わたしのふりしたわたしがいる

感情が無いって、そんなに悪いことなのかな。
冷静に客観的に事象を捉えられるという点では、この上ない理想の状態だと思うんだけれども。

それなのに。
どうして私は、自分が今、無感情なことに対して、焦っているんだろうな。本当は感情が欲しいのかな。

いや、無感情ってことはないんだと思う。だって、たまたま通りかかった公園に咲いているお花を眺めては「綺麗だな」って思える心はあるし、友達に対して心配と言うのか、「なんでこんなに頑張っている人が苦しまないといけないんだろう、理不尽だな」って思うことはできているし。だから、感情が無いって言うのは、違うのかも。

そうではなくて、大学の授業、特に卒業必修科目に関係する事象に限って、今の私には、感情が無くて。もう春学期から、ずっとそうなんだよな。かれこれその状態で、5カ月は過ぎた。ははっ。

講師が厳しいだとか、課題が多いとか難しいとか。後は、ここの授業のレベルが高いだとか。周りが何をどれだけ言おうとも、怖いくらいに今の私は、それらに対して感情が湧かなくて。文字通り本当に、何とも思わないんだよな。どうしちゃったんだろう私は。

昔から、感情は湧かない方と言うこともあって、別段おかしいとも思っていなかった。どれだけ大変だと思ったとしても、そう思うのは自分が怠けているからで、ただの言い訳に過ぎないから。そんな風にして、過去の私は感情を抑圧することが、多々あった。

でも今の私は、それともまた違くて。
押し殺しているわけではなくて、本当に、心の底から何とも思っていない。だから怖いと感じるのだ。今の私はおかしいのかなって。課題や授業に悲鳴を上げて「大変!やばいやらなくちゃ!」って事あるごとに発する他の学生を見ては、いつも「羨ましい」と感じる私。

こんなこと言ったら多くの人を敵に回すのかもしれないけれど、「その感情。私にも少し分けてよ」って思う。

これは、余裕があるとも、また違うんだと、自分では思っている。というのも、私自身、自分のことを「余裕がある」だなんて、一度だって思ったことはなくて。いつだって必死で、その日その日を生きているから。生きることさえやめようとした日々が過去にはあるからこそ、自分に「余裕がある」なんて、一度たりとも、思っていない。

いや、それも違うのかな。
だって自分に余裕が無かったら、周りの人のことを考える余裕ってそれこそ無いと思うし、綺麗なものを見て「いいな。素敵だな。」って思える感性のセンサーが、私の場合には作動しないと思うから。

となると今の私は「自分に余裕があって、且つただただ周りのことを冷めた目で見ている、最低冷徹人間」なのかな。

うーん。
自分では「そうではない!」と言いたいんだけど、書いている限りだと、周りにそういう風に捉えられてもおかしくない様相だ。

しまったままの心に
わたしのふりしたわたしがいる

菅田将暉 ユアーズ

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