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涙の味を知るマフラー

この冬は、あまりマフラーを巻かなかった。
暖冬は助かるけど、マフラーの出番が減るのは寂しい。

マフラーをぐるぐる巻くと、防御力がぐんとアップしたような気がする。
温かな毛糸に包まって、守られているような、世界と隔絶したような錯覚に陥る。
なにより、うつむきがちな顔をうずめるのにちょうどいい。
マフラーは涙を受け止めてくれる。

中学生の時は、ざっくり編みのボリュームマフラーがお気に入りだった。
開けたばかりのピアスがよくマフラーに引っかかって、痛かった。
耳がピアスとマフラーに引っぱられアイタタタと言っている私を見て友達はよく笑ったし、私もそれで笑いを取っていた節はあるけど、
たまに本気で涙が出た。痛くて。
背伸びをしてピアスをあけた罪なのか?と考えたりした。
 
 
高校の頃は制服に合わせてマフラーを選ぶことが多かった。
センター試験が絶不調に終わった高校3年のわたしは、
駅のホームでマフラーを目元まで上げ、汗のような涙を流した。
     
わたしの故郷は田舎で、高校を卒業したらほぼ全員がこの町を出ていく。
卒業を控えて、教室や廊下や校庭のあちこちで、誰かとくっついたり離れたり泣いたり笑ったりする同級生の姿を見かけた。
聡明で優しくて弱音を吐かない友人が、一人で泣いているのを見た。
彼女は恋人と同じ大学に行くことを目標にしていたけれど、叶わなかった。
わたしも泣き虫だったけど、あの頃はみんなよく泣いていたなぁ。
受験の不安と、目の前に迫るお別れと、新しい世界に出ていく期待と、あらゆる気持ちが瞳から溢れて、マフラーに落ちた。
 
 
社会人になり、ちょっと良いモヘアのマフラーを買った。
手触りも色も全てが柔らかい。髪やアクセに絡まることもない。
マスクをしてマフラーを巻いて電車に乗る冬。
仕事に追われ、失敗を繰り返し、帰り道でよく泣いた。
コロナ禍でも人と接しなければいけない仕事ゆえ、世の不穏な空気が人に伝染したような、あらゆる刺々しい言葉を浴びたのもこの頃だった。
10代の頃のように人目をはばからず爆泣きすることはできないけど、
社会の厳しさと自分の無力感と投げつけられた言葉の痛さを思い出しては、条件反射のように涙が出る。
ちょっと良いマフラーに、涙がじんわりと染み込んでいく。

仕事にも慣れてきた今年の冬は、帰り道に泣くことはなかった。
親が体を壊したり、環境の変化や、人生どうするかな~という漠然としたことを考えて気持ちが揺れることはあったけれど、それも含めてやっと大人として社会にかかわりはじめた実感がある。
仕事のことでは泣かなかったけど、幸せなライブの帰り道や、切ないほどの映画の余韻に浸って歩いた日、泣きたくなるような夜景をみたこと。
数少ない、今年のマフラーの出番。悲しくないのに涙が出ていた。
    
マフラーをしない季節も俯いたり泣いたり嘆いたりしながら生きてるけど、
冬はいつもより涙腺が緩みがちになる。

それをマフラーのせいにできるから、冬はちゃんと寒いほうがいい。

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