双極性障害Ⅱ型という性格
わたしは双極性障害Ⅱ型という病気(病気ってあんまり言いたくないのですが、まあ病気です)と一緒に過ごしております
自分の気持ちの整理なのが一番なのですが、もしわたしと同じようにこの病気で生きづらさを感じてる人がいたら、少しでも生きやすくなるために、参考にしてもらえたらなと。あとは、原因のわからない生きづらさを感じてる人に、この病気の存在を知ってもらえたらと思います。(過去一書くのに勇気がいる記事だった)
双極性障害Ⅱ型とは
双極性障害は、ふつうのひとより気分の上がり下がりが大きくて、躁状態(または軽躁状態)とうつ状態とをくりかえす精神疾患です。「躁うつ病」と呼称される場合もあります。(障害って名前だけど病気だよ)(原因は不明らしいけど、遺伝が多いってだれかが言ってた)
双極性障害にはⅠ型とⅡ型があります
双極性障害Ⅰ型は気分が上がっている躁状態が強く、周りがその問題行動に気づいて病気だと認識がされやすいそう。(例えば、眠らなくても活発に活動する、大きな買い物やギャンブルなどで散財するなど)
わたしの双極性障害Ⅱ型は、Ⅰ型よりも躁が軽く、本人も調子が良くて気分がいいので、軽い躁(軽躁)を「自分のふつうの状態」と思っていることが多いそうです、(わたしもそうだった)
まあ簡単に言うと、ひとより落ち込みやすいという症状です(╹◡╹)
まずは生い立ちから!自己紹介!
悪い子ぶったりいい子ぶったりしてた中学時代
中学2年生までは、なにも不自由なく(人より反抗期が激しめだったくらい)、ふつうに過ごしてました
やや陰りが訪れたのは、中学3年生のとき
憧れの高校に入りたくて、必死に勉強を始めた頃
それまで一度も内申点で「5」をとったことのないわたしは、必死にいい子ぶることにしました
その結果、なぜか学級委員長をつとめることに
勉強のストレスと、向いてない委員の責任感とで、学校に行くのがだんだん苦しくなるように
わたしの学校に行きたくない病は、中3から始まりました
対人恐怖症と診断された高校生時代
決死の猛勉強の末、無事に憧れの高校に入学
が、高校に入ることがゴールになっていたわたしは、なんのために学校に行っているのか分からなくなります
周りがきらきらして見えて、自分ばっかり取り残されていく感覚
だんだん学校に行ったり行かなくなったりになって、心配したお母さんが学校の先生に猛烈に相談、その後心療内科に連れて行かれることに
学校に行きたくない→病院に行かされる→無理にでも行かなきゃ行けない→精神状態悪化
という、悪循環
友達には恵まれていたので、友達に会いに学校に行き、高校2年生までは完全な不登校にならずに進級できました
が、高校3年生のとき
みんなが受験モードになる中、目標のないわたしは、劣等感のカタマリとなります
大学に行きたいわけでもなく、なんのために勉強するのか分からない、でも勉強しろと言われる
どんどんと学校に行きたくなくなり、夏休み明けに爆発
ついに、病院で病名がつきました
それが、対人恐怖症でした
対人恐怖症とは
そのときのことはこちらに詳しく書いています
このころから、薬物治療を始めました(抗うつ剤とか飲んでた)
卒業だけはさせたいと頑張るお母さんと絶対に学校に行きたくないわたしとの、激しい戦いが続きます(今は卒業させてくれてよかったと思うから、とても感謝してるけど、そのときは本当に苦しくて苦しくて消えてしまいそうだった)
朝、学校に行きたくなくて押入れに隠れたりもしてました
まあ、そんなこんなで、無事卒業(長くなるので割愛)
が、ここからが重要
わたしは、大学に行くことしか、選択肢を知らなかったのです
学校が嫌いなのに、学校に行く進路しか知らないわたしは、先生とお母さんの言われるがままいける大学に入学
上がり下がりが目立つように
大学生になったはいいものの、入学した次の日には辞めたいと泣いてました
入学から2.3ヶ月くらいは毎日帰るたびに泣いてて、今思うとほんとに学校が嫌いなんだなあ、、
でも、めちゃめちゃ優しくてすてきな友達ができて、泣かずに行けれるように(泣きながら行くとか幼稚園生かよ)
学校に慣れてくると、高校生の時から気になってたNPO法人で活動を始めます
が、冬になると気分が下がってまたもや行ったり行かなかったりに
テスト前には、テストに対するトラウマもあってか気分が悪くなって、ふらふらしながら行ってました
そのころから、3ヶ月ごとくらいに体調が良くなったり悪くなったりしてることに気づきます
アルバイトを始めたりしたのですが、体調が良くないときに行けれなくなったりして、迷惑をかけたくなくて辞めたり
(一番続いたバイトで7.8ヶ月でした)
ただうつっぽいのではなくて、双極性障害Ⅱ型だと自分でわかってきたのは、休学してからのこと。そのことを病院で相談すると、治療(薬の種類)を少し変えることに(病院に行くときは気分が落ちてるときが多かったので、軽いうつだと判断されていたのかも。自分のことをきちんと話すことが大切だと思います)
調子がよいときのわたしがわたしのふつうじゃない
調子がよいときは、とにかく気持ちが明るくて、忙しさを楽しめるようになります
予定をどんどん入れたがって、調子が悪いときのことなんて考えれなくなります
逆に調子の悪いときは、体が動かなくなります
人に会えなくなって、学校にも行けれなくなって、リフレッシュに外へ出ることさえできなくなります
わたしは、そんな調子が悪い時の自分がずっと許せませんでした
なんでできないんだろうって自分を責めてばかり
でも、そんな自分も認めれるようになったのが、ここ最近のことです
活動してたNPOで半年間インターンをさせてもらったのが、自分を振り返って、認める期間になったのだと思います(めちゃめちゃありがたい)
なおさなきゃなおさなきゃって自分を追い詰めていたけれど、それだと苦しいばっかりだよなあと
「調子のよいわたしも、わるいわたしも全部わたしなのだ」
そんな当たり前のことに気づきました
双極性障害という性格と付き合っていくために
まず、同じような症状で悩んでいる人は、心療内科などの病院に行くことをおすすめします
熱が出たら内科に行くように、こころの状態がよくなかったら心療内科に行けばいいのです
自分を認めれないままだと、悪化するばかりだと思います
わたしの場合、自分の判断だけでは行く決心ができなかったので、お母さんに連れて行ってもらってよかったのだと思います、きっかけになったなって(連れていかれた当時はなんで自分が心療内科に連れていかれたのか理解不能で怒り狂ってたから、自分ひとりじゃ病気だなんて絶対認めれなかったとおもう)
心療内科に行く勇気がでないひとは、まず近くの人に相談するのがよいと思います
意外とまわりは、あなたの不調に気づいていないので
親でもいいし、友達でもいいし、先生でもいいし、誰でもいいから話してみるのがよいと思います、わたしの場合は、全く関係のないひと(もっといえばわたしに興味のないひと)に話したくなるので、それもあり
ひとつひとつ対策を立てていく
風邪と違って、薬を飲めば一発で治るものではありません
病気なので薬で改善されるところもあれば、自分の性格として一生付き合っていかなきゃいけないところもあります
昔は、病気だからなおるんだ!!全部悪いところはなおさなきゃ!!と思っていたのですが、今はどうやったら自分とうまく付き合っていけるかを考えるようになりました
ひとつひとつ対策をたてていくしかないのです
例えば、わたしは調子がいいときに予定を詰め込みすぎるので、あらかじめ「メンテナンスの日」という何も予定を入れなかったり、自分のために時間を使う日を1週間に一回入れておきます(予定帳に書いとく)
予定帳にも工夫をしてます
やりたいこと=黄色、やらなきゃいけないこと(例えば課題の締め切り)=青色、メンテナンス(友達と遊んだり、髪を切りに行ったり)=ピンク、というように、自分の中で予定を分類
可視化することで、「だんだん黄色が増えてる、ちょっとセーブしよう」と、前よりも自分で判断できるようになりました
症状が人それぞれなだけあって、対策も人それぞれ。同じ病気のひとだからってみんな一緒じゃありません、ひとつひとつ、自分のことを知って、対策を考えていく
簡単なことじゃないけれど、そうやって自分と付き合っていくしかないのです
これから
自分を生かすために、自分の夢のために、これから仕事に就くのですが、
わたしは、仕事につくとき、最初からカミングアウトをしたいと思ってます
インターンをさせてもらったとき、自分のことをあんまり話さなくて、迷惑をかけちゃったのもあって、よりそう思うようになりました(自分自身で自分のことを理解できなかったのが大きいけど)
いいところだけじゃなくて、悪いところというか、情けないところも伝えたいなと
それで認められなかったら、自分と合わない場所だっただけなので、仕方ないなって
とてつもなく勇気がいることだけれど、見て分かるような病気ではないので、きちんと自分の言葉で伝えたい
あとは、きちんと仕事場を選べば、うつ状態が軽くなるのでは?ともちょっと思ったり
今までは、学校(詳しくいうと、大きな組織)という不得意な場所に無理して行かなきゃいけない状態だったのが、向いているとか居心地が良い場所に行くとなると、症状が軽くなるのかなって
でも、油断せず、調子のよいときの自分こそ気をつけねばなと思います
最後に
双極性障害Ⅱ型は、気分や体調が安定しないので、自分だけが社会に適応できてない不安をずっと抱えたまま。でも見かけはごくふつうの人に見えるので、なにをそんなに悩んでいるの?とよく言われたりしてました
みんなと同じように「ふつう」になりたくて仕方がありませんでした。うまく馴染めない自分が嫌いでした。
でも、わたしがわたしを好きでいてあげないと、大切にしてあげないと、どうするんだって思ったんです
わたしはわたしのペースでいいよって、わたしが認めてあげないと、否定ばっかりじゃ悲しいじゃないですか
なんで中学2年生までは、苦しくなかったかって、多分、わたしはわたしのことが好きだったからなんです。なんで中学3年生から苦しくなったかって、わたしがわたしのことを嫌いになっちゃったからなんだと思うのです
こんな扱いにくいわたしを操縦できるのは、きっと長い付き合いをしているわたしくらいしかいないので、そんな「わたし」を守ってあげたい
あなたも、あなたが操縦席にすわる「あなた」を守ってあげてください
長い文章を読んでくれてありがとうございます。わたしを守るために書いた記事でもあるのですが、読んでくれたあなたを守る記事にもなってれば嬉しいです
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