創価教育学体系 その2
五箇条(ごかじょう)
一、
教育の経済化
教育に関する費用や手間がなるべくかからないようにやりくりしていく事。
教育力
教授力
(教える立場の人の労力)
学習力
(限られた期間でどう学んでもらうか)
経費、時間等は半減される筈。
別の本で一つの方法が生徒たちへの配慮であると同時に、教職員側が生徒ら個々人の性格、特徴の把握のしやすさでもある。というのを読んでいたので、合理的配慮がそういったものであるなら上手いやり方だと思います。少人数だから可能である事もわかった上で、方法をいろいろ知っているだけでも、いつかそれらをアレンジして使える日が来るかも知れない。
二、
盲目的
旧来の教育法をそのままに、時代や世代間の溝等に合わせて変えていこうとしない。
自然的
積極的に関わらなくてもありのまま育つ。
勝手に育つものではあるけれど。社会の中で生きていかなければならない以上。人との摩擦は生じること、ある程度事物を知っておくと会話がしやすいということ。
盲目的、自然的の教育法が放棄され
明目的
ダイレクトに生徒は教師の影響を受けるので(受けない人もいますが)。この生徒らに明確な勉学が必要な理由、進路はひとつだけではない事をはっきり示す。
計画的
無計画に行わず。遅れなど出ない様に見通しを立てて行う。常に改善、修正出来るところはしていく。
系統的
順序立った筋道に従って組み立てられた
文化的教育法
時代に合うやり方。古き良きもの。精神性。新旧取り入れて。
知行合一の主義によって価値創造力が涵養(かんよう)されなければならぬ
知識を教育の現場で実践していく。生徒ら一人ひとりに好きな事、得意な事、苦手な事、出来ない事、各々の個性や特徴を見出す。価値は一つの不出来や失敗によってなくなるものではなくて、無理なくだんだんと養われていくもの。その時点で持っているようには思えなくても何らかの種を持たせられるように。
三、
重任に堪えうる人材確保の為に給料や待遇をよくして。校長登用に試験制度を設け、師範教育根本的改革案などを示し、選りすぐられた優秀教員の育成をする。
四、
教育制度も教育方法も生産的、創価的に改革
人生の意味とか、学ぶ事。働く事。
意味を自分で見つけたかったけど。人様のものを借りて放つしか出来なくて。つまりは自分がない。
不生産的な怠惰(たいだ)者、即ち神経衰弱患者の発生が防止されねばならぬ。
悲惨な家庭環境で育った子を学校の中でケアしていくのは難しいように思える。僕自身放っておいてもらいたかった。せめて学校では殴られたり標的にされたりしなかったら違っていたのかなと未だに思ってる。
ただお達しの通りにノルマ的な事をこなしていくだけではなく。
教育現場で日々起きる出来事を気に留めて干渉するべきか。問題になっている事の表に出さない根の深い部分はないか。教育者自身も思考し変わっていく。バランスをとりながら。
五、
社会学的社会観により、学校が一個の社会として経営されて、教育殊(こと)に道徳教育の源泉とならねばならぬ。
データ分析等を活用して学校も社会の一部のように経営され。道徳教育の源泉。
経済的合理的なやり方に一抹の不安は感じるけれど。殊に道徳教育の源泉とするという部分、ここを読み取っていきたい。合理的な経営と道徳教育が並行に進んでいけるものなのか、単純に僕自身が経済という言葉に凝り固まった観念を持ってしまっているだけなのか。少しずつでも読み進めて浅かろうがなんだろうが書いていくよ。
※僕が初めてのアルバイトでお世話になった所の店長さんは口は悪かったけれど決して見捨てたりしなかった。そこで身についた技術が別の職場で活きた事がありました。感謝です。
令和六年 四月三日 水曜日 (雨)
(体調は優れないけど書きました)
〜続ける〜
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