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版権ビジネスの国際化と原作改変

◉ITmediaビジネスに、日本テレビのドラマ版『セクシー田中さん』を巡る問題について、ビジネスの面から俯瞰した興味深い記事が、アップされていたのでご紹介。インターネットの出現によって、いろんなビジネスがグローバル化した時代に、テレビ業界が全く追いついていないという点が、指摘されています。読み応えのある内容ですので、是非ご一読を。これに関連して、スポーツ界・テレビ業界・映画業界・出版業界の問題とか、あれこれ考えてみたいと思います。

【『セクシー田中さん』の悲劇で加速する 日本マンガ実写化ビジネスの海外流出】ITmediaビジネス

日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。

 果たして、これが「感謝しております」という人の訃報に付けなくてはいけない文言なのだろうか。

 人気漫画家・芦原妃名子さんが亡くなったことを受けた日本テレビの哀悼コメントが、「露骨な責任逃れ」「いま言うべきことか」などと批判を呼んでいる。芦原さんが亡くなる直前に世に投げかけた「言葉」を全否定するようなトーンだからだ。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2401/31/news045.html

ヘッダーはMANZEMIのロゴより、平田弘史先生の揮毫です。

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■野茂英雄の起こした革命■

昨年はアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の、番組から生まれた声優の架空ユニット・結束バンドの楽曲が、iTunesの世界アルバムランキングでトップ10に入る快挙がありました。アニメの出来自体が素晴らしかったのはもちろんですが、翻訳版が世界各国で放映されて展開されたわけでもないのに、口コミで海外のファンを獲得し、本職のミュージシャンでも難しい、iTunesの世界アルバムランキングトップ10入り。それだけ世界は身近になっているわけです。世界は狭くなっています。

ところがテレビ業界はまだ、日本国内の市場だけを見て、娯楽の王者として日本の文化自体に大きな影響を与えていた、昭和の時代の感覚から抜け出していないわけです。元記事でも、大谷翔平選手を例としてあげていますが。この変化自体は、実力が物を言い、日本国外以外でも市場があるスポーツ界では、とっくに起きていたこと なんですよね。野茂英雄選手が、近鉄バファローズと契約更改で揉めて、他球団と契約ができないように嫌がらせの任意引退にしたら、MLBに行かれたように。

野茂選手のメジャーリーグ挑戦は1995年。もう、30年近くも前のことなんですよね。通用しないだの何だの、さんざん言われましたが、蓋を開けたら1年目から13勝の勝ち星と最多奪三振のタイトルを獲得。これで日本人選手に、メジャーリーグに挑戦したいという機運が盛り上がり、イチロー選手をはじめ数多くの選手が、海を渡りました。昔だったら、任意引退選手となってしまったら、選手生命は断たれたも同然でした。

『セクシー田中さん』事件について合衆国の報道が日本国内と違って詳細な件、事件が制作作法の問題ではなく版権者同士の契約の問題と受け取られて日本のメディアが契約相手として信頼できるかが問われているからなわけで

https://x.com/gishigaku/status/1753269989090750780?s=20

原田実先生の指摘が、非常に本質的。ドライな契約社会だからこそ、アメリカが原作者の希望を侵害しないという逆説。

■村社会→グローバル社会■

この、村八分にすることによって個人を抑圧する村社会の論理のシステムは、島国日本では各方面で、散見されます。昭和の時代は、漫画も小説も映像作品も、発表できるルートが限られて、出版社やテレビ業界、映画界は殿様商売ができたのですけれども。もう、そういう時代ではない。元 記事にもあるように、日本の漫画の大ヒット作品ならば、アメリカ資本のNetflixやAmazonなどで、作品化することも可能な時代です。ただ作品化するだけでなく、原作ファンも納得するべきを出してくるわけです。

これは、レジェンダリー版のゴジラが、日本版のゴジラへの愛とリスペクトに満ちた作品に仕上がっていたように。あるいは、スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』も、メカゴジラやガンダムをリスペクトたっぷりに、ガッツリかっこよく描いてくれていて、外国人監督の方がよほど作品に対する愛情を持っているではないかと、思った次第。日本の映画監督は、原作物をバカにした扱いをするのが、昭和の作法でしたが。ビジネスライクなはずのアメリカのほうが、よほど義理人情を尊重しているわけで。

『セクシー田中さん』のような件が続けば、ビジネスとして、日本のテレビ界・映画界は、見捨てられるでしょうね。大谷翔平選手と同じで、特に世界に通用するレベルの作品からは。日本テレビは、まだ危機感を持っていないようですが。洋画というジャンルがすでにある映画界は、東映東宝松竹角川などの大手各社長が、原作を尊重するコメントを出しました。昨年の興行収入10億円超えの作品は34本、全興行収入の76%。漫画・小説・ゲームなど原作付きが26本を占め、殿様商売はとっくに破綻しています。

コチラのnoteもどうぞ。

■映画業界とテレビ業界と■

日本の映画業界は、1958年(昭和33年)の観客動員数11億3000万人を絶頂に、1956年から1959年にかけての 4 年間が、年間10億人以上を動員したピークの時期なんですよね。 なので、もう70年近く前の話です。質的なピークは1954年、『七人の侍』と『ゴジラ』が公開されたあたりでしょうか。映画会社がプロ野球チームを複数持っていた理由です。そこから、どんどん斜陽産業になったわけですが。ところが1994年を底に、映画館数はじわじわと戻してきています。底を打って、むしろ再評価のフェーズに。

これに対して、テレビは2004年が広告費のピークです。すでに20年、斜陽産業なんですが、まだまだ自分たちが娯楽の王者の気分のようです。映画業界の例に倣えば、テレビ業界は2036年頃に底を打つ可能性はあります。可能性としては、広告費に依存しない番組作りにシフトし、新しいメディアであるインターネットと共存し、YouTubeやX(旧Twitter)などをうまく利用するなら、もうちょっと早くそこを打つかもしれませんが。いずれにしろ、このままだと斜陽産業かと。もちろん、まだ10年や20年は影響力を持つでしょう。

ちなみに新聞業界は、全国紙と地方紙をあわせた発行部数のピークは1997年の5376万部だったのですが…。2018年に3990万部と、4000万部の大台を割ってから、急激に部数源が進んでいます。2019年は3781万部、2020年は3509万部、2021年は3302万部、2022年は3084万部、2023年は2859万部と、減少が止まりません。6年で1100万部。これまた、斜陽産業。朝日新聞の新入社員に東大卒がゼロになって、ようやく危機感が出てるようでは、ダメですね。これまた映画産業の凋落に習えば、2033年頃に底を打つでしょうけれど、このペースだと10年で1696.5万部万部減って、1162.5万部になる可能性が。

■出版業界もグローバル化■

もし、野茂英雄選手が力士だったら、公益財団法人日本相撲協会を追放された時点で、路頭に迷うしかなく。村社会の論理は、貫徹されたでしょう。でも、野球も映画もアニメも国外に市場があった。漫画は、日本が世界最大の市場ですが、国際的な市場は、あります。いわんや、出版市場をや。これも昔は、出版社が窓口となって、外国の出版社と提携していましたが。今はAmazonのPOD(プリント・オン・デマンド)サービスで、作家が個人でデータをAmazonに上げれば、フルカラーの本が簡単に作れ、しかも世界中で販売できる時代へ。

実際、MANZEMIの出版部門である春由舎が、叶精作先生のイラスト集をPODでも出したら、アメリカやドイツからも注文があったとか。POD版は、現地の印刷所と提携しているので、日本で刷って外国に送る必要がないので、値段もほぼ同じです。出版社と取次と書店が、日本国内の流通を握っていたので、クリエイターをないがしろにしていたら、逆転現象が起きた訳です。それどころか、日本国内でもあろひろし先生がクラウドファンディングで700万円を集め、山本貴嗣先生がもうすぐ目標額達成の現実があります。もう、村八分の論理は通用しづらいです。

しかし斜陽産業にも、底を早く打つ方法論や、上手くすれば復活の目もあります。出版業界は1995年をピークに、斜陽産業です。ジャンプの650万部の部数も今は昔、117万6667部ともうすぐ100万部を切りそうです。でも、電子書籍によって新たな読者を開拓し、コロナ禍の巣ごもり景気もあって、2021年には史上最高液を更新。けっきょくこれも、出版社・取次会社・書店の、旧来の販売ルートを独占していた人間が、電子書籍を頑なに拒んでいたのが、時代に抗えず乗ってみたら、そこに大鉱脈がったわけで。前々から主張していた身としては、嬉しい限りですが。

■歴史に学ぶ業界栄枯盛衰■

批判だけしていても、左派マスコミや荻上チキ氏と同じですから、建設的な提案も。ここで参考になるのは、演芸業界の栄枯盛衰でしょう。江戸時代、寛政10年(1798年)7月に山生亭花楽が下谷稲荷神社で寄席を初めて開いてから、文政末期の1830年頃には125軒の寄席があり、天保の改革前の1840年ごろに江戸市中には700軒もの寄席があったそうです。天保の改革で制限されましたが、安政年間の1860年頃から明治の頃には、400件ありました。でも今は、新宿末廣亭・上野鈴本演芸場・池袋演芸場・浅草演芸ホールの4軒に。

でも、100倍の400軒あった時代より、今の方が落語家の数は多く、収入も比べ物にならないぐらい、多くなっています。演劇や映画、テレビの台頭などの時代の変化で、寄席は大きく現象しましたが、初代桂春團治がラジオに出たら、寄席に客が押しかけて、芸人のラジオ出演を禁じていた吉本協業が方向転換したように。テレビドラマをバカにしていた映画業界が、監督や脚本家が転じて後に映画化されるヒット作を産んだり。虫プロのTVアニメを電気紙芝居とバカにしていた東映動画の面々が、そのバカにしていたテレビで適性を発揮した高畑勲監督のように。

新しい時代の変化を、感情的に反発したり、今までの利益を守ろうとして妨害に走るよりも。時代の波に対応することが大事なんですよね。落語家は、ラジオやテレビ、あるいはホール落語という新しい場を開拓しました。映画も、映画会社だけでなくAmazonやNetflixが制作する時代。テレビも新聞も雑誌も、時代の変化に合わせて、生き残りを模索すべきで。それは、復古的なものであったり守旧派であっては、ダメなんですね。そして、減りに減った寄席は、国立演芸場や永谷商事の各種寄席のような形で、むしろ増えています。上方落語は、大阪の天神天満繁昌亭と神戸の神戸新開地喜楽館を開いています。

新美南吉が、『おぢいさんのランプ』を発表したのは1942年。そこでは、ロウソクからランプに照明器具が変わる中、そこに未来を見てランプ商になった主人公が、伝統の時代に抗おうとして、最後は時代の変化を悟り、転職します。名作とはかくの如し。時代を超えて、わたしたちに古くて新しい問題を、問いかけます。自分が電子書籍の利点を説くと、必ず印刷書籍の良さを説いてくるアンポンタンがいますが。たぶん、そういう人よりも自分のほうが、よほど印刷書籍の未来を案じ、そのために出来ることをやっていると思いますよ? ノートパソコンの時代を予見したスティーブ・ジョブズが、デスクトップパソコンの生き残りも模索したように。

■連鎖を断ち切るべき時期■

最後に、自分も尊敬する髙橋しん先生のポストを、リンクしておきます。当事者でもあった高橋先生の、お人柄が伝わる、誠実な言葉ですので、ぜひリンク先で全文をお読みください。

もうひとつ、これに対する安永航一郎先生のポストも。

高橋しん先生もコメント発しておられる。
『いいひと。』ドラマ化の内容改変と今回の『田中さん』は類似点もあるが、前はフジテレビ系で今回は日テレ。原作は同じ小学館だけど編集部が青年誌と女性誌、また間に20年以上開きがあるから編集者も会社幹部も別世代。
ほぼ別条件で同じ問題を繰り返す謎。

https://x.com/zuboc/status/1753046254538641419?s=20

『いいひとの。』テレビ版が1997年、奇しくも新聞の発行部数がピークだった年です。当時はジャニーズ事務所の草彅剛氏が主演でした。ちなみに、『のだめカンタービレ』も、ジャニーズの岡田准一氏が千秋役で、TBSで制作発表までしていたのに、けっきょくはジャニーズのゴリ押しに、原作者側が難色を示し、フジテレビでという流れがあったとか。詳しい事情は解りませんし、テレビ局側も言い分はあるでしょう。でも、殿様商売はもう難しいと、自覚すべきでしょうね。

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