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作文が苦手だったな、そういえば

学校でたびたび出される作文の課題。
「好きだった、得意だった」という話はあまり聞かない印象を受けます。
わたし自身、作文はとても苦手でした。
小学生の頃、作文の時間にわたしが何を感じていたか振り返ろうと思います。

書きたいテーマじゃない

通っていた小学校では、学校行事のあとに作文の授業があるのが恒例だった。わたしは学校行事自体が苦手だったので、作文を書けと言われていつも途方に暮れていた。
特に運動会。走ること以外がからきしダメだったのもあるけれど、普段と違う流れで、先生も友達も必死になって、イレギュラーなことが次々と起こる。
心臓にわるい、苦しい、というのが当時の感想。
だから運動会の感想を作文に書くなら、「相変わらず苦手です。運動会には出たくありません」という内容になる。
ただ、幼心に「運動会が苦手」というのは先生や親にとって評判のよい作文じゃないんだろうな、ということは分かっていた。
だからわたしは、作文に、朝起きてから着替えて、朝食を食べて、といった生活の流れを書いた。
朝の描写だけで原稿用紙10枚になったので、担任からストップがかかる。
「あのね、先生は運動会で何があってどう感じたかを書いてほしいの」と担任は言う。
だから運動会は苦手なんだってば……!!
心の中で叫んだけれど、口では言えなかった。振り返ればわたしが小説を書く原点だったと思う。
小説は、言いづらいことや生きづらいことを丸ごと物語に閉じ込められるから。わたしがどのような姿勢で小説を書いているかは、また今度エッセイで触れたいと思う。

好きに添削されてしまう

作文が苦手、と思う気持ちの理由として、読んでいる本みたいに面白く書けないから、というのがある。
昔から読書が好きで、『クレヨン王国』シリーズや『冒険者たち』、『星の王子さま』は何度も繰り返し読んだ。
本の中にはわくわくする物語がたくさんあるのに、わたしが書いたものってなんてつまらないんだろう……。
プロと比べて落ち込んでいたのである。
小学校6年生のとき、夏休みの読書感想文の宿題を提出したところ、担任の目に留まり「コンクールに出そう」という。なんでも、東京都が小学生の読書感想文コンクールを主催しているらしい。
担任は女性のベテラン。わたしは女性のベテラン教師が苦手だったので、いいですよ、と言ったものの内心不安だった。
案の定、できあがった原稿の表現を書き換えるよう提言された。
「こっちのほうが絶対にいい」と担任は言うが、わたしの目からはどちらの表現でも意図は変わらない。じゃあわたし自身の表現をさせてくれよ、と生意気にも小学生のわたしは思ったのだ。
担任は一歩も引かず、表現は直さざるをえなかった。
結果としてその読書感想文は東京都の冊子に載ったけれど、ちっとも嬉しくなかった。だって、あれはわたしの表現ではないのだから。

もし身近な子どもで、作文が苦手、と言っている子がいたら、単に書けないとか面倒くさいなどと考えているわけではなく、わたしのような子どももいることを、思い浮かべてもらえたらと思う。
また、「担任」と表記しているように、わたしは「先生」がとても苦手。そういう子どももまた、たくさんいるのだろう。

作文くらい自由にのびのび書きたいですね。呪いじゃなくて愛のある文章をね。

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