見出し画像

高校生のときに対人恐怖症になった話

わたしは、高校3年生のときに「対人恐怖症」と病名がつけられたことがあります


対人恐怖症とは
人前で話す,文字を書く,食事をする,会話をする,試験を受けるなど,人から直接的・間接的に評価される状況を恐れて,避ける病気のこと。自分がどう見られているのかが気になる場面や,特に中途半端に顔見知りの人たちと同席する場で陥りやすい。 激しい緊張,あがり,自意識過剰,心臓がドキドキする,全身が震えたり汗をかく,といった症状がある。自分の症状を気にすればするほど起こりやすくなる。自分の内面を見つめはじめる思春期や,コミュニケーションが多様になる青年期に始まることが多い。

「対人恐怖症」と診断されるまで

憧れの高校に入学して半年

高校に合格することがゴールになっていたわたしは、まわりがきらきらして見えて、劣等感で落ち込むようになりました

当時やりたいことがなかったわたしは、学校に行く意味を見出せず、不登校気味に

そんなわたしを母が心配して心療内科に連れていかれました

その当時、わたしは病院に連れていかれた意味が分からず、怒り狂ってた笑。わりと教育熱心な母からすると、「学校に行けないこと」を異常事態だと判断したんだと思う

初めて行った心療内科は、本当に合わなくて、「頑張って勉強して高校に入学したはいいけど、まわりと比べて自信がなくなっちゃったやつね、よくあるよねえ」と、一文でまとめられて、本当に悲しかった

このころから、わたしは「おとな」を全く信用しなくなったし、おとなになっていくことに絶望しか感じていなかった

次に連れていかれた病院は、学校の先生が紹介してくれたところ

カウンセリングを受けて、気持ちが落ち込みにくくなる漢方を飲むことになりました、その後も高校生の間は月に1回定期的に通うことに

今思うと、精神的に弱い生徒に対して、すごく理解のある学校だったなあと思う

進学校によくある「ついてこれないやつは置いていくシステム」ではなかった

そんな学校の雰囲気と、友達に恵まれていたのもあって、完全な不登校にはならず、なんとか3年生に進級

が、3年生になると、まわりは受験モード

やりたいことがなかったわたしは、大学に行く気もなく、受験モードの周りの雰囲気についていけず、劣等感のかたまりとなってしまいました

ついに夏休み明けに爆発

「対人恐怖症」と病名がつけられたのでした

そのころのわたし

まず、電車に乗れなくなりました(バスはぎりぎり乗れた)

電車に乗って、だれかの笑い声が聞こえると、「わたしが笑われてる」って震えてた

学校についたはいいけど、教室に入る気になれなくて、帰ったりすることなんてしょっちゅう

頑張って教室に入ったけど、まわりに何か言われてる気持ちになってきて、冷や汗が止まらなかったり、手が震えたり

どんどん引きこもるようになって、カーテンを閉めて一日中部屋のなかにいることも

思い出したかのように泣いてみたり、一日中動けなくて寝てたり

当時の記憶って「しんどかった」ってことしかなくて、本当に苦しかったんだろうなあと思う

学校を卒業させたい母vs学校に行きたくないわたし

病名を付けられてからは、薬を飲むようになりました(たぶん抗うつ剤とか飲んでた)

そのおかげもあって、2.3か月で外に出かけれるくらいに回復

どうやって克服するのがいいかって、きっとゆっくり休むのが一番なんだと思います

風邪をひいたら、病院に行って、薬を飲んで寝てたらなおるように、こころがやんだら、心療内科に行って、薬を飲んで、おいしいごはんを食べて、たくさん寝て休めばいいのです

が、あまりに休みすぎて卒業の単位が危うく(笑)

どうしても高校だけは卒業させたい母と、絶対に学校に行きたくないわたしとの激しい戦いが始まります

毎朝、母が起こしにくるのが、死ぬほど怖かった

押し入れに隠れたり、言い合いのけんかをしたり

今は高校を卒業させてくれて本当に感謝しているけれど、当時は本当に苦しくて苦しくて、消えてしまいそうだった

でも、それは母も同じだったと思う

わたしのために、必死にわたしと、そして自分自身と戦っていたと思う

学校以外の選択肢を知らなかった

学校に行けれないと、家でも悪者で、当時のわたしはどこにも居場所がなかった

きっと、わたしも母も、学校以外の選択肢を知らなかったから、あんなにしんどかったんだったと思う

それに気づいたのは、大学生になってから関わり始めた「だっぴ」のおかげ

だっぴは、人と人とが出会える場づくりをしている団体で、だっぴとの出会いで、わたしは救われたなあと思う

学校に毎日行って、いい成績をとって、先生に好かれて、いい大学に行って、いい会社に入って、安定した毎日を過ごすのが、わたしの求めているおとなじゃないって、初めて気づいた、求めてないのにそれに向かってる自分に違和感だったけど、それしか知らなかった

こんなに楽しそうに働くおとなっているんだ、って衝撃で、おとなになるのが怖くなくなった

「いろんな人と話して、いろんな価値観を知って、視野を広げる」って、言葉で言うのは簡単で、でも高校生のころのわたしには、それを行動に移す勇気も手段も知らなかった

大学生になってやっと、いろんな生き方をするおとなに出会って視野を広げて、自分と照らし合わせることができるようになったんだと思う

学校以外の選択肢っていうのは、とっても大切だと思う

けれど、選択肢っていうのは、その選択をした人しか知らないので、きっと、まわりが示したり、その選択したひとに出会わなきゃいけない

わたしには小学生の弟がいて、弟がもし、わたしと同じように苦しんだら、わたしはほかの選択肢をたくさん教えてあげたい、そのために、いろんな経験をしたい、自分とだれかを守れるくらい、選択肢を増やしておきたい

学校に行けれないあなたへ

長々とよくわからない文章になってしまったのだけれど、何が言いたいかというと、「病気になるくらい学校に行きたくないなら、学校へは行くな!」ということ(それは、会社とかどのコミュニティでもそうだと思う)

学校なんて、全く違う人同士を、教室という同じ空間に入れて、同じ行動をとらせるんだから、くるしくて当然だとおもう

みんなと同じようにできないからって苦しむ必要なんてない

しんどくて、消えてしまいそうだったら、わめいて、叫んで、逃げていいと思う(わたしも必死に逃げた!)

いつかきっと、そのしんどさには終わりがくるし、新しい選択肢がやってくる

わたしも、高校生のときは、大学進学しか選択肢を知らなかったからそうしたけれど、いまは別の選択肢も見えて来たので、、!

その報告はまた今度!

最後に

もしかしたら、「病気になってかわいそうなわたし」というふうにうつるかもしれないのですが(多分、わたし自身そういうふうに思っている節があるかもしれない)、病気になったことに関して、なってよかったって言い方は変なのですけど、失敗したとかは思っていないです、なので、変に同情はされたくない(わたしの苦しみは、わたしだけのものなので)

その経験のおかげで、弱さが分かるようになったというか、そういう気持ちをこころから理解できるようになったなと思うし、なにより、人を好きになったなと思います

一度は、人の嫌なところばかり見て、大嫌いになったからこそ、今度は人のいいところを見れるようになったし、人が大好きになりました

あとは、母との戦い(笑)のことも書いたのですが、当時はほんとうに苦しかったから、それを母のせいにすることしかできなかったけれど、今では一緒に買い物に行ったり、RADWIMPSのライブに行くくらい仲良しだし、高校を卒業させてくれて、当時のわたしときちんと向き合ってくれて、ほんとうに感謝してます

いまのわたしがあるのは、高校生のときのわたしがいたからで、全部貴重な経験だし、苦しみだったと思います

こんなつたなくて間延びした文章を読んでくれてありがとうございました。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

よろしければサポートおねがいします◎