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「私の言葉」を話したい

もともと相手の反応が怖すぎて、何も言えなかった人間だから、起きてほしくない反応が来たとき、恐ろしいほどのダメージを受ける。

こんな言い方じゃ、相手を傷つけるかもしれないから変えなきゃ

まずは自分が受け止めないと

相手の価値観は尊重しなければ

こんな反応したら困らせる

こんな……

自分の悲しさや苦しさに蓋をして、懸命に懸命に取り繕っていた糸がぷつりと切れ

もうどうにでもなれ
さようなら

となりかけて、でもやっぱりそれじゃいけないと、なんとか自分を宥めて。

一体、私はひとりで何をしているのだろう?
何と闘っているのだろう?

いつもなんとか自分の心を守り、奮い立たせ、盾になっていた人がダウンし、とんでもなくか弱い自分が表に出ちゃっている。

そうわかったのは、なんでもないことでぐるぐると反省会を繰り広げ、電車の中でさえ泣いてうずくまりそうになっている自分に気づいたからだった。

言葉は、ときに人をどん底へと突き落とす。

身をもって知っているからこそ、いつでもどこでもなんでも言っていいとは、やっぱり思えない。

言葉は、簡単に人の安心感を奪う。
どんなに綺麗に見せても、非難は必ず伝わる。

でも受けてしまった傷は、どうしたらいいのだろう?

今のところ、人から受けた傷はどうしても、安心できる誰かに受け止めてもらうことでしか、回復しない気がしている。

もう誰も信用できない
人と接するのが怖い

そうなってもまだ、助けを求めてしまうのは人なのだ。矛盾だらけ。

でも今日、話したい話がたくさんできて、たくさん笑えて、「あぁよかった。まだ大丈夫だ」と思えた。

やっと自分の言葉を話せた。

……そっか、ずっと話したかったのは私の言葉。誰のためでもなく、でも目の前の人を傷つけるわけでもない、ただの素朴な言葉。

ちゃんと話せているようで、蓋をしていたんだね。

話せる人がいて、本当によかった。
ありがとう。

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