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小説ですわよ第3部ですわよ1-2

↑の続きです。

 2023年 3月28日(火) 08:20。

 水原 舞は、ショッキングピンクのハイエース『ピンキー』の助手席に乗りこんだ。今日の運転は相棒の森川 イチコだ。窓越しに早咲きの桜が花びらを散らしている。舞は春は特別好きでも嫌いでもなかったが、探偵社に入ってから――ピンク色の髪とジャージが正装のようになってから、桜に親近感を抱くようになっていた。
 イチコは事務所の敷地からピンキーを発車させたが、すぐに急ブレーキを踏んだ。イチコの長い黒髪が、一瞬だけ重力から解放されて宙に波打つ。舞は前方を見て、急ブレーキの原因がすぐにわかった。金髪のツインテール、小麦色の肌、そしてメイド服。奇妙な女が両腕を組んで仁王立ちしていたのである。

 舞はこの女を見るのは初めてだが、何者であるかは心当たりがあった。横目でイチコを見ると、彼女も同じようだ。切れ長の凛々しい目が戦慄で丸くなり、艶のある肌からは血の気が引いて真っ青になっている。
 イチコは、おそるおそるクラクションを鳴らすが反応しない。いつの間にかエンジンが停止している。正確には機械生命体であるピンキーが気絶した状態だ。女の仕業だろう。舞の推測が正しいのなら、この程度の芸当は造作もないはずだ。
 それでもイチコは、すぐにいつもの調子に乗り、運転席側の窓を下げて身を乗り出す。
「ぷっぷ~、ぷっぷ~。危ないですよ~」
 クラクション代わりに、口で警告した。舞は、これが自分のツッコミ待ちであると瞬時に理解する。
「イチコさん、天山広吉じゃないんですから」
 なんとイチコと同じようなことをやった人間が存在する。プロレスラーの天山広吉である。舞は特段プロレスに詳しいわけではない。だが先週、事務所で休憩中に、プロレスラーのポンコツエピソード集なる動画をイチコと一緒に観てゲラゲラ笑っていたのだ。
「ちょっと話をしてくる。事と次第によっちゃ、天山ばりのモンゴリアン・チョップを食らわせてやらなきゃ」
 イチコは八重歯を見せてニヤリと笑い、運転席から降りる。舞を安心させるための演技であろう。顔色は青ざめたままだ。
「じゃあ私はコジコジカッターかましてやります」
 イチコを守るため、舞も降車する。コジコジカッターとは、天山の相棒である小島聡の得意技だ。

 舞はメイド女に詰め寄り、小島聡の決めセリフをもじって言う。
「轢いちゃうぞバカヤロー!」
 しかし女は反応を示さず、見た目に似合わぬ尊大な口調で自己紹介した。
「我はメイド。宇宙に優しいギャルメイド。宇宙お嬢様に仕え、全マルチアヌスの宇宙秩序を守護する者」
「宇宙に優しいギャルメイドぉ?」
「宇宙お嬢様ぁ?」
 舞とイチコは顔を見合わせ、首をかしげる。
「オタクに優しいギャルじゃなくて?」舞がたずねる。
「オタクとはなんだ? わからぬが、宇宙に存在するならば優しくしよう」
 ギャルメイドはゆっくりうなずいた。
「宇宙お嬢様も『ですわ』が口癖?」今度はイチコが質問する。
「ほう、記憶が戻ったらしいな」
「違うけど」
 話がゴチャゴチャしてきた。舞とイチコは質問を間違えたと気づく。とりあえずギャルメイドの話を聞くことにした。

「汝らはかつてスカラー電磁波の意思と接触したであろう」
「ああ、巨大ぬーぼーに宿ったアレか」
 今年の正月、舞とイチコは並行世界からの侵略者に立ち向かうため、巨大ぬーぼー型のロボットに搭乗して戦った。巨大ぬーぼーの動力源となるのはスカラー電磁波という未知なるエネルギーだった。このエネルギーには意思があり、あらゆる並行世界の秩序を守っているという。だから侵略者に対抗する舞たちに力を貸してくれたわけだ。具体的には巨大ぬーぼーを動かしたり、舞たちの愛車であるピンキーが爆破された際に再生させ、命ある機械生命体として蘇らせたりしてくれた。しかしスカラー電磁波の協力には、大きすぎる代償があった。
「森川イチコ。そのときに交わした約束、忘れたとは言わせぬぞ」
 イチコとスカラー電磁波の約束、協力の代償。それは――『そう遠くない未来、イチコにスカラー電磁波の意思のもとで働く』というもの。具体的にはわからないが『時間や空間という概念を超え、あらゆる世界、あらゆる時代を正しく導く』ことだという。その約束を知っているということは、このギャルメイドはスカラー電磁波の意思に関係する者なのだろう。
「ひゅ~ひゅひゅ~っ」
 イチコはカスカスの口笛でごまかしたが、当然ギャルメイドにはお見通しだった。
「汝は前も、そうやってトボけていたな。だが時は来たれり」
「それは……この世界にさよならするってこと?」
「うむ。汝はあらゆる並行世界の秩序を守ることとなる。この世界に留まり続けることはできない」
 イチコは叱られた子供のように、両肩を下げてうなだれる。
「だが今すぐではない……1年。1年の猶予を与える」
「1年かぁ……」
 準備もないまま連れ去られるよりマシではある。とはいえ、この世界から去ることは決定づけられ、その猶予が1年しかない。イチコが泣きそうな声になるのもわかる。これだけでも辛いのに、ギャルメイドはさらに続けた。
「その間、汝らにはある任務を遂行してもらう」
「任務?」
「それは大きく分けて、ふたつ。ひとつは全マルチアヌスの崩壊を防ぐため、本物の森川イチコを探し出すことだ」
「本物の……森川イチコ……」
 森川イチコ。それは舞の隣に立つ女性の名前――とは言い切れない。イチコ自身は過去の記憶を失っており、本当の名前は不明だ。彼女が持っていた紫のウネウネ棒にマジックで『森川イチコ』と書かれていたから、そう名乗っているだけなのだ。さらにギャルメイドは続ける。
「もうひとつの任務は、本物の森川イチコに名を返し、汝の真なる名を探し当てること。すなわち汝の失われた記憶を取り戻すことだ」
「私の本当の名前と、記憶……」
 さきほどからオウム返ししかできなイチコ。そんな彼女を慮ることなく、ギャルメイドは告げる。
「それらを取り戻すことが、あらゆる並行世界――すなわち全マルチアヌスの平和となろう」
 そう一方的に告げると、ギャルメイドを中心に小さな竜巻が怒る。その風に巻きこまれて桜の花びらが狂ったように舞った。そして竜巻がおさまったとき、ギャルメイドの姿は消えていた。
 今までにない大仕事になる。舞はそう感じた。
「ぷっぷ~、ぷっぷ~。どいてくださ~い」
 ピンキーの後方、道路を塞がれたミニクーパーの運転手が身を乗り出して警告してくる(ギャルメイドの力で、ピンキーと同じくエンジンが停止してしまったのだろう)。舞は立ち尽くすイチコを助手席に乗せ、自身が運転して今日の仕事へ向かった。

つづく。