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共産党に女性党首?

◉志位和夫委員長から、田村智子政策委員長への禅譲。まだあくまで噂の段階ですが、誰が継いでもそうなるだろうなと。共産党は党首公選を否定していますから。自分に逆らう人間や、業績を否定する人間が後継者に選ばれたら、たまりませんから。フルシチョフのスターリン批判と、カリスマ失墜を知っていますから。特に、不破哲三氏とか。院政を敷き、何十年も指導家に置き、同じ穴の狢にする。宮本顕治氏から始まって、ずっと続く独裁体制。血縁による世襲ではないだけで、皇帝制度における禅譲と、本質は何も変わりません。

【共産党初の女性トップに「田村智子」/志位氏が異例の「後継指名」/党勢回復へ「ジャンヌ・ダルク」か】FACTA

共産党は2000年以来となる党首交代が確実となった。白羽の矢がたったのは田村智子政策委員長(58)――。創設101年を迎える老舗政党で初の女性党首となる。野党共闘の不調に加え組織の弱体化が続く八方塞がりの中、サプライズ人事は党勢拡大へ功を奏すか。
(中略)
党内外に「田村委員長」誕生を印象づけたのは11月13~14日に開いた第10回中央委員会総会(10中総)だ。2024年1月の党大会に諮る決議案を説明したのは志位和夫委員長(69)ではなく、田村氏だった。締めの「結語」も田村氏が務め「党大会の成功の先頭に私たち一人ひとりが立ち、必ず成功を勝ち取ろう」「強く大きな党をつくり、日本の『夜明け』を開こう」と声を張り上げた。

https://facta.co.jp/article/202312038.html

ヘッダーはウィキペディアのフォトギャラリーより、教祖カール・マルクスの御尊顔です。

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共産党は日経新聞にも、『共産・志位委員長、党首公選を否定 「民主的と思わず」』と報じられているとおり、党首公選を否定し、それどころか提案した党員の松竹伸幸氏をを、最も重い処分である除名に処しましたから。自分たちは絶対に間違えない、無謬だという前提があるので。でも現実は、ソ連を支持したり中国を支持したり、ルーマニアのチャウシェスク政権を支持したり、あるいは暴力革命路線をある時期まで支持したりと、無謬なんてとんでもないわけで。

なので、日本共産党スパイ査問事件も、宮本顕治氏による小畑・大泉両名に対する暴行の事実を、全否定していますしね。宮本体制が書記長として1958年から1970年まで、幹部会委員長として1970年から1982年まで、日本共産党議長として1982年から1997年まで続き、39年の長期独裁。その後も2007年に亡くなるまで隠然たる影響力を保持し。あとを継いだ不破哲三氏は共産党幹部会委員長を1982年から1987年までと1989年から2000年まで努め、共産党議長を2000年から2006年まで努め、これまた24年の独裁体制。

志位和夫氏が委員長になっても院政を敷いてたであろうことは、容易に想像がつくわけで。田村智子政策委員長が党首になっても、実験は志位和夫氏が握り続けるでしょうし。しかしジャンヌ・ダルクとは、皮肉が効いていますね。望月衣塑子記者も新聞界のジャンヌ・ダルクと呼ばれましたが。オルレアンの乙女( la Pucelle d'Orléans)が、最後にどうなったか解ってて、その呼び名を付けたのかな……と。まぁ、〝共産党のジル・ド・レ〟よりはマシですが。ジル・ド・レィはジャンヌ・ダルクの盟友で、シャルル・ペローの『ペロー童話集』に登場する、次々と妻を殺す青ひげのモデルになりましたが。

不破哲三氏の超ウルトラスーパー豪邸を、志位和夫氏が受け継いで住んだら、なんだか山口組三代目の邸宅を組を継いだ新組長が住んでるようなもので、ますます皇帝制度っぽいですが。

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