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電車遅延に思うこと。

朝駅に行くと、電車は時間通りにはこなかった。

そこまでは予想の範囲内だったが、15分待てど30分待てど一向にホームに入ってくる気配がないとなると、そこは予想外。
その後わりとすぐに運転見直しのアナウンスが流れ、健気にホームで待っていた人たちは、蜘蛛の子を散らしたように移動していった。

ひとまず、わたしより1時間弱後に家を出る恋人に、電車止まっちゃったから出てこないほうがいいよ、と連絡して、家の方向に歩き始める。
家の近くにもう一つ駅があるが、今行ったら同じことを考えている人たちの波に飲まれると思って、一旦家に帰ることにした。

結局、午前中のうちには動きそうもないので、午前休を取ることにした。
電車遅延状態で、いつ家を出るかそわそわ待つのは、あまり好きじゃない。仕事をしないなら潔く休みたい。
そこら辺は恋人も同じようで、午前休を取っていたが、さらに落ち着かないのか人がはけたもう一つの駅の様子を確かめた後、休みの終わりよりかなり早めに家を出ていた。

なんだか、こういうとき、日本人を感じる。
天気が悪いのに一生懸命、人に揉まれながら、無理してでも会社に行こうとすること。
電車の遅延は自分のせいではなくても落ち着かず、早めに行かなきゃと言う気持ちになること。
そういう行動のおかげで、街が、社会が止まらずに動いていること。
それらがみんな、当たり前の感覚なこと。

ちゃんとしないと許せない気持ち、時間通りにこないとイライラする気持ち。
そう言う空気が蔓延する時、余裕がないなと感じる。
真面目さは本来取り柄になりうる。でもその加減は人それぞれのはず。
お互いの違いをちょっとずつ許容しあって、ひとりひとりの心に余裕が生まれてほしい。そういう社会になってほしい。
そして、社会を止めずに働いてくれている人々に対して当たり前に感じず、感謝の心を忘れたくない。

そんなことを考えながら家に帰ってきたら、屋上に溶けかけの雪だるまを見つけてほっこりした。

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