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小説ですわよ第2部ですわよ4-3

※↑の続きです。

「ここが鳥取砂丘だったらいいな……」
 舞はひとりで呟いた。鳥取であれば数時間かけたら事務所へ戻れる。が、それは現実逃避に過ぎない。
 少なくとも、ここは舞の知る世界ではないことは、文字通り肌で理解した。空気が乾き、日差しが刺すように熱く痛い。その光源となる太陽は、ふたつ連なっている。舞は海外に行ったことがないのでわからないが、中東や南アフリカは湿度が少なく、アジア圏の暑さとは別だと聞いたことがある。
 とはいえ、冬用のコートは邪魔だ。どんどん汗があふれ、乾いた空気がすでに喉を乾かせているのでコートを脱ぎ、ピンクの上下ジャージになった。

 さて、これからどうするか。前方にビル街のようなものが揺らいで見える。あれが蜃気楼だとはわかっているが、他に目標となるものはないので、歩き始める。
 熱砂は残酷だった。ピンクのスウェットに覆われていない、手先や顔を弱火でじっくりと焼いてくる。一歩一歩踏み込むたびに、足元の砂がスニーカーに入ってきて、靴下越しに肌を痛めつけてくる。
 なにより砂は踏んだときは衝撃を吸収してくれてラクに思えるが、すぐに衝撃を反射して膝に負担がかかる。歩きなれていない人間には地獄だ。ランニング程度の運動を日課にするか、自転車で事務所に通っておけばよかったと舞は思った。

 やがて二連の太陽が傾き、黄色を帯び始める。昔、一度だけ卵を割ったら黄身がふたつあったことを思い出した。そして妹と喜んでオムライスを作ったのだが卵を焦がしてしまった。もう妹は可愛げなどなく、男と遊び歩いているが、それでも会いたい。姉妹を見守ってくれた父と母にも。
 感傷に浸っていると、後方からリズミカルに砂を突きさす音が耳に入ってくる。ササ、ズササササ。それらが微妙にズレて幾重にも聞こえてきた。なにかが複数、後ろから近づいている。気だるさを振り払い、舞は後方へ頭を回す。

 蜘蛛だ。あの機械蜘蛛が何体も、多脚をうごめかせながら近づいてくる。火照った舞の背筋に、冷たいものが一瞬走った。だが当然それは肉体の温度を下げるものではなく、むしろ緊張と絶望で身体を火照らせる。事務所のみんなで――あとはビーバー店長――総力をあげて、ようやく1体を沈黙させた機械蜘蛛が、群れを成して走ってくる。今の舞にはどうしようもない。
(だけど……死ぬなら1体でも道ずれにしてやる!)
 舞は最後の力を振り絞って、腰を落とした。残されたものは相撲しかない。もちろん巨大な機械兵器に通じると思っていないが、抵抗を示すことが舞の矜持だった。
 ササ、ズササササ、ガササササ。同じリズムの多重奏が、舞へと迫る。蜘蛛たちの頭部が蠢き、カメラアイが赤く光る。同時に舞はそのうちの一体へと走り出す。
「うおあああっ! くそったれどもがぁぁぁっ!!」
 膝の負担も、暑さも、熱さも関係ない。勝てるかどうかも知ったことじゃない。奪おうとするものに、どう抗うか。それこそが人生において戦う意義であると舞はわかっていた。

 その決意に同調するかように、声が響く。
「諦めるな」
 甘ったるく、それでいて落ち着きがあり、なにより知性を感じさせる男の声だ。
(王子様!?)
 本能的に、舞の胸が高鳴る。同時に、舞の後方からロケット砲の弾幕が頭上をすり抜け、機械蜘蛛の群れに命中する。
 閃光、爆発――煙が晴れると、蜘蛛は各部を損傷し、スパークを発していた。
「ナリ……ナリ……ナリタイ、ナリ……ワガハイタチモ、アレノヨウニ……」
 機械蜘蛛の群れはカメラアイを赤く明滅させ、踵をかえして退却していった。“蜘蛛の子を散らすように”とは、まさにこれのことか。

 とにかく助かった。舞は安堵の息を吐き、ロケット砲が飛んできた方向――元々、舞が進んでいた方向――へ振り返る。
 地平線を覆い隠すかのように砂煙があがり、暴力的なエンジン音と共にいくつもの車両が雪崩れこんでくる。バギーにジープ、トラック、サイドカー付きのバイクなど、多種多様な車が入り乱れていた。そのどれも、鋼鉄製のスパイクや、カラーギャングのようなペイントなど“荒くれ仕様”に改造されている。おまけに搭乗者はスキンヘッドならまだマシで、大半がモヒカン、その他少数は電撃ネットワークの南部みたいな中央剃りヘアと、ロクなものではない。
 昔、父が土曜の夜中に、こっそりと映画をみせてくれたことを思い出した。荒廃した世界の砂漠を、甘いマスクの外国人と犬が旅し、クッソ下品な改造車に乗ったモヒカンどもと戦う映画だ。それが父のお気に入りであるらしかった。しかし母が起きてきて「こんな汚らわしい映画を観てはいけません!」と怒鳴るので、最後まで観たことはなかった。というより幼かったゆえに詳しい記憶がない。だが世界が滅んだという、ありえないはずの設定が妙に印象深い。

 そんな映画の登場人物みたいなチンピラ車両が迫る。舞は「諦めるな」と甘ったるい声で励ましてくれた”王子様”を探そうとした。が、それより早く車両の一段が舞の近くで停止し、先頭車両のバギーから青いモヒカンの男が降りて、舞にゆっくりと歩み寄ってくる。
「ああ、ご無事ぃですかぁ? ようこそぉ、お待ちぃしておりぃましたぁ」
 モヒカンは渡部陽一のようなネットりした口調で喋りかけてきた。その声は、さきほど聞こえた“王子様”であった。
 舞は異世界でスケベ根性を出してはいけないと反省しながら、モヒカン渡部に問う。
「私を……待っていた?」
「はいぃ。あなたがぁ”光の人”ですよねぇ。ようこそぉ、アヌスゥ02へ」
「光の人? ここがアヌス02?」
 舞はオウム返しで、相手の反応を引き出そうとした。
「はいぃ。あなた様はぁ光の人ですぅ」
 モヒカン渡部はニッコリ笑うだけだった。
 舞は会話の通じなさと、寝不足と、暑さと、疲労から視界がグラつき、両ひざをついた。それを王子様ボイスのモヒカン渡部陽一が支える。
「近くのぉ集落にぃ、案内しますからねぇ」

 つづく。