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難病になって「子どもが欲しい」と思った話

「病気」という、かなり重たい、かつ、パーソナルな話題なので、書くか迷ったのですが、自分の気持ちの整理と、それが誰かの役にも立つことを願って、ここに残しておこうかと思います。

病気の気配

高校生の頃から生理不順で。2年来なかったこともあるくらい。大学生になって「もしも子供が欲しくなった時に、産めない体になってたら嫌だな。」と思うようになって、母の勧めで婦人科に行ったのが始まりです。

血液検査の結果、「プロラクチン」というホルモン値が高いことが分かります。当時通っていた婦人科の方針で、ピルを飲むことに。そのピルが体に合わず、副作用がしんどくてやめました。

そこからしばらく通わなくなってしまって、生理はきたり来なかったり。パン職人として働き出してからは忙しくなってきたので、そのまま病院には行かず放置していました。

この時の症状は、①生理がこない ②たまに激しい頭痛 くらいでした。頭痛はしんどかったけど、偏頭痛なのかな〜くらいに思ってました。

難病と分かる

2年前。東京に来て、仕事も落ち着いてきた頃に、生理不順を治したくて、また婦人科に通い始めました。

すると、ここでも「プロラクチン」というホルモンが高いことが分かります。地元の病院と違ったところは、大学病院を紹介されたこと。

紹介状を書いてもらって、その大学病院にて精密検査をすることに。MRI検査にて、脳下垂体に腫瘍があることが分かりました。難病指定までされている「下垂体性PRL分泌亢進症」という病気らしいです。何じゃそりゃ。

「この大学には専門の医者がいないので、専門の先生がいる病院を紹介する。」とのことで、もっと大きな病院へ。

そこで、主治医の先生に

「手術をするか、一生薬を飲むかです。放置すれば子供は妊娠しても流産します。」

と言われ。ガーーーーーーーン。ショック。当時の日記にも、ただただ悲しい、ということを書いてました。

帰ってからも泣いていた気がします。パートナーが早めに帰ってきてくれて、「悲しいよー」と打ち明けると、何だか落ち着きました。

「病気だろうと何だろうと、おれは萌ちゃんのことが好きだよ。変わらないよ」

そう言ってくれて、本当に救われました。神様かよ。。多分、今の彼氏と結婚できなかったら、わたしは一生結婚できない気がします(重)そのくらい、素敵な人です。(急な惚気)

治療開始

プロラクチンというホルモンが、普通の人の数値が「20」のところ、初めの頃のわたしの数値は「400」と、何と20倍。どうやら、脳下垂体に腫瘍があることで、そいつがプロラクチンをたーくさん分泌してしまっているらしいのです。

手術でその腫瘍を取り除くか、プロラクチンを下げる薬を飲み続けるか。前者は手術なので費用が高いのと、リスクはあります。でも、再発の可能性は低い。後者は、リスクはないけど、薬を飲んで、腫瘍が小さくなることはあっても、なくなっているわけではないので、薬を飲まなくなったらまた大きくなります。

主治医の先生の意見もあって、今は薬を飲んで様子を見ています。

今思うこと

元々、子どもが欲しいという願望があまりなかったわたし。自分のお店をもてて、好きな人と好きな場所で暮らせれたらいいや、くらいに思っていました。

でも、病気が発覚して初めて「わたしって子どもが欲しいと、ほんの少しでも、思っていたんだなあ」ということを自覚しました。

治療をしていない今は、子どもを産める体じゃない。そのことがただただショックでした。ショックを受けている自分に気づいて、「子どもを産めること」は自分にとって「当たり前のこと」という認識だったことを自覚。当たり前じゃないよ、と言われて初めて、その尊さを知ったのでした。

今は薬の効果もあって、順調にプロラクチンの数値は下がっています。授かり物だから、まだわからないけど、ベストは尽くそう。そう思っています。もしできなくても、ベストを尽くしていれば、なんか開き直って最高の人生送れそうなので。

あとは、「また強くなったな」と思ってたりします。(厨二病)これはもうちょっと長くなるので、次の記事で。

最後に、

わたしと同じように生理不順で困ってる女の子!放置せずにちゃんと婦人科行くんだぞ!







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