見出し画像

子供の反抗期は”本当の家族になるため”のチャンス到来

子育てをしたことがない人間が子育てを語ります

子供を持たなければ私の立場は生涯「子」

親になると忘れてしまう  あの頃どんな時にどうしてほしくて

何をしてほしくなかったのか

いつまででも子供の立場から詳細を説明することができます(笑)


何年か前に湊かなえさんの「夜行観覧車」という作品がドラマ化されました

これを見たら子供がメンヘラになる理由が(笑)わかるんじゃないかと思うんですが


私この作品大好き 面白かった

これは思春期に訪れる反抗期の話になりますが

幼少期に子供らしく生きられなかった子供が

家族と本当の家族になるために二度目のチャンスを親側に与える機会が

反抗期なんだろうと思います

幼少期に「良い子」を演じてきた子供ほど激しく荒れるのが自然ですが

反抗期がない子供もいます

これについては後で説明します


夜行観覧車 

この物語の中で思春期を迎えた少女から溢れる激しい怒りは一体なんなのか

その正体は自分の中に押し込めた素直な感情であってそれが爆発しているのですが

なぜ押し込めなければいけなかったのかといえば良い子を演じてきたからですよね

良い親として子供と接してきたために 鏡である子供は良い子供を演じてきたわけです

子供はその良い親が優先しているのが①と②どちらであるかを嗅ぎわけます


①自分(子供)の気持ち 

②世間体 


それが”世間体である”と判断した時に子供は荒れるのですね

(あくまで子供の判断であって事実ではないのですけど)


「お母さんもお父さんも 私の気持ちより世間体が大事」


どうしてそれが愛情の欠如(本当の非行や犯罪)に繋がるのか


昔のお母さんに多かったと思うんですけど

子供が悪さをして親が学校や警察に呼び出されたりした時に

血相変えたお母さんが化粧もせずエプロン姿のまま出て行って息子に往復ビンタをお見舞いし引き摺るようにして連れて帰る

そして帰宅するとお父さんがちゃぶ台をひっくり返して怒鳴り散らす


実は子供はこれを待っています

ご自宅にちゃぶ台があるかどうかはさておいて(笑)

これできないですよね なかなか怖いことだと思います


子供はあのクソババアとか言いながらも

自分に対してなりふり構わず本気で向き合ってくれたということに

愛情を感じます


このドラマを見るとよくわかるのですが

娘からは自分が荒れた時に本気で向き合うことができない親が

”ご近所から見た自分の家庭”をひたすら気にする親の姿として見えています

そしてもはや娘にどう対応して良いかわからず腫れ物に触るような態度を取る

そうすると子供は当然親を馬鹿にします


ここで「あんた親に向かってなんて口きくんだ その言いぐさはなんだ」と言って本気で子供を怒鳴る

これが親の体裁や世間体のためではなくて

子供の将来のことを思って とかでもなくて

子供という名の「他者」に言われたことに素直に腹を立て あくまで「対一人の人間」として本気で接することを子供が望んでいるのです

良い親 良い子 を演じる家族は 本当の家族ではありません

汚い部分も弱い部分もお互いに見せ合って 泣きながら全力でぶつかり合って 本性を見せ合って 

それを”家族”と呼ぶのだと思います

子供はいつも本当の家族になれるチャンスを待っています



自分が子供の頃に何が一番辛かったのかといえば

締め出しや数日間に及ぶシカト その行為自体ではなくて

本音を話すことができる人間がいなかったこと

だったと思うんですよね 

生まれて最初に関わる人にすら本性を見せられなかったら

誰にも本性を見せることができません

そしてそれを「孤独」と呼ぶのだと思います

(親族や近所のヤンキー姉ちゃんでも構わないので全てを見せても大人としての反応を見せない人間を近くに置くことで回避できると思います)


私はこれに気が付くまで何十年もかかってしまったんですが(笑)

親自身が自分の親と親子ごっこをしていて

今考えれば私の親も親と本気で喧嘩したことがなかったんだと思います


毎日子供と居たら 締め出したくなることだってあるだろう

喋りたくないことだってあるだろうし

いちいち相手してられない気分のことだってある

大人には親としての顔だけじゃなくて

妻の顔や女の顔 会社員としての顔だとか色々な側面がある中で

いつも子供の気持ちを考えてなんかいられるはずがないわけで

子供に対して理不尽な態度を取ってしまったことに深い罪悪感を覚えることもあるかもしれないけれど

大事なのは多分 その子と本気で向き合うことであって

それはイコール 親自身が自分の本性と向き合うことでもあると思います

結局 ”親自身が幸せでいることが大事” とよく言うのは

親自身が自分の感情をきちんと汲み取って表現していることが大事ということ

子供はただの鏡ですから

子供が”世間でいう良い子”に見えているのなら

高確率で親が「良い親」を演じているということになります

生まれたら子供であっても「他人」

自分の子供と思って親としての対応をすると子供は「親と同等に見られていない」ことにも怒りを覚えます 馬鹿にされている というふうに

生まれたら他人 ひとりの人間であることを忘れないで


それで冒頭に触れた「反抗期のない子供」についてなんですが

これは親を嫌だという感情に”気付いていない”だけです 

そして永遠に無意識の反抗期が続きます 

どんな親元に育とうと必ず親の支配下から自分を切り離す作業を行わなくては本当の意味での自立ができません 特に大好きなほうの親とね

表面上仲が良くてもどこかでそれに気付かない限り無意識の反抗期が死ぬまで続きます


ではどうして”親が嫌だ”という感情に気が付かないのでしょうか


だって”良い子”なので 

「ママにこんなことされて本当は悲しかった」それを隠す癖が付いています

親が嫌がる感情や

表現した時に自分が傷ついた感情を出すことを自分に禁止していますから

泣かないように 迷惑をかけないようにと感情が鈍磨して

嫌だと感じていることにすら気が付かなくなるのです

で そんな育て方をしてしまってもOKなのです 後でちゃんと子供さんと向き合いさえすれば無問題です

その代わりその時は命がけで全部を見られる覚悟で向き合う必要があります


最後に大人がスルーしているであろう大事なことをもう一度書きますとw

子供にいくら「本当の気持ちを言ってごらん?」と持ち掛けたところで子供から心を開くことはありません


安全な場所だと思えないことには自分を見せらせないのですから

まず親が感情を顕すことが先です

子供を大切な友人と同じひとりの人間として見るのです 


そうした時にどんな反応をしますか

他者(子供)の言動に腹が立ったら ちゃんと伝える

言いたいことを言い合う

この子の将来のためじゃなくて 大切な友達と同じ対等な人間として

その人が泣いていたら寄り添う 一緒に落ち込む

自分が悲しかったらちゃんと泣く 悲しむ

そうゆう姿を隠さずに見せること それが家族です


思春期を過ぎても本音のぶつかり合いは可能ですが

大人の姿でこれをするのはなかなか勇気が必要になりますので(笑)

多分 少年期に終わらせてしまうほうがいいと思います

社会に対する怒りは親への怒りの投影に過ぎません

社会に対する訴えは親への訴えに過ぎません

ここを通らずして引き寄せの法則や占いで幸せになろうというのは無理な話で

自分の本性と向き合って自分を知っていくことこそ生きる意味と言えると思います


ちゃぶ台今からでも遅くない(笑)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?