『ジェイムズ・ジョイス全評論』

作品内に数多の謎を仕込んでおくというジョイスの戦略にまんまと乗せられて、とうとう本書まで読まされてしまった。
『ユリシーズ』における「輪廻転生」とは「翻訳」ではないだろうか?
あるいは、「翻訳」としての「読書」といってもいいのかも知れない。
「翻訳」さらには「読書」によって、『ユリシーズ』は何千万回となく「輪廻転生」を繰り返していくのではないだろうか?/


【ジョイスが一四歳から五五歳までの間に書いた評論を執筆順に収め、それぞれに梗概を添えたこの書は、(略)作家ジェイムズ・ジョイスの「自伝的」著作集に他ならない。それがジョイスのフィクションを理解するうえでも極めて有効な糸口を提供している点は一読すれば明らかだろう。】(訳者あとがき)/

【「ジョイス自身の筆によるジョイス論」とさえ呼び得るほど、彼の評論は小説の理解を助けて余りある。】(同上)/

【八〇年代はじめ、修士課程に入学して早々の指導教授の言であるーー「まずはエルマンの伝記を読んでみなさい。作家の人生を、一度生きて御覧なさい。」】(同上)/


【上記二種の劇〔ギリシア劇とシェイクスピア劇〕はいずれも、壮大極まりない芝居にうってつけの幕開きとして己が役割を終えたのだから、文学骨董品の部局に移管されても良いだろう。】(「劇と人生」)/


【ヘンリック・イプセンが『人形の家』を執筆してから二〇年が過ぎた。これはほとんど、劇史上に新時代を画したと言ってよい作品である。(略)こうした様々な批評の紛糾を通して、偉大な天才の姿は日に日に明らかとなってきており、それはひとりの英雄が、地上の試練のなかから姿を現すかのごとくである。】(「イプセンの新しい劇」)/

【ひとりの劇作家の芸術が完璧であるとき、批評家は余分なものとなる。(略)また、舞台にかけることが是非とも必要な戯曲があるとすれば、イプセンの戯曲こそがそれである。】(同上)/


【註(20)「第三の使徒」とはジョイス自身のことを指す。彼は自らをイプセンとハウプトマンの後継者に位置づけている。】(「喧騒の時代」)/


【美、すなわち真実の輝きは、想像力が己の存在の、あるいは目に見える世界の真実について、一心不乱に瞑想するとき、優雅にその姿を現す。そして真実と美から生じる精霊こそが、喜びの聖なる精霊なのである。これらが現実なるもの(リアリティーズ)なのであり、これらのみが生命を与え、生命を維持する。】(「ジェイムズ・クラレンス・マンガン」)/

【註(52)「幻想(ヴィジョン)もしくは想像(イマジネイション)とは、真に、そして不変的に、永遠に存在するものの表象である。物語や寓話は記憶の娘たちによって形造られる」(ウィリアム・ブレイク『最後の審判の幻想』。同上)/


【註(1)フローベールは、(略)嬢に宛てた(略)日付けの手紙で、つぎのように書いている。「(略)『ボヴァリー夫人』は一切事実に基づくものではありません。まったくの作り話です。そこには自分の感情も自身の生活も、一切注ぎ込むことはありませんでした。〔事実と思わせるほどの〕幻惑は(略)、逆に作品の非個人性から来るものなのです。これはわたくしの信条のひとつです。つまり、自らを語ってはならない、ということです。(略)わたくしにとって主要な困難は、やはり文体です。すなわち形式です。概念そのものから生じる、美しい定義できないものーーこれはプラトンの言うように、真実の輝きなのです」。】(「美学」)/

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