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“車で迎えに行くね”と言えたなら

私は、家族や友人を車で”迎えに行く”という行為が好きだ。

どうしてもどうしても苦手だった車の運転を克服して、ひとりでも平気で運転できるようになったのは、つい半年前のこと。

公共交通機関で事足りた都会暮らしから、地方暮らしを1年前にスタートさせたことがきっかけで、車社会に適合せざるを得ず、練習を重ね車の運転スキルを身につけることができた。


車の運転ができるようになって、何より1番良かったと思えることが、”車で迎えに行くよ”と言えるようになったことである。


もちろん、車でしか行けないような所にも行けるようになったなど、行動範囲が広がったことも良かったと思っているけれど、

自分でもそこ?と思うくらい、大切な家族・友人を車で迎えに行けるようになったことが、嬉しくて誇らしいのだ。 

ちなみに、良い車に乗ってるから自慢したいという訳ではなく、マイカーは古い軽自動車である。


なぜ車で迎えに行けることに喜びを感じるのかと、自分自身に問いかけてみた。


私が高校生や大学生だった頃は、雨が強くても風が強くても、よっぽどのことがない限り目的地には親の支えなく自力で行かないといけないという教育方針のもとで育った。


そんな中、家まで自転車で帰れる距離なのに、塾の終了時刻前から早々に車をつけ、子どもの帰りを今か今かと待ち構えているよその親たちを、お節介で過保護だなぁと思って傍目で見ていた。

傍目で見ながらも正直今考えると、羨ましい気持ちの方が大きかった。

だけど、“よそはよそ、うちはうち”が得意な母親に、
友人たちのお迎え事情を話しても、そう簡単に車でお迎えの切り札を与えてくれることはなかった。

このように、学生時代からのちょっとした憧れだった
”車でお迎え”を、ひとりで運転できるようになった今、過去にしてもらえなかった分、惜しむことなく車で大切な人を迎えに行けるようになった特権を思う存分使えるのが嬉しい。

当時、あまりしてもらえなかった車でお迎え。
自分が昔してもらえなかったからといった理由で
誰かにしてもらって嬉しいことを他人にしないのは違う。

ふと、大切な人を車で迎えにいくという行為が好きな理由を、
考えていた際に、思い出した子どもの頃の記憶。

私はこの記憶のおかげで、これから先も、自ら運転して車で迎えに行けることに、ちょっとした優越感と些細な幸せを感じると同時に、
子どもの頃に、もっと親に甘えられたらよかったなとも苦味も思い出すのだろう。

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