事に移ろう」
「社長はお休みですから、岸田さんや軍団のほうがいいのでは?」
「ああ、そっか」
「はい」
 舞は改めてイチコにグータッチしようとしたが、イチコはそれに気づかず駐車場のハイエースに乗りこんでいく。あかぎれ交じりの拳は空を切り、冬の風がチクリと染みた。

 午後は色々とバカな返送者どもに遭遇したが、特に支障なく仕事をこなした。最後の仕事は裏筋市から離れた珍春日ちんかすが市だったので、事務所へ着くのは定時を過ぎた18時ごろになりそうだった。舞はイチコの厚意で、助手席で眠りることにした。

 しかしどれほど眠ったか。急ブレーキの衝撃で頭を前後に揺すられ、舞は目覚める。ジャージの袖でよだれをぬぐい、舞は隣のイチコを見やった。
「ごめん、なんかヤバイのが前にいる」
 イチコの視線を追う。その先には……巨大な機械の蜘蛛と呼ぶべき物体がハイエースのライトに照らされていた。

 全高4メートルほど、舞の知る蜘蛛と違って脚は4本。蜘蛛の背中に当たる部分にはカメラアイらしき球体が赤く光り、他にも機関銃やミサイルランチャーのようなものまで付いている。いつかどこかで見たことのあるような機械蜘蛛が、カメラアイを2~3度赤く光らせる。舞は虫がそこまで苦手ではなかったが、直感的にこれは“狩られる”という危機感が背筋を走った。
「イチコさん、これ……」
 言い切る前に、イチコがアクセルを踏んだ。薄暗い車内だったがイチコの顔色は真っ青だとよくわかった。
 同時に機械蜘蛛の機関銃の銃口らしき(というか機関銃である)穴が素早く何回も光を放ち、やや遅れて轟音が耳をつんざく。機械蜘蛛が発砲してきたのだ。直後、車体が揺れ、ガラスの砕ける音が何度も響く。イチコが反射的にハンドルを切り返し、ハイエースの車体を機械蜘蛛に対し横へ向けたことで、攻撃を後部座席へ逸らしたのだった。

 舞がサイドミラーで確認すると、機械蜘蛛は銃口を運転席へ向けて修正し始めた。
「イチコさん、とりあえず横の道を突っ切って逃げましょう」
 幸い道路の両端は、建造物などはない。しかしイチコはアクセルを踏むこともハンドルを切ることもなかった。
「無理……両端は田んぼだよ。農家の皆さんに申し訳ない」
「あとでお詫びに、お米や野菜を送ればいいじゃないですか!」
「わかる! わかるけど! そういう問題じゃない気がする!」
「そういう問題ですよ! 私が明日、農協に話をしますから!」
「農協にコネあるの!?」
「ないですけど」
「じゃあ、まずい」
 ウィィィン……と、うねるような機械音が響く。蜘蛛の銃口は、こちらの運転席を完全に捉えていた。

つづく。