気高く生きる、私であれ。
クラス全体を考えることに疲れた。
クラスに協力することが疲れた。
他人に気を遣うことが、疲れた。
誰かに何かを慮ることに、疲れた。
これは私じゃないけど私。
私の一部分。
今までそれを認めるのが、私はずっとずっと怖かった。
でももう、隠しきれない。
認めざるを得ないところまで、知らぬ間に来てしまった。
小中高大、周囲からことあるごとに「美咲はやさしい」と言われて、ここまで来てしまった。だから、「やさしくない私には価値がない、『私は周囲に対して、いつだってやさしくなければいけない』」。いつしかそう思い込むようになった。本当は心の内にあったはずの黒い感情たちを、ないものにしてきた。
決して、やさしいと言った人のことを悪く言っているわけではない。
当時私が取った行動の数々は、客観的に見れば「やさしい」と言われるものだったと、自覚しているから。
ああ、私は何て計算高くて、いやらしいのだろうか。
反吐が出る。
でももう、その容器がいっぱいいっぱいになってしまって。
外側に溢れてしまったから、今こうして泣きながらパソコンと向き合って、文字を打ち続けているのだろう。
ただ、あながち、この時間も悪くないなと思う。
何というか、言葉にすることでもやもやが消えていく感覚は、快感でもあるから不思議だ。
私は、今のクラスを「(自分にとって)いいクラス」だと思いたかったんだと思う。それは勝手に創り上げた、あまりにもくだらない、幻だったのに。本当は、いいクラスなんて存在しない。どこの集団にも必ずいる傲慢な人間は、いつだって私のことを苦しめてくる。でもそれは、過去も今も、そして未来も。私が生きている限り、影のように引っ付いて、離れないのだから。
大学生という、ある種選ばれた集団に入れば、こんな思いをしなくて済むだろうと思っていた私が、ただただ馬鹿だったんだと思う。理想を描いて少しでも周りに期待した私が、馬鹿だった。
でも、その考え方は馬鹿だ、と分かってよかった。
やっぱり、他人に期待するだけ無駄だった。
ただそれは、他人を信じていない、というわけではなくて。
私が相手に対して、「こうなって欲しい」と思った結果、そうならないから、それに対して私自身が怒りとか、困惑の感情が生まれるんだろうなと思う。
だったら始めから、何も感じなければいい。
何も感じずに、ただその行動をすればいい。
そうすれば、こんなに嫌な気持ちにならなくて済む。
それが学べてよかった。
次に活かそう。
私は、いい経験をしたな。
人間である以上、このどす黒い感情を抱かない人なんて、きっといない。
もしいたら、その人はきっと、聖人君主。
私はその人を、心から尊敬する。
私だって、被害者ぶるつもりはない。
誰からも好かれる人がこの世にいないように、私もきっと、このクラスの一部からは嫌われているのだろう。私が誰かから傷付けられて、苦しんでいるのと同じように、私もきっと誰かのことを知らないうちに傷付けていて、誰かからは妬まれているし、貶されているのだろうから。
それでいいし、それが人間の真理なのだろう。
他人を傷付けない人なんて、この世にはいない。
でも私は、自分の「核」となるような生き方を、考え方を。
変えるつもりは、今のところない。
そうではなくて、少し、考え方を変えてみよう。
少なくとも、そんなものに囚われて苦しんで絶望するよりも、すぐ近くにいる、私が大好きな人を、大切な人だけを視界に入れて、生きて行けばいいんじゃないかって。
それに囚われるだけ、時間の無駄。
私にはそんなくだらない、自分にとっての「害虫」に時間を割いている暇は、悪いけどないからさ。
私は、気高く生きる私であれ。
読んでくださってありがとうございます。
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