見出し画像

小説ですわよ第3部ですわよ1-3

※↑の続きです。

 舞は赤信号に差し掛かり、ピンキーを止めた。その深呼吸から真剣な話だと察知したのだろう。ピンキーは車内に流れる吉田拓郎の『落陽』のボリュームを自ら下げた。舞は短く息を吐き、意思を表明する。
「イチコさん。ギャルメイドの件、バックレちゃいましょうよ」
「う~ん」
 うつむき、両手の指を絡めて弄びながら、肯定とも否定とも取れる応答を返してきた。カーナビのモニター横に立てかけられた舞のスマホ画面で、上羅かみら綾子が椅子に深くもたれかかる。

 舞たちは宇宙に優しいギャルメイドの件を、探偵社の社長である綾子にビデオ通話で報告していた。事務所に戻って話さなかったのは、今日の仕事――返送者の対応が急を要するものだったからだ。
「この件は仕事じゃない。イチコ、あなたが決めていいのよ」
「う~ん」
 綾子の気遣いにも煮え切らない反応。無理もない。いきなり『この世界に留まれるのは、あと1年との宣告。さらに失った記憶を取り戻す任務を与えられた』となれば、混乱するのは当然だ。舞だって自分がイチコの立場なら、すぐに答えを出せないだろう。

 綾子は、気だるげに葉巻(実は、形を似せたチョコレートである。綾子が社長らしい振る舞いを見せたいときに持ち出す)を咥える。
「まあ、身体を動かして、美味しいものでも食べれば、そのうち答えは出るでしょ。とりあえず今日の仕事はしっかり頼むわね」
 綾子が指をパチンと鳴らすと、ビデオ通話が途切れる。ちょうど信号が青に切り替わったので、舞はゆっくりアクセルを踏みこんだ。

----------------------------------------------------
▼名前:如宇 勝太にょう かった
▼年齢:33
▼性別:男
▼職業:剣術道場(尿道無勃にょうどうむたち流)の師範・経営者
▼能力:超高圧の尿を放射し、あらゆる物質を切断する
▼状況
8:27 道場内で如宇の能力が暴走しているのを確認。
8:28 ピンキーが能力で切断されかかり、一時退避。
8:30 如宇の暴走原因が尿道結石であると判明。
  ピンキーが衝撃派を発生させ、結石を除去。
8:40 如宇に悪意はなく、返送は不要と判断。
  本格的な診断および治療のため、ちんたま市立病院へ移送開始。
9:11 病院へ移送完了。

▼備考
 尿道無勃にょうどうむたち流とは、如宇が異世界から帰還後、新たに創設した剣術の流派。呼吸を主とした身体操作によって尿道を収縮させ、尿を超高圧のウォータージェットとして発射する。剣を用いぬ剣術。なんと超常能力に類するものではなく、如宇が異世界で修行の果てに会得したとのこと。ゆえに一般市民でも鍛えさえすれば、性別を問わず使うことが可能。
 武器を以て威嚇するのではなく、無手で相手との相互理解を試みることが流派の最終目的であり、技を用いるのは己と愛すべき者を守るためだという。荒れ果てた現代において、如宇は愛を体現せんとする崇高な精神の持ち主であり、返送すべきではないと判断した。
 しかし道場がションベンくさすぎますね。
(69ピンキーセプターの報告書より)
----------------------------------------------------

 舞たちは如宇を病院に届けたあと、尿道無勃の道場に戻り、後片付けを手伝った。本格的な修繕作業は、事務所が抱えるバックアップチーム――軍団――や業者に任せ、昼食をとることにした。道場はむせかえるほどのアンモニア臭が立ちこめ、食欲は湧かない……と思っていたが、肉体は正直だ。正午を迎えた途端、腹が鳴った。
 いつもの蕎麦屋に行きたかったが、今日は臨時休業だ。大将に初孫が生まれたらしい。そこで道場の近所にあるという、イチコの別の行きつけに足を運ぶことになった。
 『洋食 イエロー』。大通りから一本入った先に、その店はあった。黄色い看板に、年季を感じさせる煤けた木の扉をかまえる洋食屋だ。
 舞は店の名前から軍団のメンバーであるイエローを連想した。安直だと思ってわざわざ口にしなかったのだが、なんと本当にイエローの両親が営んでいるとイチコが教えてくれた。

 舞の後輩である七宝 珊瑚しちほう さんごが午後から出勤だったので、店の前で合流することにした。舞、イチコ、珊瑚、そしてピンキーも店の前に着くなり、漂うスパイスのいい香りに魅入られる。
「ああ、もう早く食べたいです!」珊瑚が目を輝かせる
「この匂い、これは絶対ウマい店だよ!」舞が適当なことを言う。
「私も人間になってカレーを食べたいなあ……」ピンキーが羨ましがる。
 そして今朝から「う~ん」と悩んでばかりだったイチコも、このときだけは普段のテンションに戻った。
「味は本当に最高なんだよ!」
 舞も、事情をLINEで知った珊瑚も、イチコが元気を取り戻したことに安堵した。だが、このあとのイチコの発言で、別の不安を抱くことになった。
「でも……イエローの母ちゃんは、そのへんの返送者より怖いから」
 イチコは真顔で語ると、店のドアをくぐっていく。舞と珊瑚は互いにうなずきあい、意を決してイチコのあとに続いた。「ご武運を」とピンキーが控えめに言い、自ら近くの駐車場に移動していった。

 店内は一見の限り、変哲のない昔ながらの洋食屋だった。逆L字のカウンター席に、対面テーブルが4つ。壁紙は白地に青いバラが散りばめられている。今どきではないが、舞も珊瑚もそんなことは気にしない。清潔で、おいしければそれでいいのだ。
 ……そう思っていたのだが、イエローの母と思われる女性に戦慄せざるを得なかった。
「なんだい。柔らかくて美味そうな女どもが来やがったねぇ」
 カウンターの向こう、直径1メートルの大鍋をかきまぜる人間。それが熊でないとわかったのは、イチコが事前に警告してくれたからだ。2メートルを優に超える女性は、天井にぶつからないよう頭を前傾させている。その姿を見た珊瑚が反射的に、小声でつぶやいた。
「魔女……!」
 魔女と呼ばれた女は背を向けたまま、しかし確実にこちらの様子を察知して返答する。
「返送者と戦おうって人間が、こんなことでブルってんのかい。情けないねぇ。いいからとっとと座りな、チキンども!」
「「はいぃっ!!」」
 舞と珊瑚は飛び上がり、テーブル席に着く。遅れてイチコが座った。

 ここで、ようやくイエローの母が振り向く。傷とシワだらけの顔がクシャっと笑った。
「今日の日替わりカレーは、ほうれん草とチキンだよ。ふふ、お前らのようなチキンをじっくり煮込んであるからねぇ」
 イエローの母は金属製の攪拌棒(鉄パイプにしか見えない。あとから聞いたところ主にラーメン屋が特注するものらしい)で鍋をかき回す。グツグツボコボコと鍋の中身が沸騰する音が聞こえてくる。煮込んでいるのは本当にチキンなのか。舞と珊瑚は思ったが、口に出したら自分たちが日替わりカレーにされそうだったのでやめておいた。
「ハハッ」
 イチコだけが、いつもの調子で笑っていた。

 そこから先は、よく覚えていない。全員で日替わりカレーを頼んだ。なんかイエロー母から「アレルギーはないかい?」と優しく聞かれたような気がするが、勘違いかもしれない。
 カレーはとても美味しかった。チキンの旨味と柔らかさ、玉ねぎの甘味と香ばしさ、トマトの酸味、ほうれん草のほどよい苦みを、スパイスの複雑な味が包括しており、クセがなくバクバクと口に運ぶことができた。注文に含まれていたかは知らないが、食後にはラッシーがでてきて、口の中はサッパリと、しかし腹の中はたっぷり満たされた。

 その間、イエロー母が特に話しかけてくることもなく、舞たちはギャルメイドの件について緊張することなく話せた。今後の方針を決定づけるキッカケは珊瑚の発言だった。
「宇宙に優しいギャルメイド……すなわちスカラー電磁波には恩義がありますから、いったん仕事は引き受けるのが筋だと思います。でも、そこから先、記憶と本当の名前を取り戻したあとは、イチコさんが決めるべきかと。だってイチコさん自身の人生なんですから」
 舞のイキりや、イチコの適当さではない、芯の通った言葉だった。それでもイチコは踏ん切りがつかないようで、上目遣いで舞たちの意見をうかがってくる。
「もし私が、この世界に残りたいと思ったら……? 相手はなんか宇宙の秩序を守るためって言ってるよ?」
「じゃあ、宇宙の秩序に“のど輪”ですね」
 舞はイチコの質問に間髪入れず、戦うことを表明した。珊瑚もラッシーを飲み干して、抗う意思を示す。
「理不尽に立ち向かいましょうよ。もちろん私も戦います。その勇気をくれたのは、イチコさんや舞さんじゃないですか。今度は私が!」
「……」
 イチコは言葉に詰まった。だがそれは葛藤からではなく、感動からだった。抑えきれない昂る感情を、上擦った声で語る。
「ギャルメイドの言うことを聞くフリして、いいところでバックレよう!」
 イエロー母が無言でラッシーのおかわりを注いでくれた。昨今では太っ腹すぎるサービスだ。舞たちは感謝しながら、グラスを重ねた。
「我ら、ちんたまに誓う!」
「我ら、生まれた日は違えど!」
「バックレるときは、同じ日、同じ時を願わん!」
 舞たちのやるべきことは決まった。残り1年間の間に、イチコの真の名前を記憶を探し出す。だがギャルメイドに従うわけではなく、イチコがこの世界に留まれるようにする。
 イエロー母は汚い桃園の誓いを見届けると、伝票を挟んだバインダーをテーブルに叩きつけた。
「やることは決まったようだねぇ、ライオンども! さあ、とっとと払うもん払って消えな! お土産にうちの特製スパイスもあるよ!」
「ごちそうさまでした。あ、スパイスください」
 3人で1500円+お土産スパイス500円で計2000円。破格の安さであった。イエロー母の圧力が異常なだけで、良心的で美味しい店だった。

 ……が、イチコが投げた疑問で台無しになった。
「そういや最近、旦那さん見ないね」
「あいつは先月、全部煮込んじまったよ。人間性は最悪だけど、最高のスープがとれた」
「ハハーッ!」
 例えイチコの謎が明らかになっても、イエロー家の真実が明らかになることはないだろう。舞たちはお会計をすませ、店をあとにした(後日、イエローの父は近所の公園でラジオ体操をしている姿が発見された)。

つづく。