父の入院

正月三日に父が救急搬送され、正月で暇だったのですぐに駆け付けることができた。
結論から言えば、胆石だったので、胆のうを摘出して解決した。
解決してしまった。

彼は**が痛ければ手術、**ならばこの薬、となんでも医学でなんとかなると思っているふしがある。
だから体を大事にしない。
壊れたら医者。
今回解決してしまったことで、医者は万能、という回路が強化されたふしがある。

失語症の母と暮らして、ストロークハンガーなせいもあるだろう。
病院で看護師さんに絡んでいる父は、とてもうれしそうだった。
最低である。

医者から手術の説明を受けている最中も、マウントとろうとしていたし。
専門家にマウントとってどうしようというのか。
オメーがそんなにすごいなら自力で開腹しろ、と喉元まで出かかった。
いやいや、こいつ一応病人なので。やさしく。

マウンティングゴリラという駄洒落がありますが。
駄洒落は言いたくないが、あれはもう何らかのゴリラである。
ここぞとばかりに荒ぶったよねえ、ゴリラ。
弱者を見下しまくっているので、弱者になりたくないんだろうねえ、ゴリラ。死ぬまでに一回くらい生身で勝負してみろよゴリラ。
ていうか、勝負は不可避なわけ??などともおもいましたが、それは彼が選択することなので、知ったことではない。

そんなわけで、精神衛生に悪いかといえばそうでもなかった。
高速を運転して病院に向かう疲れをやりすごし、徹底的に無駄を省いて睡眠時間を捻出し、看病でしわ寄せが来た仕事を淡々と片付けた。
自営業者は時間は自由になるけれど、自由にすると睡眠時間が減るんだぜ。

むしろ、そんなことは15年前に解決してんだよ、三周遅れでやってきて横から半端に口出しすんな、みたいな助言を親戚がしてくることの方がつらかった。

精神衛生に悪いので知ったようなこと言わないでください、うちにはうちの事情がありますので、とLINEしたら連絡がなくなりました。ブラボー。
最近嫌なことは嫌とその場で言える反射神経を鍛えるのに成功しているので、ストレスたまらない。

父にできないこと、例えば痛くて起きられない間の洗濯や購買での買い物、一人で家にいる母の様子見など、それはもう実際的に淡々とこなした。
見事に入院慣れしている。
クリティカルポイントのみ、最小限の時間と手間でケア。
できるところは金で解決。
人がやってくれることはおまかせする。

父が病人なので見下した、とかそういうことでは全然なく、今は心の底から別の人間だと思えているのだ、ということが今回わかってよかった。
レイシスト父のヘイト発言などは、聞かずにぶった切り、話題を方向転換だ。ヘイトやめろといっても、もうわからんだろうから、知らん。
そんな労力は割かない。自力でやれ。

今回の成功点はふたつある。
「目の前で困っている人がいたらできることはする、できないことはしない」というスタンスでボランティアをしているのがひとつ。
ボランティア慣れしてきている。

家族でないと介入できないことがあるのに、家族が責任を持たないため、大変めんどうなことになっているご家庭をいくつも見たことがひとつ。
親だから孝行する、というのではなく、今回は成人で子である私が動くのが最適解で省エネであった。

退院したら、父からお礼を言われた。
最近、ごめんなさいとありがとうが言えるようになって、なんだろう、そろそろ死ぬのかな、と思っていたら、今回もちゃんと言っていた。加えて最後っ屁みたいな余計なことを言い始めるかと聞き流す準備は万端だったが、お礼だけだったので拍子抜けした。

壊れたら医者にかかればいい、と思っている人は、医者でも直せない事態が出来したら、心をどうするのだろう。怖いだろうな。父、怖すぎて経典を訳したあげく、親戚にくばってたもんな。

私は怖くないわけではないが、生物はいずれ死ぬ、こっちの都合は関係なく体は死ぬ、なんならそれは5秒後かもしれないということに心から納得しているので、せめて痛くてのたうち回って死ぬ、家族に経済的な負担をかけまくって死ぬ、というのでないといいなあ、と思っている。

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