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小説ですわよ第2部ですわよ5-6


※↑の続きです。

 マサヨの傷と痣だらけの頬を、涙が伝う。愛助はディスプレイからオイルらしき茶色い液体を流した。
 そのとき、舞の視界がホワイトアウトして、石坂浩二のような語り口でマサヨの声が聞こえてくる。
「あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入って行くのです」
「こ、これは……マサヨさん?」
 相撲の精霊が降臨するときと似た感覚。マサヨが得た……得てしまった超常能力によるものである。先行者とぬーぼーを介し、記憶を共有しようとしているのだ。視界一面の白が輝度を増し、閃光となって広がっていく。

 そして結婚式でアルバムの写真を投影するかのごとく、マサヨの記憶の一場面を切り取った静止画が、次々とスライドして舞の前に投影される。ただの映像ではなく、マサヨの感情を伴って。

 ――最初はアヌス02からの脱出に失敗したときのことだった。マサヨはバイクで疾走中、トラックと激突して横転。追手の機械蜘蛛に囲まれた。全身から血の気が失せ、冷たく灰色の絶望に襲われるのを舞も感じた。
 ――そこでノイズが入り、ラボのような場所に切り替わる。マサヨはベッドの上で拘束されていた。隣では愛助も同様にされ、もがいている。そこへ白衣を着た男たちが近づき、マサヨの肉体に機械を埋めこむ。青く冷たい恐怖と屈辱を舞も感じた。
 ――今度は神沼ロボのテカテカフェイスが大きく映る。神沼重工のオフィスで、神沼はマサヨと愛助の性能テストとして、砂漠の反乱軍を攻撃するよう命じてきた。マサヨは「はい」と答えることしかできない。だが人間らしい心の残滓は抗おうとしている。胸の中で赤く燃え上がる怒りを、舞も感じた。
 ――しかし抵抗はできなかった。ジープやバギーの残骸と原形を留めていない肉塊が散乱し、血が乾いた砂の大地を濡らしている。それを見ながら、マサヨと愛助は立ち尽くしていた。もう後戻りはできない。悲しみと破壊の意思が黒々とマサヨの心を塗りつぶしていくのを、舞も感じた。
 ――そして再び神沼重工のオフィス。神沼ロボが小型の浣腸のような鍵を宙に刺しこみ、回す。すると人間ひとり分ほどの大きさの黒い空間が発生した。アヌス01へ続く門だ。マサヨは門をくぐろうとするが、直前で足を止める。その手を愛助が優しく引いた。「ワガハイだけはマサヨの味方ナリ」。愛助の言葉に導かれ、マサヨは門をくぐる。特異点に接触するという命令を遂行すべく、心を白く無に染めていくのを舞も感じた。
 ――最後は事務所に潜入したマサヨの思い出が、目まぐるしくフラッシュバックする。イチコに舞という新しい相棒ができたことへの嫉妬。転移が失敗し、愛助と離れ離れになってしまったことへの不安。まだ家族と呼んでくれる弟への安堵と申し訳なさ。劇団の仲間たちに何も言い訳ができない歯がゆさ。だが、だが、その心は緑であった。舞と組んでバニラカーとレースを繰り広げたときに感じた風。イチコや軍団とTTSに熱くなり、バカな芸能話に花を咲かせ、元旦からカラオケで不謹慎ソングを熱唱した、草原のような心地良さ。人間らしい生命の鼓動を舞も感じた。同時に冬空のような灰色も。仲間を裏切るために、マサヨは再び己を白く染めようとした。しかし心を彩る感情は消せずに混ざり合い、灰色となった。

 マサヨの記憶を旅して、舞の視界が元に戻った。他の者も同じ体験をしていたようだ。誰からともなく顔を見合わせ、全員で揃ってうなずく。
 マサヨと愛助には、まだ心が残っている、助けを求めている。舞たちはそう確信し、呼びかける。
「マサヨさん、またバニラカーとレースしましょうよ。今度はぶっちぎりで私たちが勝つんです! 他人に笑顔を強制的するより、そっちのほうが何百倍も幸せですって!」
「私は返送者の父に、大事な居場所を支配されました。でも事務所の人たちに救ってもらいました。今度は私が守ります。マサヨさんと愛助の居場所でもある探偵社を」
「あのう……顔がいい私ほどじゃないけど、マサヨさんはキレイだし、愛助はかわいいので、泣いてほしくないです。心の底から楽しいや嬉しいことで笑っていてほしい」
 ぬーぼーを締め上げる先行者の手が緩んだ。マサヨと愛助が両手で顔を押さえ、嗚咽する。ふたりを止められたのか?

 だが期待は一瞬で裏切られる。先行者がまたぬーぼーの首を締め上げ始めた。車内が鉄と鉄がこすれて軋む。
「でも、でも! 私たちの中に住んでる悪魔は止められない!」
 マサヨが赤い瞳を鈍く光らせ、愛助は顔面に「(ꐦ°᷄д°᷅)」を示す。
 イチコは意を決し、スウェットの背中に隠し持っていたウネウネ棒を取り出す。
「こうなったら先行者に乗りこんで、スカラー電磁波をマーシーと愛助に直接流しこもう」
「そんなことできるんですか!? それにピンキーたちがやったときは効かなかったですよ」
「問題ない」
 スカラー電磁波本人が短く肯定する。と、イチコ、舞、珊瑚の全身がぼんやりと青白い光を纏う。イチコのウネウネ棒もついでに光る。

「汝らの呼びかけで、マサヨと愛助の心がよみがえりつつある。今ならば助けられるはずだ」
 ぬーぼーの口が開き、先行者の顔が直に見えた。イチコに続いて、舞と珊瑚も外へ飛び出す。
「あのう、私はどうすれば……」ネイビーが舞の背中に声をかけた。
「光らないからお留守番ね」
「そんなあ……」
 舞たちは、ぬーぼーの首を締め上げる先行者の手首に飛び移り、腕を伝っていく。眼下50mの地面は見ないことにした。普段なら足がすくんでいたが、湧き出たアドレナリンが恐怖を押さえてくれた。3人は腕から肩まで駆け抜け、先行者の顔に空いた穴から中へ飛びこむ。
 マサヨと愛助は軍団との戦いでひどく傷つき、ふたりとも床に片膝をついていた。それでも力を振り絞って立ち上がり、冷徹な狩人の目で戦いの構えをとる。
「イチコ! 鴨が葱を背負って来たナリね」
「もはや問答無用よ」
「こっちこそ問答無用だ! やるよ、水原さん、七宝さん!」
 舞とイチコがその場で四つん這いになり、珊瑚がその背を踏み台にして立つ。意味はわからない。しかしスカラー電磁波の導きであろう、舞たちはこの行動でマサヨたちを救えると理解していた。
「アルバイター!」珊瑚が先陣を切って叫ぶ。
「トリプル!」イチコが続く。
「スカラーパワー!」舞が魂で叫ぶんだ。
 そして舞たちの全身からスカラービームが放射され、飛びかかってきたマサヨたちに浴びせられる。
「こ、この光は、私たちの……!」
「ワガハイたちの心が……!」
 ビームの放射が止まり、舞たちの全身を纏っていた青い光が消える。マサヨと愛助は……声をかけるまでもなく、救出に成功したとわかった。ふたりは疲れきっていたが、穏やかな表情をしている。なによりマサヨの瞳からも、愛助の顔文字からも、あの禍々しく赤い光が消え去っていた。
「みんな、ありがとう……ナリ……」
「本当にごめんなさい、今度は私たち……が……」
 マサヨと愛助は意識を失い、その場に倒れこむ。イチコがマサヨを受け止めてから背負い、珊瑚が愛助を拾って抱き上げる。
「戻ろう」
 イチコが言った直後、壁面に大きな亀裂が入り、内部全体が大きく揺れる。転びそうになるイチコと珊瑚を、手持無沙汰の舞が両手を伸ばして支えた。先行者の重量と姿勢、それらを制御していたマサヨと愛助が気絶した。これから起こりうる事態は……
「先行者が壊れる! 逃げろ~~~っ!」
「ま、待ってください~!」
 イチコがマサヨを背負って一目散に駆け出し、珊瑚が愛助を抱いて追いかける。舞は一度、先行者の内部へ振り返り、中指を立ててから外へ飛び出した。
 ぬーぼーへ戻る道は、来るときより危険だった。亀裂が先行者の全身に及び、装甲がはがれだそうとしている。両足はバランスを保てず震え、その振動が先行者の腕まで伝わってくる。綱渡りだけでも死と隣り合わせなのに、その綱が上下左右めちゃくちゃに揺れるのだから、生きている心地がしない。それでも舞たちは、ぬーぼーの口元まで駆け抜けた。どうして落下しなかったのか、舞たちが聞きたいくらいだ。時間にして十秒足らず、その間の記憶は飛んでいた。

 イチコと愛助をぬーぼーの中へ運んだところで、先行者の崩壊が本格的に始まる。手足と装甲を成していた機械蜘蛛たちの合体が解かれ、ボロボロと垢のように地面へ落ちていく。
 すべての蜘蛛が剥がれ、ボディのベースとなっていた浣腸ビルは宙に取り残された形となった。飛行能力があるから浮くのかと思いきや、すぐに地面へ突き刺さる。そして一拍置き、下から順にだるま落としの要領で崩壊した。
「そうはならんやろ~」
 物理法則を無視したその光景に、珊瑚のキャラも崩れた。

 しかし舞たちに珊瑚をいじっている暇はない。上空の門が、ちんたま市全域を覆い尽くそうかという勢いで広がっていく。綾子が穴に向かって両手を広げている姿が、小さく豆粒サイズで見えた。
 ぬーぼーの口が閉じられ、カーナビにゲッソリした綾子が映る。
「貴方たち、待たせすぎ! このままじゃ私が地獄に落ちるじゃないの!」
「ハハーッ。地獄行きはわかってるんだ!」
「いいから早く!」
「あいよ~。じゃ、最後の大仕事だ!」
「承知した」
 ぬーぼーが飛翔し、上空の綾子の隣に並んで空中静止する。
「で、どうする姐さん?」
「悔しいけど魔法だけじゃ限界。スカラー波を信じるしかないわね」
「って言ってるけど?」
「門を塞ぐためのエネルギーは、スカラー電磁波がこの段階で世界へ干渉できる規模を超えてしまっている。だが……」
「だが?」
「今、この世界に生きる汝らが心をひとつにし、スカラー電磁波を高めることで門を塞ぐことができる可能性はある。最後の切り札、その名も……スカラースパーク」

つづく。