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小説ですわよ第2部ですわよ2-3

※↑の続きです。

 マサヨは黒服たちに、近くに駐車している車へ案内された。一見すると黒いリムジンだが、タイヤはなく車体が浮いている。マサヨの世界では、いわゆるエアカーと呼ばれ、よくある未来世界のイメージに登場するものだ。無数のエアカーが薄暗い都会の中を立体的に交差するような映像を、古い映画の中で観たような気がする。

「マサヨ、乗るナリ」
 愛助が後部座席のドアをあけて先に乗りこみ、中から手招きをする。大人しく従い、腰を下ろした。クッションに背を預けたかったが、初対面、それも銃を持つ相手に不快感を与えぬよう、背筋はピンと伸ばしたままにする。
「すぐ着く」
「神沼様に謁見してもらうナリ」
 運転手と愛助が続けざまに言う。車は静かで低い機械音を立てて走り出す。一切の揺れがなく、カーブの際も身体に遠心力を感じない。イチコの運転を思い出し、あの安らぎが恋しくなった。
 しかし呼吸や脈拍は正常で、汗は出ていない。不思議と焦りはなかった。ここが異世界だと理解しており、黒服たちもマサヨが異物であることを認識している。隣には懐かしアニメに出てきそうな、愛嬌のあるロボットが座っている(足をブラブラさせ、外の景色を見ている)。妙に落ち着いていられるのは、そのおかげだろう。

 だが、すぐに不安を駆り立てられる違和感を覚えた。窓の外に映る通行人たちの表情だ。それも一様に眉尻を下げ、両口角を上げ、同じようなニッコリ笑顔を浮かべているのだ。そんなマスクがあるのではと勘違いするほどに、張り付けられたような表情を崩さず歩いている。通行人たちを笑顔にさせる理由を、景色の中から探そうとしたが、それらしいものは見つからない。彼らは理由もなく笑っているのだ。
「愛助、質問していい?」
「なんナリと聞いていいナリよ」
「この世界の人たちは、みんな楽しそうね。それともこっちでは、あの表情が真顔なのかしら」
 愛助はマサヨを向き、顔面のディスプレイに笑顔の顔文字を示す。
「楽しいし、幸せナリ。この世界には、悲しみや怒り、不幸はないナリ。神沼様が負の感情を消してくれたナリよ」
「でも愛助はさっき怒ってたわよね?」
「ロボットは笑おうと怒ろうと自由ナリ。感情と行動を完全に分けられるからナリね。でも人間はできないナリ」
「まあ、ほとんどの人はそうでしょうね」
「だから神沼様は、機械の力で笑顔だけを浮かべるようにしたナリ。心と体は密接につながっていて、肉体を笑顔で固定すれば負の感情は湧いてこないナリ。誤解や争いは生まれず、幸福に満ちた世界の誕生ナリよ」
「幸福……」
 マサヨは、この世界の誰もが機械を埋め込んでいるわけを理解した。そして沸き起こった不安が、冷たい汗となってジワリと肌着に染みこんでいく。  
 ダンスとは肉体言語で人間の悲喜こもごもを表現し、観客の感情を動かす。拍手を浴びたとき、稽古の怪我や筋肉痛、流した汗は生きる実感に代わる。それこそがダンスの醍醐味であり、幸福であるとマサヨは考える。感情を押さえ込むことは魂と肉体の死だ。この世界は死んでいる。早く帰らねば。

 外を見ると、大通りに『マッサージ』『エステ』『快』『感』いずれかの文字が刻まれたピンクの看板が、堂々と並んでいる。コンビニよりも数が多い。
「この世界はそういう・・・・お店も、あっぴろげなのね」
「オヌシが想像とは違うナリ。あれは表情筋をほぐすお店ナリよ。ずっと笑顔を作ってると疲れるからナリね」
「それって……」
 歪んでいると出かけたが、口を閉じた。直後、エアカーが停車し、マサヨの身体はほんとわずか前のめりになる。そのときマサヨの心臓が跳ね上がった。運転席と助手席の男が、同じ笑顔で後方を覗きこんできたからだ。この世界への反感を悟られたか?
「到着した。降りろ」
「ついてこい」
 杞憂であったらしい。後部のドアが自動的に開いた。マサヨはうなずいて降車する。胸の鼓動は落ち着いたが不安は消えない。鈍く、重く、不規則に心臓が脈動している。

 目の前には、巨大なビルが天を突き刺さんとばかりに、そそり立っていた。体感は池袋のサンシャインシティほどあるだろうか。下層部から中層部までは球状となっており、上層部へ向かうほど細長くなっている。つまり浣腸のような形状をしていた。
 男に先導され、円形の自動ドアをくぐる。銃口は向けられていないが、逃げる気にはならなかった。今はどこへ行こうと捕まるだろうし、元の世界へ帰ることもできないだろう。
 そのまま受付を通り過ぎ、エレベーターに乗って上層部を目指す。エアカーと同じように、胸がくすぐったくなる浮遊感はなかった。ガラス越しに外へ視線を移すと、飛行船が見えた。胴体に電光掲示板がはりついており、文字が右から左へと流れていく。

『The all warld is yours』

 すべての世界は貴方のもの。意味が分かるようで分からない。手足が微妙に震えだす。それを察してか、愛助が丸い手をマサヨの手に重ねてくる。「安心するナリ。神沼様がいる限り世界は幸福ナリ」
 まったく安心できなかったが、愛助が話すと緊張感が抜けてしまう。礼の代わりに真ん丸な頭を撫でてやった。
 エレベーターは60階で止まり、扉が開いた。黒服の後を追い、まっすぐに伸びた一本道の廊下を歩いていく。大きな灰色の扉の前で、黒服たちが立ち止まる。
「ここが神沼様のお部屋だ」
「ずいぶん無防備ね」
 ここへ来るまでに足を止めたのは、エレベーターの中だけだ。セキュリティシステムのチェックを受けることはなく、警備員らしき人間やロボットも見当たらない。まるでデパートの屋上へ向かうかのように、あっさりと世界の支配者の部屋まで着いてしまった。
 黒服のひとりは、あの張り付いたような笑みで応える。
「セキュリティという概念はなくなった。世界から悪意が消えたからだ。監視カメラだけは災害発生時の状況を把握できるよう、残っている」
「なる……ほど……」
 黒服は特にノックすることもなく灰色の大扉を押し開ける。真っ白で殺風景な部屋の中央、同じく白いデスクの前に、見覚えのある男が座っていた。
「ようこそ、幸福なるアヌス02へ。すでにご存じかもしれないが自己紹介させてもらおう」
 オールバックにテカテカと脂ぎった顔、血走った目。そして胡散臭い笑顔。ピンピンカートン探偵社が密かに追っている要注意人物。住まう世界は異なれど、目の前に座っているのは、確かにその男・・・であった。
「僕は神沼 蓮。神々のケツ穴すべてに、浣腸を挿す男だ」
「……はあ?」

つづく。