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小説ですわよ第2部ですわよ2-5

「あたしと、田代まさしの因子が近い? 名前が似てるだけでしょ。子供のころ、よくイジられたわ」
「田代マサヨ。その名を授かった時点で、君と田代まさしは繋がれているのだよ。名は人の運命を決定づける重要な因子だ。君が田代マサヨでなければ、名前をイジラられることもなかった。君も田代まさしを意識することなどなかった」
 神沼は飴玉を転がす舌を止めた。頬に飴玉が当たり、ぷっくり膨らんで気持ち悪い。低く落ち着いた声から、真剣に語っているのは確からしい。表情は相変わらず人形みたいな笑顔だが。
「名が近い者は、互いの運命に干渉し合う。すなわち特異点である田代まさしの運命を自在に操り、全マルチアヌスを幸福にできる鍵が君なんだ。この運命論は、量子力学の観点から解明されている。よければ解説するが」
「長くなりそうだから結構。で、あたしに何を望むわけ?」
 言葉の代わりに、神沼は人差し指サイズのUSBのような機械を取りだす。まずは洗脳するつもりだとマサヨは察した。

「よくわかった。あたしの返答は……こうよ」
 マサヨは全身の筋肉を瞬時に躍動させ、手足を柔らかに波打たせながら、片足を上げて跳躍する。コンテンポラリーダンスだ。そして表現の魂である“心からの笑み”を神沼に見せつけてやった。神沼も黒服たちも首をかしげ、愛助は顔面ディスプレイに「?」を浮かべた。
「誰もあたしの笑顔は奪えない。そして笑顔は植え付けられるものじゃない。幸福とは伝播。人は笑いたいときに笑う。笑顔の所有権を奪う者は、たとえ神であろうと許さない」
「許さないか……フフ、ではどうする」
「こうするのよ!」

 マサヨは両腕を前に突き出し、ファィティングポーズをとる。決してハッタリではない。ダンスの身体操作とリズム感を向上させるために、ムエタイとカポエイラを弊習している。ムエタイに関しては、本場のタイで試合に出場したこともあり、記録が残っているはずだ。
 マサヨの構えに反応し、黒服のひとりが拳銃を取り出す。だが動きが遅い。この世界では反抗する者が長らくおらず、実戦経験に乏しいためだろう。マサヨは腰を落として銃口をかいくぐり、黒服の懐に飛び込んで喉へ肘撃ちを浴びせる。さらに、黒服がひるんでのけぞるところを、首を掴んで抱えこみ、顔面に膝を叩きこんだ。
 ここでようやく、もうひとりの黒服が反応し銃口をマサヨに向ける。だがすでにマサヨは神沼の背後に回り、羽交い締めにして盾としていた。
「強いんだね。だがその力は、僕のために使うべきだよ。強者には、弱者を幸福にする」
 神沼は抵抗せず、全身の力みもない。普通ならば、身体のどこかしらが硬直するはずだが、泥を掬っているかのように柔らく不気味だった。しかし動き出したマサヨは止まらない。
「強いとか弱いとか、あんたの物差しで測ってんじゃねえっつ~の。あたしは仲間とダンスして、いい職場でバイトして幸せなんだよ」
「僕に協力すれば、そんなものより多大な幸福を得られるはずだ」
そんなもの・・・・・?」
「君の夢は、小さい。最初から挑戦しなかった者の夢だ」
 神沼を拘束するマサヨの腕から、一瞬だけ力が抜ける。神沼の言うことは確かだ。10代のころは宮本亜門の演出する舞台に立つことが夢だった。しかし気がつけば、小さな劇団ユニットお互いを褒め合って慣れ合いながら、挑戦を避けてラクなほう、ラクなほうへと流れていた。そうして気がつけば30代目前。なにか大きな目標があるわけでなく、あったとして実績もコネもない。
「確かにあんたの言う通り。でもね……!」
 マサヨは両腕で神沼の頸動脈を締めつけた。
「ちっぽけな幸せだろうが、あたしのすべて。誰にもそれを上書きする権利はない!」
 全力のスリーパーホールドに、神沼は言葉なく気絶。それを投げ捨て、マサヨは残った黒服へ、机を踏み台にしての飛び膝蹴りを食らわせる。どさりと重い音を最後に、部屋を静寂が満たす。

 残ったのは愛助だけだ。あわあわとロボットらしからぬ動揺したような動きで、倒れた神沼や黒服たちを見ている。
「マ、マサヨ、なんてことをするナリ!」
「本当にそう思う?」
「当たり前ナリ! 神沼様は全マルチアヌスを幸せにしようと――」
「あんたは喜怒哀楽、すべての感情を理解できるんでしょ」
「だからって感情を爆発させて、暴力にうったえることはしないナリ!」
「確かに暴力はよくない。でも想像して。あなたが生きて幸せだと思える場所を踏みにじられようとする場面を」
「それは……」
「悲しくない? 虚しくない? 腹が立たない?」
「ワ、ワガハイは、ワガハイは……」
 愛助の顔面ディスプレイに、喜怒哀楽の顔文字が次々とデタラメに切り替わっていく。悩んでいる証拠だ。本当に感情を割り切れるなら、戸惑ったりはしない。
「あたしの世界にもコロッケそば……あるよ」
「本当ナリか!?」
「疫病も戦争もテロもある世界。今こうしているあいだに、誰かの命が失われ、涙を流しているでしょう。異世界からの返送者はイキッたクソだし、クルド人は治安を乱すし最悪。だけど、あたしの世界にはコロッケそばがある。ツユがしみたコロッケそばを噛みしめたとき、人は幸せを実感できる。誰かに少しでも優しくしようと思える。だからあたしは、あたしの世界が好き」
「だけど異世界観測装置では、そんなこと、ちっとも……」
「小さな、だけど確かな幸せってのは、他の誰かに映らないもんなの。だから、あたしと行こう!」
 愛助は何度もうなずき、顔面ディスプレイにたくさんの「♡」を浮かべてから、小さい身体でマサヨの足に抱き着いてきた。
「奇天烈~っ!」
「あんた、やっぱりコ〇助じゃないの」
「なにを言ってるナリ? 言葉の意味も知らないナリか?」
「まあいいわ。さっさとこの世界から脱出しましょう。あたしを改造して尖兵として送りこむ算段があるなら、世界を移動できる手段を持ってるはず」
「それなら心当たりがあるナリよ!」

 愛助が部屋の奥の壁を押すと、USBの差しこみ口のようなものが壁から浮かび上がってくる。愛助は自身の身体からワイヤーのようなものを伸ばし、差しこみ口に挿入。すると壁が轟音と共に横開きとなり、隠し部屋が現れる。
「すご……」
 隠し部屋の壁には無数の銃器、性具、ビニ本などが敷き詰められており、床一面に乾燥大麻が小分けにされた袋が散乱している。なにより目をひいたのはバイクだった。通常より倍の幅はあるタイヤ。跨るのではなく、うつぶせに乗る形のシート。前輪の両脇にはマシンガン、後輪の両脇にはミサイルポッド。そして、ほぼ光を反射しない漆黒のボディ。
「なにこれ、バットマンが乗ってそうなやつ!」
「乗るナリ。見た目はバイクだけど、人間とサポートロボットしか乗れない次元移動マシンナリ!」
 愛助がよたよたとバイクの燃料タンク部に跨り、キーを刺した。マサヨはシートにうつ伏せの形で乗り、エンジンを吹かす。部屋全体を響かせるほどの強烈な重低音がうなった。
「よし!」
「免許持ってるナリ?」
「ないけど、動かし方はわかる。弟を恐喝してた暴走族から、バイクを没収して乗ってたか。このボタンは?」
 右グリップ付近の赤いボタンを押しこむと、前輪のマシンガンが火を噴いて壁に穴を開けた。
「オッケー。じゃあ、行こうか!」
 マサヨは壁穴の向こう、建物外の非常階段を発見し、そこへバイクを走らせる。そしてそのまま強引に階段を下り、60階から1階を目指す。ガコンガコンと強烈な振動が、車体とマサヨたちの身体を揺らした。
「うぷ……酔いそうナリ」
「ロボットもゲロ吐くの?」
「余剰オイルナリ」
「じゃあ存分に吐き散らしちゃって! 行くよ!」
「オロロロロロ、ロロロロ、ロロ、オロオロオロ!」

 愛助が吐くリズムに同調しながら、マサヨはバイクで非常階段を駆け下り1階へ戻ってきた。そのまま大通りへ出て疾走する。
「で、愛助。この次元移動マシンとやらは、どうやったら異世界へ行けるわけ?」
「時速200キロで20秒間、ぶっ飛ばすなり」
「簡単ね! 愛助、音楽再生機能は? ていうか、この世界に泉谷しげるっている?」
「あるナリ! いるナリ!」
「じゃあ『電光石火に銀の靴』を!」
「了解ナリよ!」
 ギンギンのギターソロが流れ出し、歌が始まるとマサヨは合わせて首を振りながら、アクセルを全開に絞る。通行人は暴走に気を止めず、変わらず笑顔を浮かべたまま歩いている。やがてその顔が溶けだし、識別できないほどバイクの速度とマサヨのテンションは上がっていく。
「イイ、イイ、イイ~~~ッ!」
 現在、時速180キロ。愛助の話が確かなら、あと少しで元の世界へ戻れる。
 だがそうはいかなかった。神沼重工のビルの駐車場シャッターをブチ破り、四足歩行の蜘蛛のようなメカが大量に追いかけてきたのだ。
「キモ!」
「あれのモデルになったアシダカグモは益虫なり」
「でもあいつは、ただのロボットでしょ!」
「一緒にしないでほしいナリ。あいつらは心なんてないナリ!」
「じゃあ……殺す!」
 マサヨは右グリップ付近の青ボタンを押しこむ。
「殺す!」
 後輪両脇のポッドからミサイルが小気味よく飛び出し、螺旋を描きながら後方の機械蜘蛛の一体めがけて飛んでいく。蜘蛛は大通り沿いのビルに張り付き試みたが、ミサイルは命中。爆散。
「ヤァァァ、イィジィィィファイッ!」
 左拳を握りしめるマサヨ。だがその喜びを嚙みしめたのも束の間、残りの機械蜘蛛たちは機関銃を一斉掃射する。マサヨは左に、右に、ハンドルを切りながら避ける。そのせいで時速172キロまで減速してしまった。
「チッ、さっさと決める!」
 遅れを取り返すため、マサヨはバイクを急加速させた。高まるG、鋭く切れ味を増す風圧、追われる危機感。それらが一体化して高揚感となり、マサヨに自然と言葉を吐かせる。
「あたしは不死身のイージーライダーだ! ヒッピーだろうが保守野郎だろうが、止められるもんなら止めてみろ! ハァッ!」
 マサヨのバイクは前方の車両を追い越し追い越し、反対車線まで抜き出して対向車の隙間を縫って縫って、銃撃を交わし、反撃のミサイル。銃撃音、ブレーキ音、爆音。時速は199キロ。

 しかし――

「あ、やべ、死んだ」
 赤信号の交差点に差しかかり、左側のトラックが視界を覆う。
「マサヨォ、よけるナリィィィ!!」
 愛助に従うが、時速200キロのバイクを制御できるはずもなく――

つづく