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【シンエヴァ考察第3部】何度でも観に行って欲しいから考え方を共有するよ

第2部では大まかには時系列、新劇場版世界の成り立ちについてなどなどを考察・解説してきましたが、ゲンドウがインパクトの主導権をシンジ君に譲ったことで物語の主人公は再びシンジ君に戻ります。
第3部ではシンジ君がインパクトで何を願ったのかや、マイナス宇宙での出来事、エヴァが無くなった世界はどうなっているのかについて考えていきます。
ここからは精神の世界での話になり、内容に関しても個人の解釈がご多分に混じります。しかし正しさを押し付けようとするものでも誰かの考えを否定する意図も一切ございません。ものすごく現実主義で合理主義者が行動心理などを混えて見たシンエヴァってこう解釈されたよ〜ぐらいの参考意見程度にとどめておいていただければと思います。
一応第1〜2部や過去の考察1〜4章を読んでいなくてもこの記事単体で読めるように1〜2部での内容が出てきそうな所では軽く解説もしますのでご安心を。

【第1部】は物語前半の解説から式波シリーズを読み解きながらマイナス宇宙やゴルゴダオブジェクトにも言及
【第2部】は旧作の世界と新劇場版の世界のつながりを考えながらエヴァイマジナリー・黒き月・アダムス・槍と言ったハードの部分を解き明かすパート。
【第3部】は生命の書から分かる円環の構造やキャラクター心理の掘り下げ、エヴァのなくなった世界について
といった進行でシンエヴァの謎をできるだけ全網羅して解説&考察していきます。
どの順番で読んでもお楽しみいただけるよう書いたつもりではございますのでお好きな記事から読んでくださいね。

そして何度でも言わせてくださいね。
今までの記事をご自身のnoteでご紹介してくださった各位、Twitterおよび各SNSにて紹介してくださった皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます!最後まで頑張って走り抜きます。

※ちょっと注意書き
3部の内容は普段絵を描いたり妄想を呟いている方のツイッターアカウントに書いていたことを再編集して組み込んでいるので内容見たことあるかも…と思う方もいるかもしれませんがパクリではないです。同一人物なのでご安心ください。

では始めましょう。

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結論から書くと

私は初回から続けてすぐ2回目も観た人間ですがやはり初回の感想は「???」でした。そして謎の既視感も感じていました。「これセカンド旧劇じゃん…」と。
それは旧劇で補完されなかったゲンドウが補完される物語だからそう感じたのでもあるのですが、私が感じたこの既視感は旧劇を読み解いている時に感じたものと同じ。
そしてすぐに2回目を観た感想は、
「あ〜これ、最終的にシンジ君の心が向いてるのはカヲル君だな」でした。
このあと誰との再会を強く望んでいるのかというとカヲル君。という見解です。
なんだ腐った人間の戯言か…と思われるかもしれませんが考察するときはカップリングとかこうあってほしいというバイアスは一旦外して、まずはニュートラルに現実だけを追いかけていくことを心がけてはいます(一応)妄想のスイッチを入れるのはもっと後でいいんです。
正直自分はカヲル君も綾波もシンジ君の願い叶えたら消えてしまうんやろなそしてリリンだけが残るのか嫌だよオエエ!と思っていた人間なのでまさかこんなことを書くことになるとは思いもしませんでしたが…考えてみれば妥当な結論だなとは思っています。しかし現実的にこういう答えが出てしまったのでやるしかないでしょう。書き方にはかなり悩みましたが、どうしてその結論に至ったのか、ラストに向かって説明を行っていきます。(ある組み合わせやカップリングを否定する気持ちは毛頭ございません)
え?マリエンドじゃないの?!と思われる方、そこに関してもできるだけ丁寧に解説していきたいと思っておりますのでお付き合いいただけますと幸いです。

まず前置きとして
「同性を好きになるとかありえないし友情止まりでしょ」とか
「国民的アニメがそんなことするわけないじゃん」といった考えは抜きにして読んでいただきたいです。
エヴァに関しては同性を好きになることは「ありえる」し「描かれている」んです。そういった意味でも漫画版14巻か愛蔵版7巻に収録されている「夏色のエデン」は読んでおいて欲しいのです。この考察では読んでいること前提で話が進んでいきますのでご注意ください。(一応読んでいなくてもわかるように所々で説明はしていくつもりです)

とはいえ公式としてもシンジ君はカヲル君を同性愛的相手として許容できるとされているのでこれ以上根拠を出してあーだこーだ言う事でもないと思うのですが、シンジ君とカヲル君の間にある絆が“友情”なのか否か?についてはハッキリさせておきたいところ。
カヲル君とシンジ君の間にあるものが友情だけだとですね、説明しきれない事柄が数多く存在してしまうのです。
①シンジ君は人を好きになることに性別が関係無い人です。そして旧作でシンジ君が好きになった人はカヲル君です。それはテレビアニメ24話「好きだったんだ」と25話「好きな人を殺してまで」のセリフから分かります。旧作シンジ君は女性恐怖症になり同性のカヲル君に安心感を感じていたので自然なことです。
(14歳ですから親愛・恋愛・LIKE・LOVEごちゃ混ぜであんまり区別ついてないと思いますが)
②24話→旧劇ラストに行ってもシンジ君がカヲル君を好きな気持ちはブレなかった。人類総LCL化を拒否し、「また会いたいと思った」と伝えてしまうほどには。
その結果、他人の象徴であるアスカが隣に残っていてもシンジ君の心はカヲル君に向いたまま旧劇は幕を閉じています。
③カヲル君は使徒であるため友愛と愛情の区別はありません。シンジ君に抱いているものは人間愛・友愛・親のような愛・神への愛・恋愛感情もろもろの総合愛であり、その中からその時のシンジ君に最適なものを出力するためカヲル君の気持ちはシンジ君次第です。
Qでは精神的に追い詰められているシンジ君に対しては“友情”強めで接するのが有効だと考えたからそう接しています。(自分がシンジ君の一番でありたいという独占欲のようなものも若干持ち合わせているようです)
④新劇場版の世界になりシンジ君は前の世界の記憶はリセットされていますが、ゴルゴダオブジェクトで過去生を知ったことにより旧作の世界で自分がカヲル君を好きになったことも全部思い出しています。
ということで2人は友情も築いていますが、シンジ君がカヲル君に恋愛的な感情を抱いた時点でカヲル君もそれに応えようとするため2人の間には「愛情」も存在します。
とはいえ国民的アニメであるため堂々とシンジ君は両性愛者です!とも大声では言えないでしょうし、いろんなシーンの節々で感じ取っていただくしかないというのが現実です。
シンジ君に関しては人を好きになることに性別は関係なくなった方なので男は男を好きにならない、異性同士で結ばれるべき、アニメで同性愛なんてといったバイアスは取り除いて見ていただけると幸いです。
そういった部分をぶっ壊そうとしているのもまたエヴァという作品なのですから。

シンジ君を立ち直らせたもの

第3村でシンジ君を立ち直らせてくれたのはトウジ・ケンスケ・黒波たちの優しさというリアリティとカヲル君との記憶だと第1部に書きましたが、シンジ君の心はかなり早い段階からずっとカヲル君に向いたままです。まぁ第3村に到着したのはQでの出来事から2〜3日後のことなので無理もないですが。

第3村に到着してからもしばらくの間シンジ君は一時的な失声症になっていましたが、むしろよくそれで済んだな?!という印象です。
というのも人間の脳は精神的に強いショックを受けると心が壊れてしまうことへの危機感から防衛本能が働いて‬、‪解離性健忘(一時的な記憶喪失や記憶の混濁)になりショックなこと自体が本人の中で無かったことになっていたり、‬人格が分裂してしまい自分はショックなことは受けていない、他の誰か(分裂した方の人格)がそういう目に遭っていると思い込んでしまう状態になることがありこれになると治すのにかなりの時間を要します。
この2つの最悪の状態にならなかったは不幸中の幸いと言いますか、シンジ君の心が壊されてしまわないようすんでのところでなんとか押し留めてくれていたのはカヲル君が死ぬ直前に残した「また会えるよ、シンジ君」って言葉があったからではないかと思います。
普通に考えると死ぬ時にそんなこと言えるわけないですからね。“普通の人“なら。
人間、あまりにつらいと思考をやめてしまいそうになるものですがこの言葉があったから「どういう意味なんだろう?」と考えることができ、思考が停止せずに済んだのでしょう。
Qで外界の有様を見せられた時にそれはゲンドウのせいでもあることはシンジ君も理解していますし、インパクトの中心にはゲンドウがおりヴィレはそれを止めようとしていることも頭の中では繋がっている。ゲンドウが13号機を使用するつもりならそこにはもしかしたらカヲル君もいるかもしれない。エヴァだけがゲンドウを止めてカヲル君にまた会えるかもしれない実行力となるもの。だからヴィレに戻ろうと決心しています。もちろんトウジとケンスケが背中を押してくれたこともあり、です。
カヲル君との記憶は忘れてしまいたいとか、心の奥底に封印してしまうようなシンジ君を苦しめるものではなくシンジ君の心を守るものになっていたんですね。
第3村の人たちの優しさに触れ、カヲル君が与えてくれていた優しさに気づき、最後の言葉はシンジ君に一抹の希望を持たせ再起のきっかけになっていました。

ヴィレに戻ってきたシンジ君はもう他のことを考えてる余裕はなく、アスカの告白やマリの胸に一切照れたり驚かなくなっています。(告白に対し嬉しいとは思っていた模様)
と言ってもお互いにこの戦いでおそらく死ぬだろうと思っているから仕方がないのですが。
マリはこの時にシンジ君が何を考えているのかは察してるんですよ。Qで13号機からシンジ君を助け出してくれたのはマリですから。
「せめて姫を助けろ!男だろ!」ってなんとかしてシンジ君を奮い立たせようとしていましたがダメで、その時中でグズって泣いていた子が今は強い目をしているのだから再起した理由もヴィレに戻ってきた理由もそこにあるんでしょ?と。
マリは13号機が2人乗りなことも知っていたしおそらくカヲル君とも面識があった可能性が高く、カヲル君がシンジ君の身代わりになって13号機の後始末を済ませてくれたことも全部分かっているんです。その上でマリはシンジ君の気持ちを確かめにアスカについてきた。
‪‬胸を押し付けたのも「こんなんじゃ反応しないってことはもう君の心はそっちに向いてるのね」と確認するためですね。この時に確信を得たからマリはシンジ君を後回しにしてでもアスカの側にいようとします。
「ガキに必要なのは恋人じゃない。母親よ。」の言葉通り、最後までアスカをひとりにはしないように、アスカの母代わりとしてい続けることにしたんです。

カヲル君とシンジ君、マリとアスカの相補性

破のあたりからちょっとずつ出てきていたキーワードに「相補性」というのがありますが、シンエヴァではかなり出てきますので説明しておきます。
相補性とは欠けたものをお互いに補い合うことなんですが母もいないし父にも距離を置かれているシンジ君に愛情が足りていない、欠けていることは明白でしょう。それはレイもアスカも同じです。(とはいえ親がいない彼女たちの事情はちょっと異なります)
そんなシンジ君はカヲル君へ少し父を重ねて見ていました。同年代に親を重ねて意味あるの?と思うかもしれませんが親の愛情に飢えているシンジ君には必要な存在です。
心身の成長期に必要な愛情を受け取れなかった子供は体が大人になっていく過程で友人や恋人など身近な人から親の代わりとなる愛情を受け取りながら自分に欠けている部分を補填していきます。
大人になるということは「ひとり立ち」することです。それまでは誰かと支え合ってひとり立ちの準備をする。親や、親に代わる大人が側にいればその人達に支えられて大人になっていく。大人が側にいなければ別の誰かと支え合う。ずっと1人でいたらいつまでたっても大人にはなれません。
むしろ親の愛情に飢えた状態でそれを他のことでも補えないまま体だけ大人になるとアダルトチルドレンになる可能性が高まります。旧作のミサトがそれです。これになると治すのも大変です。周囲の理解も得辛いですから。

シンエヴァでいきなりカヲル君は父さんに似てるなんて出されてびっくりした!と思うのも無理ないと思います。元々テレビアニメ版のカヲル君の頃からその傾向はあったのですがシンジ君の口から直接言われたことはなかったですから。
カヲル君は欠点を全てクリアした完璧なシンジ君という設定のもと生まれたキャラクターです。つまりカヲル君はシンジ君と同一の存在。それはシンジ君に足りていない部分(愛情とか)をカヲル君が与えることでシンジ君の成長を促すという役割を持っているということでもあります。
テレビアニメ版のカヲル君は父親どころかシンジ君に足りていなかった母、友人、恋人等々あらゆる愛を補ってくれていたのでちょっと分かりづらかったかもしれません。
シンエヴァではエヴァのある世界を演劇のように例えていましたが、それにより今までうっすらとしか感じることができなかったキャラクター1人1人に元々与えられていたその世界での役割(シンジ君にとっての属性)が強調されて見えるようになっています。
(例)レイ→シンジ君が母っぽさを感じる存在
カヲル君→父を重ねて見る存在
ミサトさん→シンジ君の親代わりだが親になりきれなかった人、上司
みたいな感じです。

シンジ君は父親が親として機能していないので自分の周囲から代わりとなる愛情を得ようとします。心が大人になっていくために無意識に行っていることですから別にこれは悪いことでもなんでもありません。
カヲル君の目から見てもゲンドウが親として機能していないことは明白ですし、シンジ君の幸せを願うカヲル君なら彼が欲しがっている父の愛も自分が担おう、自分の庇護下に置こうと考えるのも自然なことです。まあ需要と供給のマッチですね。
とはいえシンジ君は“もしかしたら父さんが僕を認めてくれるかもしれない…”というほのかな期待を中々捨てられないでいます。この気持ちのせいで何度も裏切られ深く傷ついてしまうのですが。なんならカヲル君はシンジ君がゲンドウへ抱く僅かな依存心も全て自分に向けさせたいと思っていたように感じます。彼氏のDVに悩みながらも中々別れられないでいる女の子を説得する男のような構図です。

マリはユイの大学の同級生であり協力者で、ユイにシンジ君を見守ってもらうよう頼まれていました。実質、シンジ君に欠けてしまう母親という部分を代わりとなって補って欲しいと言われていたようなものです。
ですがマリがシンジ君の母役をするようになるのは結構終盤です。序破まではミサトとレイがいてくれたためその役は任せており、Qはカヲル君が側にいてくれたのでそちらにお任せ状態です。
その間マリはアスカの母代わりとして側にいましたが、それはマリにとってアスカが大切だったからでもあり、「相補性」というキーワードにおいてシンジ君側よりもアスカの方が手薄だったからです。(マリがどうしてアスカの母親代わりになろうとするのか、どうしてここまでアスカを大切に想うのかについては第1部のマリとクローンの関わりについてで説明しております。)
アスカが無事に大人になって旅立ったのを確認したら今度は手薄になってしまったシンジ君の元へ母性を与えに行く。新劇場版の世界においてマリは均等に「母性」を補う者です。エヴァパイロットの誰も1人にさせたくない人なんです。

シンジ君のような、自分には親がいる(いた)と思っている子にははっきりと「この人は親っぽい・似ている」と思わせることが効果があります。
逆に式波アスカやレイのような元から親が存在しない子は自分が本当は親という存在を求めているのだと自覚してしまうとちょっと面倒なことになるので本人に悟らせずに親代わりの愛情を与える方が良いのです。そういったこともありマリは友達のような感覚でアスカのそばにいるのです。

とまぁ、このような感じで新劇場版の世界では親の愛情に欠けた子たちがお互いに補助し合いながら、時に大人に見守られながら心を成長させていきます。
先ほど大人になるということは「ひとり立ち」することだと書きました。でも大人になる準備段階の時ひとりぼっちなのは苦しいんです。
白波は破までの間にシンジ君が側にいてくれ、黒波は特定の誰か、というより第3村の人々に囲まれて一足早くひとり立ちしています。
破以降はアスカにはマリという大人がいて、シンジ君にはカヲル君がいて、カヲル君にはシンジ君がいてお互いに補い合って大人になろうとしています。これが「相補性」です。

旧作では1人は寂しくて苦しい。でも2人になるともっと苦しい。それでも生き残ったのなら生きろ。欠けた部分が同じ者同士をぶつけて傷つけあいながらも最適な距離を見つけていくのが大人になるってことじゃー!という荒技っぷりでしたが、
言わなくても分かって欲しい、本当は誰かに理解されたいアスカには察しが良くて全部言わなくても分かってくれるマリが、
言わなきゃ分かり合えない、言葉でちゃんとコミュニケーション取りたいシンジ君には気持ちのキャッチボールをしてくれるカヲル君が最も相性が良く、新劇場版では相性の良い人と一緒に自分に無い部分を補い合いながら傷つけ合わなくとも大人になっていく方法もあるよと提示してくれている。相補性とはまさに「YOU ARE NOT ALONE.」なんです。

ゲンドウのS−DAT

シンジ君にとってのS–DATは外界からのシャットアウト…というよりは父との繋がりであり、自分の分身のようなものであり、自分の心のバロメーターといった側面が大きかったように思います。
ゲンドウにとってもS−DATは外界からのシャットアウトを意味するものでしたが、ユイと出会ってから一度停止したものがシンジ君が生まれてからまた曲の再生が始まってしまうので彼が孤独や寂しさを感じていることを表しているアイテムだと感じました。
「親の愛情を知らない私が人の親になる」と言っていたことから子供に愛情を注げるか不安であると同時に、ゲンドウはまだまだ自分の欠けている部分をユイに補ってもらっている最中にシンジ君が生まれてしまい、子供にユイを取られてしまうんじゃないかという不安と孤独感も感じていたということですね。そこに追い討ちをかけるようにユイは初号機の中に消えてしまう。ここは漫画版のゲンドウに似ています。
それでも現実に自分の弱さと向き合ってシンジ君を育てようとしていたらもしかしたら父性にも目覚めていたかもしれませんし周りに協力を頼んだりとユイ以外の人からの相補の可能性を見つけられていたかもしれません。ですがそれすら自信が持てないほど、人間不信もあいまってゲンドウの心はユイだけに依存していました。
ゲンドウがインパクトを起こそうとするのはユイをひとりぼっちにさせたくないからだと書きました。ですがそれと同時にゲンドウもひとりぼっちがつらかった。
ゲンドウは大人でありながらもやはり大人になりきれていなかったことがわかります。

ゲンドウはシンジ君を傷つけたくないから意図的に遠ざけて話をしないようにしており、それが彼なりの不器用な息子への愛だったと2部において書きましたが、シンジ君は傷つけあうことになろうとももっとゲンドウと会話したかったことがQで「話したいことがいっぱいあるんだ父さん!」のセリフから分かります。
ゲンドウとシンジ君の間に圧倒的に足りていなかったのが「会話」。だからシンジ君は父親っぽいと感じることができたカヲル君と気持ちのキャッチボールをし会話をたくさん補ってもらっています。(音階も会話のひとつだそうですし)

マリとアスカにも同じようなことが起こっています。
クローンとして生まれ、母親がいない式波アスカ。最初からいないのだから父も母もアスカは求めていないし自分から誰かを代わりに見立てることもしません。
ですが旧作のアスカは2号機の中に母親がいたことを見出して再起しています。ママが見ていてくれるから頑張れる。アスカが最も求めているのは「認めてもらえ見守ってもらえること」です。それは式波アスカも同じ。本当の母親じゃなくて良い、でも誰かに深く理解され見守られていたい。
アスカは自分のことをもう大人だからそんなガキなことは求めてない!と思っていますが、マリから見るとアダルトチルドレンに近い状態です。だからマリは14年間ずっと側でアスカを認め、見守り続けました。
シンジ君はカヲル君から、アスカはマリから、自分の親がいたら一番やってほしかったことを補ってもらっていたんです。
アスカと最後に言葉を交わしたのはシンジ君ではなくマリだった。なんかこれ、感慨深いですよね。アスカはマリと別れた後に彼女からの愛情の大きさに気付くことになるのでしょうけど、もう少しこの2人が過ごした時間も知ってみたかったです。

ゲンドウはユイ以外からの相補の可能性に気づかず、というより拒んでいましたが小さい時からずっと親以外の誰かから相補されて育ってきたシンジ君はやはり旧劇と同じで「他人がいてくれる世界」であって欲しい、人は完璧じゃなくていい、他人とお互いに支え合える世界を、と望みました。
「相補性のある世界を望むか。シンジ君らしいね」のカヲル君の言葉から、それは前回と今回だけではなく“何度も“願ってきたことが伺えます。

ゴルゴダオブジェクトで思い出したこと

ここからはマイナス宇宙とゴルゴダオブジェクトの中での会話について踏みこんでいきますが、そもそもマイナス宇宙とゴルゴダオブジェクトがなんなのか?は第1部に、フォースインパクト、アディショナルインパクトの仕組み解説については第2部の方へしっかり書いておきました。

一応簡単に説明しておくとマイナス宇宙とは現世を肉体や魂の境目、時間等に縛られている3次元的世界とすると、それらに縛られることのない他人と肉体・魂・時間の垣根が存在しない5次元的な高次元空間だと考えています。ガフの扉の向こうに行くとLCL化の擬似体験ができるようなイメージです。
マイナス宇宙に漂っているゴルゴダオブジェクトとはゼーレが全ての世界の記憶を保管している場所で、ここに入ると自分の過去生を全て知ることができるし、他人の過去生とも共通の記憶があればアクセスすることができます。
シンジ君はここでゲンドウ・アスカ・カヲル君、レイとそれぞれ対話していきますがアスカについては1部、ゲンドウについては2部でおおかたふれているのでカヲル君からいきましょう。

「碇ゲンドウ。彼が今回の補完の中心、円環の元だ」
このセリフで旧作をはじまりとした最初の世界、新劇場版の世界を最後の世界として、その間に何度もやり直されては終わってしまった2〜n回目の世界、円環(ループ)があったことが分かりました。
やり直しを望みその構造を作ってしまったのはゼーレであると2部の方では説明しましたね。
ゲンドウがやり直し(円環)を望んだというより彼は被害者に近いです。ゲンドウがやらかしたからゼーレはやり直しを望み、やり直した世界でまたゲンドウがヘマするからゼーレがまたやり直す…という悪循環になっているのですがこれは少しだけ後に説明しましょう。
説明済みの部分ではありますが、改めて書いておくとインパクトにより世界がやり直される、切り替わる、つまり2回目の世界になると平行宇宙(パラレルワールド)に新しく地球ができる…というわけではありません。
インパクトによって生態系は一度リセットされてしまいますがゼーレによってまた人類は文明を築き発展し、進歩の果てにまたインパクトを起こして終末へ向かう…ということを全てひとつの地球、45億年の中でずっと繰り返していますのでインパクトはひとつの節目のようなものだと捉えていただければと思います。

実際のところ何回ぐらい世界はやり直されたのかは定かではありませんが、人類が繰り返してきた歴史、人の魂が持つ過去生は全てゴルゴダオブジェクトに記録されています。
この中に入ることができた初号機と13号機、その中に入っていたゲンドウ・シンジ君、13号機パイロットにされていたカヲル君と式波アスカ、初号機の中にずっといた白波は自分の過去生を全て知ることができています。(最初から記憶保持してるカヲル君とネブカドネザルの鍵で過去生を知ったゲンドウは除く)

「思い出したんだ。ここで何度も君に会ってる。」
これも円環(ループ)があったことが分かるセリフとなりますが、このたった一言に実はめっちゃくちゃいろんなものが詰め込まれています。
第3村でシンジ君はカヲル君が自分のことを(LOVEかLIKEかは置いといて)好きだから頑張ってくれていたことに気づいていますが、過去生を思い出したことによりどの世界でもカヲル君が自分を愛してくれておりそれを言葉や行動で示してくれていたことを知ります。…が、それだけじゃありません。
カヲル君からの一方向のものだけではなく自分も何度もカヲル君に惹かれて双方向的に想いあっていたことも思い出しているし、カヲル君が“異種”であるが故に自分の身代わりとなって何度も死別してる記憶を思い出しています。
第3村でシンジ君が決意したことは死んでしまったカヲル君への落とし前をつけることでしたが、ここにきて過去の自分が願ってきたのは「カヲル君が生きていてくれること、生きて一緒に生きられる世界であってほしい」ということだったと理解しているんです。
カヲル君だけが一方的にシンジ君のことを好きなわけではないんですよ。

そしてカヲル君が頑張ってくれているのは旧作でインパクトが起こりLCL化された精神の世界でシンジ君がカヲル君とレイに再会した時に「また会いたいと思った。」と伝えているようにどの世界でも何度もそう望んでいるからです。だからQでも死ぬ前にカヲル君は「また会えるよ」と言うのです。
カヲル君はシンジ君を幸せにしたいと1人で突っ走っている…ように見えるかもしれませんが違います。シンジ君はリリンなのでインパクトが起きると記憶はリセットされてしまいます。世界が終わってしまう直前、記憶がリセットされてしまう前のシンジ君に次こそは一緒に幸せになろうと願われているから記憶を保持できるカヲル君の方から次の世界でシンジ君に会いに行こうとします。次の世界では当然シンジ君は記憶を無くしているためカヲル君が1人で頑張っているように見えてしまうだけなんです。

カヲル君がどうしてシンジ君のために頑張れるのかというと、これは過去の考察第3章で長々気持ち悪く語った気がします。要約するとシンジ君が自分を好きになってくれ、自由になりたいという願いを叶えてくれた神様みたいな人だからです。
しかしこれが①テレビアニメ版→②新劇場版の世界という単一の繋がりならカヲル君が動く理由は前の世界で自由を与えてもらった恩返しだけになりますが、①テレビアニメ版→②〜nの世界を経て→③新劇場版の世界という事実が判明した今、恩返しだったものは段々と自分がシンジ君を好きだから、シンジ君が必ず自分を好きになってくれるから行動するというように変化していきます。

考えてみれば、テレビアニメ版でも漫画版でも「好き」という気持ちを言葉なり行動なりでシンジ君に伝わるよう表現してくれるのはカヲル君だけです。シンジ君は恋愛にかなり鈍感なように描写されており、直接的に好意を伝えないと他人からの好意に気づくこともできなければ、自分がその他人をどう思っているかも自覚できません。
しかし伝えさえすればシンジ君は自分を愛してくれる他人の存在に気付き自分も誰かを愛せるようになります。シンジ君とカヲル君が何度も何度もまた会いたいと願い合うということはどの世界でもカヲル君はシンジ君に「好き」を伝えてきたということです。
(新劇場版ではレイ(黒波)もアスカもちゃんと伝えた、よく頑張った!)
繰り返してきたどの世界でもシンジ君の心が最終的に向いているのがカヲル君であり、カヲル君と今度こそ生きられる世界でありたいと望んでいるからループが起こります。
エヴァという物語はシンジ君とカヲル君の2人がたとえ片方記憶を何度リセットされても共に生きたいと願い足掻き続けた物語なんです。

真空崩壊・生命の書・円環ってなんぞ?

ゼーレはインパクトを起こせても自分たちの望んだ通りの世界にならなかった時のために保険として月にカヲル君のクローンを置いてすぐにやり直しができるように備えていました。
おそらくカヲル君も旧作の世界でシンジ君に自由を与えてもらってはいても次の世界でまたゼーレに利用されることは察していたでしょう。ならばとささやかな抵抗として生命の書にシンジ君の名前を書き次の世界でも必ず会えるようにしました。
なのでカヲル君が残した謎ワード「真空崩壊」と「生命の書」がなんなのか、シンジ君と必ず出会う運命とループついて考えていきましょう。

真空崩壊とは
空気が無い状態を示す真空とは別の意味だそうです。
宇宙が崩壊するほどのエネルギー現象でこれに関してはエヴァ独自設定ではないです。
カヲル君は「僕を消せるのは真空崩壊だけ」と言っています。
自分が生きているうちに地球が終わるとしたら巨大隕石の落下とか核戦争ぐらいしか思い浮かびませんがそもそもカヲル君の肉体は月に置かれているので地球で何があろうがノーダメージです。
人間のせいで地球が滅びる以外に何か星が崩壊しそうな現象ってあるだろうかと考えたら近くの恒星の超新星爆発とかブラックホールに飲み込まれるとかそういうスケールの話になってしまい45億年という歴史の中で遭遇できるかどうかも謎なレベルです。真空崩壊とはそのさらに上を行くスケールの話なのでそんなことでも起きない限りは宇宙は存在しますしカヲル君も存在してしまいます。それぐらい生命の実(S2機関)はすごいってことですね。

そうなるともう自分自身で消えることなんて到底無理ですしゼーレが満足するまで自分は利用されるんだろなーと考えてしまうわけです。本当に自分は存在していいのか、自分の存在意義って何?ともなるでしょう。その答えを彼はずっと探していたんじゃないかと思うんです。
しかし彼にも唯一の希望があります。それが同じくゼーレに巻き込まれている被害者のシンジ君です。そして彼はループに終止符を打てるかもしれない希望でもあります。シンジ君が一緒に生きて欲しい、一緒に幸せになろうと願ってくれている。それがあったからどれだけループを繰り返してゼーレに利用されても希望を失わなかったし、カヲル君の存在意義となっていました。
だからシンジ君に会うたびに、「ぼくは君に会うために生まれてきたんだね」と自分に言い聞かせるように呟くのです。

…といってもですね、カヲル君はほっといてもゼーレが必要なタイミングで勝手に生み出してしまいますが世界が変わった後に必ずシンジ君が生まれてくれるかというとそれは不確定なんです。シンジ君という魂の持ち主が別の時代に生まれてしまっても意味が無いですし、もしかしたら花とか蝶とかの人じゃないものに生まれてしまう可能性だってある。シンジ君に会えないとカヲル君は自分の存在意義を感じることができません。
それをほぼ確実にこの時代にこのタイミングでシンジ君を存在させる!と指定することができるのが「生命の書」です。

生命の書とは
宗教的には永遠の命を神から与えられる人たちの名前が書かれている教典なのだそうです。
エヴァの世界ではカヲル君"だけ"がそれを扱えると、現時点の情報では捉えることができます。
ところで考察第1章で書いていたような気がしますが死海文書は使徒が生まれそして還る場所「白き月」の中に入っていた予言書でしたね。使徒がいつ目覚めるのか、ロンギヌスの槍ってどうやって使うのかといった情報が記されている説明書のようなものです。
死海という場所でみつかったから死海文書。しかしそれはリリンが見つけたから名付けた呼称ですね。なら使徒の側からすると別の呼び名があったのでは?と思いました。
カヲル君は使徒なので「生命の実」が与えられた側です。…なんとなく繋がりがあるような気がしませんか?
エヴァの登場人物の中でカヲル君"だけ"が最初から使徒です。そして旧作で最後の使徒だったカヲル君は2〜n回目と新劇場版の世界においては第1使徒です。
唯一の人型使徒であるカヲル君だけが扱える生命の書、となるともしかして「生命の書」は死海文書なんじゃないでしょうか。

そしてここからが大切。
旧作では死海文書を手に入れたゼーレはそれを解読し、使徒が目覚めて活動を始める時期がわかったことでエヴァの建造計画を立てたり、知恵の実と生命の実を融合させた神と等しき者になる儀式を行うための計画方針書とする「裏死海文書」を作りました。
その死海文書を解読したのはユイであるとする説があります。ユイのバックボーンにある組織はゼーレ、ユイはゼーレ所属の人間ですからね。
ユイが初号機のコアに入ることにしたのはいずれ来る破滅を防ぐためです。どうしてそうすることにしたのかというと使徒が目覚める時期を誰よりも早く予測できていたから。それはユイが死海文書の解読者であるということに他なりません。
ユイが初号機の中に入るということはユイの息子であるシンジ君しか初号機に乗ることができなくなるということ。世界の破滅を防ぐには自分がエヴァに残るしかない。そうなると自分の子が救世主になってもらうしかない。全てはユイの計画です。
ならば新劇場版の世界においても死海文書(生命の書)を解読したのはユイでしょう。そこに救世主(シンジ君)の存在が予言として書かれていたのならばそれを解読したユイがいずれ来る破滅に備え、自分の子に託そう(子供を生もう)と思った…と繋がってもおかしくありません。
こうして確実にシンジ君はこの時代に生まれるようになります。

約束の時
カヲル君はユイが生命の書を解読してくれることを円環のループの中で確信し、世界が終わる間際にシンジ君と次こそは幸せになろうと誓うたびに、必ずシンジ君が生まれてくれますようにとその名を生命の書に書きます。
お互いが再会を望み約束し合っているからカヲル君は生命の書を残し、次の世界で2人が出会うことは必然であり運命になっています。だから破のラストでカヲル君が「さあ約束の時だ」と言っていたように、再会の日は約束が果たされる時なんです。

円環の構造をまとめると

①テレビアニメ版の世界でユイが死海文書を解読する
(テレビアニメ版が初回の世界なのでこの時は使徒が目覚める年が書いてあるだけでシンジ君の名は記されていない)

②ユイは自分の子供を世界の救世主にすることを決意しゲンドウと結婚する
(ゲンドウが円環の中心になってしまうのは予想外だと思われる)

③シンジ君とカヲル君が出会う

④サードインパクトが始まり世界が終わる。
終わる間際にシンジ君が願ったこと「他人のいる世界がいい。もう一度君達に会いたい」
カヲル君「わかったよ」
↓—————————————————————
⑤カヲルくんは生命の書にシンジ君の名を書く。「お願いユイさんこれを見つけて…!」
そして世界は終了し次の世界へ

⑥次の世界でユイはまた生命の書(死海文書)を解読し救世主の必要性を感じシンジ君を産むことを決意する

⑦シンジ君とカヲル君出会うも幸せになれず死別(ゲンドウのせい)

⑧インパクトが始まりまた世界が終わる。
シンジ君は何度でも他人のいる世界、カヲル君と出会えることを望む
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⑤〜⑧をn回繰り返す(これが円環)

ついに円環を抜け出し新劇場版の世界に到達する
(正確には序までは円環のまま破で円環を抜け出す)

といった感じです。
ここにゼーレとゲンドウを混ぜると

旧作インパクトの結果に不満なゼーレが月にカヲルクローンを保険として用意する

カヲル君は必ず記憶保持することを理解しシンジ君の名を生命の書に残す

ユイがシンジ君を生むことを決意しゲンドウと結婚

ユイが初号機の中に消えゲンドウが狂う

シンジ君とカヲル君出会えるもゲンドウとゼーレがカヲル君を利用するため死別しシンジ君絶望

シンジ君をトリガーとしたインパクトが発動しシンジ君の願いが優先されゼーレとゲンドウの願いは叶わない

最初に戻る

となります。
よって、ゼーレの願いをユイとシンジ君が阻害するからゼーレは何度もやり直そうとし円環が発生するし、
ゼーレを止めるためにユイは何度も初号機に消えてゲンドウが狂いゲンドウの願いをシンジ君が阻害してしまうからゲンドウはシンジ君とカヲル君を離別させようとするし、
シンジ君はカヲル君と何度も死別させられるから絶望しゼーレの願いを阻害することになりその結果ゲンドウの願いが永遠に叶わないといったしっちゃかめっちゃかな円環構造が出来上がっています。
簡単にまとめるとどの世界でもゲンドウだけはず〜っと願いを叶えられておらず、ゼーレの邪魔もするしユイ・シンジ君・カヲル君の願いの邪魔もするのでそれが結果として次の円環を生み出す“元”となっているのです。

この円環を終わらせるにはどうすればいいか、答えは意外に単純でした。
シンジ君(初号機)をトリガーにさせない。ゲンドウがトリガーになれば良い。それだけでした。
全てはゲンドウがユイの目的に気付いておらず、それを知る手段を取らなかったことが原因と言ってもいいかもしれませんね。
ゲンドウがトリガーとなったことでようやくユイの本当の目的に気付くことができた。ユイの目的はシンジ君の願いが叶うことだったのでインパクトの主導権は結局シンジ君に渡ります。

さようなら全てのエヴァンゲリオン

シンジ君はインパクトの主導権を手に入れたことよってリセットされた次の世界にするのではなく、「ネオンジェネシス」で新劇場版の世界のまま、その世界からエヴァという存在を無くしてしまうことを願いました。
最初はエヴァの素体となる要素を持った全てのものの排除かと考えてましたがそちらはエヴァ機体というハードの側面で見たら合っていると思います。
それはカヲル君の持つ「アダム」・レイの持つ「リリス」というエヴァになりうる要素を持っている者も消えてしまう危険性もありました。でもシンジ君の願いはこの世界にいて欲しい、1人の人として生きていて欲しいということなのでアダムベースであろうと母たる存在の魂であろうと等しく人として生きられるように魂だけはリリンに迎合させました。消されてしまったのは生命の実だけですね。

そしてこれにはソフトの側面もあり、エヴァという物がある世界で各キャラクターがエヴァと関わることで背負ってしまっていた役割や運命から全員を解放し自由に生きられるようにしました。
マイナス宇宙に来てからの戦いで少しずつ特撮の撮影現場のような場所で“エヴァという世界が演じられていた“ように描かれていきますが、これはエヴァがあるせいで背負わされていた各人の役割を浮き立たせるための演出です。

エヴァがあったから
アスカと出会った
ミサトさんはシンジ君の母代わりであり上司だった
レイはユイのクローンでありリリスでありシンジ君が母の面影を感じる人だった
カヲル君は使徒でありアダムでありシンジ君が父親を重ねた人だった

という感じですね。
そしてこの撮影現場の外にはエヴァが存在しない世界が広がっていて、役割に縛られることのない生き方がきっとある。
シンジ君はカヲル君やレイに父母を感じているだけではないです。仲間、友人、好きな人といったものが混ざっていますので流石にずっと親みたいだと思っているわけにはいきませんよね?
新劇場版はシンジ君が大人へと成長していく物語ですから、親からのひとり立ちはテーマとしてあるのです。「さようなら全てのエヴァンゲリオン」は「さようなら父と母」でもあるんです。
しかしそれは物理的な離別ではないです。
エヴァをなくすということはこれから先この人達を役割から外した目で見ていこうということでもあります。カヲル君に父を重ねることをやめる、レイから母を感じることをやめる、そして1人の人間として接したい。だから特にシンジ君と直接関わった人達にはシンジ君自身が向き合って役割から解放する(建物の外に出てもらう)必要があります。

といってもハードとソフトは現実的に結合しているためシンジ君がカヲル君とレイに親を重ねて見なくなったとしてもカヲル君はアダムスとして13号機の中にいますしレイはリリスとして初号機の中に残ってしまっています。
しかしここでシンジ君の本当の親たちがやっと親として機能していくことになります。
ゲンドウは立場上はもう大人です。だから自分でしたことに自分で落とし前をつける。
カヲル君から父親の役割を引継ぎ13号機に残り、ユイはレイから母親の役割を引き継いで初号機に残る。そして子供達をエヴァの存在する世界で背負わされていた役から解放させ自分達が代わりに消える。息子の幸せを精一杯サポートするという意味で落とし前をつけています。

カヲル君との分離

カヲル君はシンジ君と同一の存在であると先述していましたね。それは「僕は君だ」のセリフからも読み取れます。
自分を愛せなければ他人を愛することはできない。
それをシンジ君に教えてくれたのってまぎれもなく旧作のカヲル君です。シンジ君と同一だからこそシンジ君に足りていない部分をカヲル君が与えることでシンジ君の成長を促せる存在だった。カヲル君は他人から愛されることで自分を愛することを知るという逆のアプローチ方法でシンジ君に自己愛を与えました。
(しかしシンジ君は最初からカヲル君を他人として認識していたためカヲル君にもらった愛情をカヲル君を愛するという方法で返そうとしました)

今作のシンジ君は自分から誰かを助けたいと思うようになっていたりと破の段階で他者への無意識の好意の中からすでに自己愛を得始めています。旧作の自分とは同じところで悩んでいません。
なので新劇場版におけるカヲル君はシンジ君が旧作の時と比べて微量ながら前進してきていることを理解しており、それを踏まえてQではシンジ君の少なくなってしまった自己愛を取り戻すこと、自尊心の回復を行おうとしています。
間接的にはカヲル君との記憶があったから立ち直ることができたとはいえ、カヲル君からしたらシンジ君がリアリティの中で自分の力で立ち直ったことは自分の庇護下を離れてしまうような寂しさを感じるでしょう。

そのシンジ君が次に進むステージって他人の存在を認識することで己の自己愛を持って他人を愛せるようになることではないかと思っています。
自分を愛せるようになるということはシンジ君がカヲル君から分離すること。つまり自立することになります。そりゃカヲル君からしたらもうお父さんみたいに頼ってもらえないしシンジ君と同一という特別な存在でいられなくなっちゃうしさびしいよ〜!とは思うでしょう。
でもそれはシンジ君がカヲル君を自分でもなく父親に重ねるでもない1人の人として認識するために必要なことだとも言えます。

カヲル君はシンジ君をもう1人の自分だと認識していますが実はシンジ君は違います。シンジ君は最初から一貫してカヲル君のことを自分とは別の人、似てはいてもカヲル君はカヲル君だと認識しています。
旧作のシンジ君は自分と同一だったからカヲル君を好きになったのではなく自分と似ているが他人として好きになっています。似ているから惹かれ好きになることはごく自然なことです。
そして新劇場版ではどちらかというと父を重ねて見ていた面の方が大きいのです。
Qまでのシンジ君はカヲル君をお父さんっぽさ強めで見ていましたが、過去生を思い出したシンジ君の目に映るカヲル君は好きな人です。父と他人が混在してしまっている。
これってミサトさんと同じです。
ミサトさんは加持さんに父親を見ていたから別れた。でも離れて時間が経ちお互いに成長した。もうお父さんを感じることなく加持さんを見れるようになったからヨリを戻した。

自己と同一のままカヲル君を愛するのは結局自分を愛しているだけ。父を重ねたままだとカヲル君をカヲル君として認識していないのと同じ。そうではなく自己愛を持ってカヲル君を“他人”として好きでいたいと思ったんです。
これからは自立した大人として友情を深めたりもう一度惹かれ合いたいから分離させる。
カヲル君にはその気持ちがちゃんと伝わっていたから「(君と同一でなくなるのは)少し寂しいけど、(今度は君に他人として好きになってもらえるなら)それもいいね」と言っていますね。

カヲル君と加持さんのセリフについて説明

「すまない。僕は君の幸せを誤解していた。」
今まで書いてきたことを読んでくださっていたならカヲル君が1人よがりに突っ走っていてシンジ君にとってはありがた迷惑だった…と捉えられることはないと思いますが、一応書いておきますとこれはカヲル君の考えるシンジ君の幸せは"エヴァが存在してしまうのは覆せない前提"という認識だったからです。
カヲル君は使徒なのでエヴァを無くすと消えてしまうでしょう。でもシンジ君は毎回インパクトで次こそは一緒に生きられますようにと願っているためカヲル君の頭の中では
「僕は使徒だがシンジ君が一緒に生きたいと望んでくれてる=使徒とエヴァが存在する理は変えられない」という図式が必然的に成立してしまいます。その世界でシンジ君を幸せにする方法を考えたら結局エヴァに乗らなきゃいけないと思っていただけです。
しかしシンジ君がエヴァの無い世界を、カヲル君が使徒ではなく人として生きてくれることを望んでいると知ったから自分が根本を誤認識していたのだと気付いて「すまない」と言っています。
そもそもシンジ君とカヲル君がエヴァのある世界で一緒に生きようと何度も足掻き続けてなければ「エヴァを無くすのが最適解だ」という答えに辿り着くこともできませんでしたから無駄な頑張りではなかったんですよ。

「シンジ君を幸せにすることで自分も幸せになりたかった」
加持さんのこれもちょっと誤解が多そうなセリフになりますね。
君はシンジ君に独りよがりなエゴを押し付けてたんだって意味の言葉では断じてありませんよ!
カヲル君は自分が「使徒」であることは変えられないだろうと思い込んでいたのでそれ故に人並みの幸せを求めるなんて自分には無意味なことだとも思っていました。使徒だと食事も睡眠も必要ないですし外見が変わりませんからね。
それでもシンジ君だけは幸せにしたかった。シンジ君達リリンと足並みを揃えて人として幸せを享受することはできないのかもしれないけど、幸せなシンジ君を見て自分も幸せを感じたかった。
でもそれは加持さんから見てとても人間らしい感情に映っていたんです。
加持さんがカヲル君に言ったセリフは「幸せになりたいと思うことは人としてとても自然なことなのだから、使徒のあなたにも人らしく生きたいという気持ちがちゃんと芽生えているんだよ。‪これからは人として幸せを求めたっていいんだよ」と気付かせる意味が込められています。
だからカヲル君は「救われたよ」とお礼を言っています。

カヲル君と加持さんのこと

ゴルゴダオブジェクトの中においてシンジ君とカヲル君の会話が終始彼らの記憶の中のシーンで行われるのと同じで加持さんとカヲル君の会話もまた、現実世界で過去に彼らが共に見た風景を投影して行われていると考えることができます。
破のラスト、Qの予告が空白の14年間の凝縮だと思っている身としては、あの予告は14年間のうち最初の半年にも満たない期間に起こった様々であると考えています。
短く説明すると破の後にネルフは旧劇と同じく国連に襲撃されネルフ職員は幽閉される。その際にゲンドウと冬月は雲隠れ。暫定的にカヲル君がネルフ総司令となる。そのためニアサーと本当のサードインパクトの間には若干の期間があく。
その間に加持さんとカヲル君が結託しているそのシーンの再現であると予想されます。(空白の14年間の情報をもっと出してくれ〜!)
となればマリとカヲル君も顔見知りぐらいにはなってるでしょうしミサトやリツコもカヲル君の存在は知っているのでしょう。加持さんが海洋研究所にカヲル君と一緒に訪れているということはカヲル君にも青い海のにおいを教えヴィレの信念を共有したのだと思います。
しかしカヲル君はアダムスの魂を入れられている存在ですしヴンダーもアダムスですからカヲル君をヴィレに連れていく(ヴンダーに乗せる)のはかなり危険なことなのでカヲル君はネルフに残ることになったのだろうな、と。

今までシンジ君以外の人と会話をほとんど行ってこなかったし他人にその気持ちを話すことも無かったカヲル君ですがあそこまで加持さんと打ち解けているのはもしかしたらシンジ君への想いを吐露できた唯一の大人だったからなのかもしれませんね。
ミサトさんに対して別れてからもずっと愛情を持ち続けてきた加持さん、カヲル君とはたった1人の人を想い続ける同志みたいなものなんですよね。

エヴァに乗らない幸せ

破で白波がアスカに言った「エヴァに乗らない幸せがある」のセリフのように、アスカはエヴァに乗らなかったら幸せになっていたかもしれないけどエヴァに乗ったせいで幸せになれる無限の可能性を絶たれた人です。そしてエヴァがあったからシンジ君と出会った人で、本来ならエヴァに乗りさえしなければ自力で幸せになれるポテンシャルを持っている人。
だからエヴァが無くなるこれからの世界で大切にしてくれる人の元で幸せになってほしいと願ってシンジ君はアスカに「さようなら」を伝えました。

レイはエヴァがあるから生み出されてしまった人です。エヴァに乗るために生まれてしまったような存在なのでエヴァがない世界ではレイって生まれないんです。
でも最初からエヴァがない世界というのは存在しないのでエヴァが無くなるとレイも自分の存在意義が分からなくなります。だから「私はここでいい」とエヴァのある世界に残って消えようとします。
ですがシンジ君は第3村の人たちの中で自分の居場所を見つけていく黒波を見ていたのでレイという魂にも自力で幸せを手にすることができるポテンシャルを感じています。
だからエヴァが無くなるこれからの世界で自分と出会わない道も模索してみて欲しいと伝え見送ることができた。でも自分を好きになってくれたことに感謝し「ありがとう」を伝え合っている。

「さようなら」はまた会うためのおまじない?

実は日本語以外では「さようなら」って、もうきっと会うことはないだろう“別れ”の意味の「Good bye.」とまた会いましょうという”再会を願う“の「See you later.」に分かれている事が多いようです。
ですが日本語の「さようなら」にはその2つの意味があるため送り手がどう意味を込めたのかと受け取り手がその言葉をどう感じたかが異なってしまうこともある少々曖昧な言葉でもあるのです。
黒波の「さよなら」は再会のおまじないですがシンジ君にとっての「さよなら」は別れを意味する言葉です。‪序にて白波に「別れ際にさよならなんて、悲しいこと言うなよ」と言っているのでシンジ君からはできるだけ言いたくないし言われたくはない言葉です。シンジ君からこの言葉を使う時はきっともう会うことはできない人、再会しない方がいいものなのでしょう。‪だから「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」‬なんです。いてもらっては困るものなので。

レイと対話した時、最後に髪が短くなったレイは黒波の魂なのだろうなと思っています。
式波アスカと式波オリジナルの例と同じく、違う子になっていっても片方が消えた時その魂は綾波レイという一つに集約されていくのだと思います。
黒波はさようならをまた会うためのおまじないとして使いましたが、ここで最後にシンジ君とまた会えたんですね。

そういえばマリもさよならを言わない人です。
また会うだろう人には中国語版のさよなら"再見"。漢字の意味の通り「再び会おう」
もう会うことはできないだろう人には見送りの言葉である「お達者で」と、粋なことしますね。
マリは少し強引ではありますがアスカをケンスケの元に見送ることで大人としてひとり立ちさせています。でも大人になった姫とも友情を築いてほしかった…マリの精神年齢を考えると本当の母と娘ぐらい歳が離れているので難しいのかもしれませんが。ちょっと寂しいですね…。

カヲル君もシンジ君に絶対にさよならを言わない人です。Qのラストで死ぬ時ですら「また会えるよ」というぐらいですから。
この2人のまた会うためのおまじないって「さようなら」じゃないんです。素直に「また会いたい」って言うだけでいいんです。
シンジ君がカヲル君に言いたいのは「また会いたい」以外に無い。でも言ったらその言葉がまたカヲル君を縛ってしまうから言えないんです。言ってしまうとカヲル君がまた頑張ってしまうので。

ちなみにシンジ君にとって「ありがとう」も別れの言葉です。あと「行ってらっしゃい」もですね。
シンジ君がテレビアニメ24話でカヲル君を殺さなければならなかった時のカヲル君の最後の言葉は「ありがとう。君に会えて嬉しかったよ」です。
ミサトさんがシンジ君へ最後に贈る言葉も「行ってらっしゃい」
シンジ君にとってこれらは言ったら最後、それは別れを意味してしまうからできるだけ言いたくない言葉なんです。

シンジ君はカヲル君に「さよなら」も「ありがとう」も言わない。また会いたいと望む人に言えるわけがないんですよね。
カヲル君もエヴァがあったから出会った人ですが使徒だから一緒に生きられないし、自分と出会うと身代わりとなって確実に死んでしまいます。そして自分と出会わなかったとしてもカヲル君がエヴァに乗らなかったとしても使徒故に殺されてしまう運命だった人。
それって自分と出会っていたならもしかしたら幸せにしてあげられたかもしれない人でもあるわけです。でも自分と出会ったら死んでしまう。
エヴァを無くせばカヲル君はもう誰にも殺されることもなくなる。カヲル君のためを思うならシンジ君もカヲル君には会わないようにすればいいのかもしれない。でもそこは無理なんです。シンジ君が自分から好きになった人だからループを繰り返してでも一緒に生きようと足掻いてきた人です。要はまた会って一緒にいたいから頑張ってきたので今更会わないことが彼の幸せなんて言えませんし何よりシンジ君の気持ちに折り合いがつけられません。この人にだけは何がなんでも会いたいわけです。

曖昧な会話
カヲル君との対話はかなり駆け足で進んだなとは思いますがカヲル君ってシンジ君が上手く言葉にできなくてもちゃんと気持ちを汲み取ってあげられた人なのでわざわざ言葉にしなくても言いたいことは伝わってるんだろうと思います。

この2人が友情を確かめるような挨拶もしなかったし別れの言葉も言わない、曖昧なまま会話を終わらせているのはおそらく2人の間にあるものが友情ではないからなのだろうなと。
2人の間にあった絆が友情だけであるならそれがはっきり分かるシーンやセリフは入れてくるだろうと思うのです。だって世間的に物議を醸すこともないから。
過去生を知ったシンジ君がカヲル君に対して持っている気持ちは友情を明らかに通り越してしまっているのでこの2人の関係が友情だけであるという方向に勘違いされてほしくもないのでしょう。かといって愛情を見える形では表現できないだろうなーというかんじなので難しいところですね。ボカし方は旧劇とちょっと似ていると思います。

仲良くなるためのおまじない

シンジ君はカヲル君とレイと仲良くなるおまじないをしていますが
レイとの握手は“感謝“や“見送り“でカヲル君との握手は迎え"っぽいな、と。
1人で夕暮れの渚に座っていたカヲル君。彼は1人だけリリンとは別の存在です。
しかし使徒って先に地球に到着していた異種なだけで異星人ではないですし、もう一つの人類の可能性でした。それにシンジ君にとってカヲル君は最初から使徒ではなく人だと認識されていました。でも‬カヲル君は違ったんです。彼の中では自分は使徒でシンジ君は人。心のどこかにどうしても拭いきれない孤独感があった。
だから仲良くなるおまじないをすることでシンジ君は1人だったカヲル君を迎えに来ています。
君は渚カヲルという1人の人間だからどうか同じ世界を生きていて欲しい。こちらにきて欲しいということなんです。まるで一緒に家に帰ろうと言っていた子供のように「僕達のおうち(地球)に帰ろう。一緒に生きよう」と存在を肯定してくれています。
ハジマリとオワリは同じ。旧作で第17番目の最後の使徒だった人型使徒であるカヲル君。今作では第1使徒となりまた13番目の最後の使徒となる。旧作では17番目の次、18番目の使徒はリリンだと言われていましたね。使徒を終わらせたカヲル君はこれから人として生きる。
渚とは海と陸のはざま。陸を人、海を使徒とするならまさに人類と使徒の間を繋げていた“渚“なんですね。

シンジ君の内面世界

旧作および序破の時からずっと出てきていたシンジ君の内面世界を表す電車。私はあれを勝手に精神電車と呼んでしまっています。(お許しください)
あれは幼少期に駅で父さんに置いて行かれ、電車に乗らざるをえなかったトラウマからできてしまったものであろうと思っています。
この電車が出てくるのは大抵現実世界でシンジ君の身につらいことがあったり怒りや悲しみ、寂しさなどを感じている時です。車窓から見える景色が常に夕暮れだったのは黄昏時=寂しさを表していたのだろうと思います。
ずっと電車に乗ってたのはシンジ君にとって「降りる場所が無い=安らげる居場所が無い」という孤独感ゆえだろうな、と。
ちなみにQでは精神電車は影を潜めています。カヲル君はシンジ君との死別前に「シンジ君は安らぎと居場所を見つければ良い」と伝えていますが、Qではカヲル君が直接シンジ君に与えていたから電車は出てきませんでした。一時的に下車していたのかもしれませんね。
実際、13号機と戦っている時父さんに見せられているイマジナリーの世界だとしてもカヲル君と過ごしたネルフのピアノの横に倒れ込んだシンジ君の悲壮な表情を見るとあの場所がシンジ君の安らぎの居場所だったのだろうと思います。

第3村は安らぎではありましたが居場所では無かった。(身体変化が無くいずれいられなくなる)
ヴィレは居場所にはなりえるが安らぎは無い。
ということは安らぎと居場所をシンジ君が自分で選んだ場所が下車駅となります。
今まで精神電車の中では他人や自分に責められたり図星を突かれたりとあまり良いことがありませんでしたがそこに最後に乗ってきてくれたのってカヲル君です。
インパクトのトリガーが13号機で中にアダムスの魂を持つカヲル君が乗っているから「何を望むの?」と聞いてくれる役割が今回は彼になっているのはまあ自然なことなのですが、シンジ君はようやくカヲル君に再会します。
この時電車は眩しいぐらい明るくてシンジ君が寂しさを感じていないことが分かります。
ゲンドウとちゃんと会話し始めたあたりから車内は明るくなってきているので父さんと向き合って話すというシンジ君がゲンドウと最もしたかったことが叶っているから寂しさが埋められていったのでしょう。
カヲル君と再会して以降電車は出てこなくなります。これってシンジ君が終着駅を見つけたということです。
異種として孤独だったカヲル君を迎えにきたシンジ君、安らぎと居場所がなく孤独だったシンジ君を迎えにきたカヲル君。ここもお互いに補い合い与え合っていますね。

電車が終着した先、結果としては宇部新川駅という現実世界でした。
でもきっとシンジ君が決めていた下車先は違っていて、もしかしたら世界への落とし前をつけたら死ぬつもりだったのかも…という気がしています。それがシンジ君の考えていた贖罪。
シンジ君がアスカに「良かった。また会えて」と言ったのは自分も死ぬだろうと分かっていたから出てきた言葉なのかな、と。
シンジ君にとってカヲル君は一度死んでしまった人です。カヲル君の元にすでに死者である加持さんが現れたのはどう見てもお迎えでしょう。なのでその背中を見ていたシンジ君は一度カヲル君を死者の国に見送っています。
その上でエヴァを消すと初号機に入っている自分も巻き込まれて消えてしまうだろうから、後追いしてそっちに行こうとしていたんじゃないでしょうか。それがシンジ君の決めた下車先。ユイが身代わりになってくれるとは思っていなかったでしょうし。
死ぬ前にやっとカヲル君に会えることができたから電車の中(シンジ君の心境)はあんなに明るくて穏やかだったのかもしれません。
来世ではカヲル君もきっとエヴァの無くなった世界で人として生きられるだろう。だからそこでまた会いたいと願って。

どのタイミングでエヴァの無い世界に書き変わっているのか?

自分も死ぬかも…と思っていたシンジ君ですが、自分が作った世界ならそこで生きて幸せになりなさいとユイに見送られて、エヴァの無い世界で生きることになりマリの迎えを待ちます。
なので世界が書き変わるタイミングは「お待たせ。シンジ君」から駅で目覚めるまでの間かな〜といったところです。
世界を書き換えたりした場合、元あったものはどうなるんだ?という疑問に関してSFでは直列宇宙か並列宇宙(平行宇宙?)といった説明をされることが多いんじゃないかな?と思うのですが、自分解釈で書かせていただきますと、

未来にAという事件が起こってしまうから過去を改変して阻止しようとしたら
①Aが起こってしまう本来の世界1とは別のパラレル宇宙にAが起こらない世界2が分裂して出来上がるというのが並列宇宙
②世界は分裂することはないしAという事件は起こらないが、それに波及して影響を受けるであろう物事も無理のない範囲で上書きされたり無かったことになるのが直列宇宙

といった感じでしょうか。
エヴァの場合は世界は単一であるとする直列宇宙を採用していると感じられます。

これはシンエヴァの副題となっている「Thrice Upon a Time(3度の時)」の日本語タイトル「未来からのホットライン」という物語の世界に近いですね。
この物語における直列宇宙は未来を変えることはできても過去は変えられない。そして世界は直列宇宙であろうとして話は進んでいきます。しかし明らかに過去が改変されている可能性に直面し、この世界は並列宇宙なのではないか?となるのですが結果としては
直列宇宙をベースに、過去を変えることはできないが、未来を変えようとすると因果が及ぶ範囲で矛盾のないように過去も書き変わってしまう。よって書き変わる前に存在していた過去は消えてしまう。(もちろん人の記憶も)

なので新劇場版の世界そのものが時間はそのまま、元からエヴァが存在しなかったものとして無理のない範囲で書き変わり、エヴァに関わっていたりインパクト爆心地およびマイナス宇宙から生還した人達の記憶も無くなっているでしょうし、そもそもネルフもヴィレも第3村も無く、みんな別々の場所で平和に生まれ育ったことになっていると思われます。
アスカも?と思うかもしれませんがアスカもです。ネオンジェネシスが発動する前にアスカはマイナス宇宙からケンスケの家へ帰還しているので書き換え対象内に入ってしまいます。
頑張って生きようとした人達の営みを無かったことにしてしまうのか?と、確かに無情にも感じられますが、ここは難しいところです。
エヴァという物語の中で起こった大体のことは苦しみも悲しみも死も全てはエヴァが原因で起こっていますし、その中で生きようと頑張ったこと自体も元はエヴァが関連している。物語を俯瞰して見ている私たちにとって人の営みは尊いものですが、この世界にいる人々にとっては生まれた時からエヴァのことなんて知らないで生活していくことの方が幸せであるとシンジ君は判断しています。
シンジ君の決断が良いか悪いかどう思うか、それは私たちの主観でしかないのだろうなと思います。それに書き換わる前のものが残っているとパラドックスが起きてしまいますからね。
その中で例外的にシンジ君とマリだけは世界が書き変わった後ぐらいに戻ってきているので記憶を保持したままなんです。

ラストのシーン

シンジ君が駅のホームで目を覚ました時、体は大人になっていますがシンジ君にDSSチョーカーがついたままです。ということは14歳でエヴァのある世界を終わらせてからすぐにエヴァが無い世界で本来の28歳の体へ一気に戻ったのだと思います。マイナス宇宙から帰還した先はもうエヴァの無くなった世界になっていたんでしょうね。と言っても「お待たせ、シンジ君」と言われてマイナス宇宙から帰還する間シンジ君の意識はないのでマリが色々動ける程度には多少の時間はあるでしょう。
私はラストシーンの世界は夢だったりパラレルな世界だとは思っておらず、DSSチョーカーがシンジ君についたままというのがエヴァが存在していた世界とシンジ君が書き換えた世界が同一線上で新劇場版の世界の続き、シンジ君とマリだけが肉体を保ったまま補完を乗り越えたという証拠、あれこそが現実世界であることを物語っていると考えています。
シンジ君はマリの「だ〜れだ?」に対し自己紹介の時にくれたヒント通りの回答をします。
このセリフ、自分もちゃんと記憶を保持してるよ。君もでしょ?ってマリへ伝えているようにも感じませんか?お互いが記憶を保持していることを確認し合っているシーンになりますよね。2人は真実を共有し合う者です。おまけに「君こそ相変わらずかわいいよ」なんて、さっきまで子供の姿をしていた子が軽口まで叩けるようになっている。

まさか自分もこの世界で生きられることになるとは思っていなかったかもしれないシンジ君ですが、目を覚ました時にはなんと目の前に死者の国に見送ったはずのカヲル君とレイがいます。これ後で説明しようと思うのですがそっくりさんでもないし不思議なパワーで生き返ったとかでも無く、紛れもない本人達です。そのかわり記憶は保持できてません。
ですが来世で会えることを願うしかないな〜と思っていたシンジ君からしたら「え?!生きてる!存在してる!!」となり、ちょっとこの世界でも頑張って生きてみようかな?と思えてくるわけです。

記憶を保持したままシンジ君をずっと強く想い会える時を待ち望んでいた今までのカヲル君と世界が変わるたび記憶をリセットされていたシンジ君。
でも全部思い出してその記憶を持ったままエヴァの無い世界にいるシンジ君はラストの段階で今までのカヲル君との立場が入れ替わってしまったんですね。
シンジ君の心はその人に向いたままです。
シンジ君はアディショナルインパクトで新劇場版の世界のキャラクターだけでなく、同時に旧作の世界も救済しています。惣流アスカも救われて、今までの世界でずーっと補完されてこなかったゲンドウすら補完され救済されてます。残るはカヲル君に心が向いたまま世界が終わってきてしまった過去のシンジ君達に新劇場版のシンジ君が救済を行わなければ物語は終わらせられません。つまりカヲル君にまた会える時をシンジ君は望んでいる。

14歳のシンジ君は大人になる一歩を踏み出してエヴァのある世界を終わらせた。そこからラストのシーンまでの体感時間が一瞬であるならシンジ君はラストの時点で体は28歳に戻っていますが、精神年齢も28歳に戻っているかというと…違います。心はまだ14歳ということになります。シンジ君が誰かを好きになるにも、会いたい人の元に行くにもまずは自分の精神年齢が身体年齢に追い付かなきゃどうにもなりません。
シンジ君がエヴァの無くなった世界で生きていくためには少しの間14年間の成長を取り戻すための時間、要は社会勉強が必要です。マリ姉さんのセリフよろしく「世間を知りニャ!」な状態なんです。
今までは周りが大人にしてくれようと頑張ってくれていたけど、それって本当は自分から掴みに行かなければならないこと。でもそれを自覚できただけでも立派な大人への一歩です。
アスカを巣立たせたマリは「そうだシンジ君の母代理しなきゃならねんだった!」と思い出したからシンジ君のそばにいます。

マリって自身をクローン化させてシンジ君達と同年代に存在していたとはいえ、ユイ達と共に生きていたオリジナルの時の記憶を有してもいるのでラストのシーンでは身体年齢30歳の精神年齢40歳以上です。
同級生への恋が叶わなかったから息子に手を出すのかとか自分が14年間ずっと側にいて話も聞いてきたであろう子の昔好きだった男を寝取るんかとか散々な言われようですけど、だからこそマリは常識人でシンジ君を恋愛対象として見ることは無いと思います。
もし自分が好きな人への気持ちが叶わなかったとして、その人の息子と同年代になることも可能だったとして、息子の方でリベンジするかと聞かれたらちょっと無理ですね…。息子は好きになったその人ではないですし。自分何やってんだろうって思いそうな気がします。(もし、マリがリベンジしたいと思うのだとしたらそれはユイの面影があり読書趣味が共通点のレイじゃないかと思います。)

好きになった人か、もしくは親友レベルで仲が良い人に私の代わりに息子の面倒を見てやってほしいと頼まれたらがっつりと親代わりになるよりは適度な距離を保ちながら支えていこうとは思うでしょう。マリにとってシンジ君は大切な人の忘形見で、2人の距離感を見るにやはり母代わりでありそれ以上の感情はないだろうと思います。

(私は今現在まで同性に恋心を持ったことはないので自分の考えだけに偏っていたら良くないと思い、同性を好きになったことがある友人(エヴァ未視聴)に質問してみたところ、
好きな人は好きな人でその息子は息子。別の存在であり自分にとっては好きな人と自分の息子みたいなものだからたとえ同年代になったとしても息子の方に恋心を持つことはないし仮に向こうから告白されたとしても断る。だって好きな人その人ではないから。と私と全く同じ回答を得られたので一応共有しておきます。)

だからシンジ君は人生の大先輩マリの手を借りて大人に追いつくために世間を勉強しに駅の外に飛び出すのです。

(ちなみにシンジ君とマリが階段を駆け上がって向かった方向が駅の構造的に向かいのホームに行くだけにしか使われていないそうなので一度は会いに行こうとしたのかもしれませんね)

マリは何者?使徒なの?

0706作戦終了時にマリが言っていたオーバーラッピング対応型8号機ってなんぞや?8+2号機諦めてなかったんか?と思っていたら、他のエヴァを捕食しその能力をもらう機能ってことだったんですね。
冬月がマリに「君の欲しいものは用意してある」と言って残していたものはエヴァオップファータイプのMark.10~12でした。
その目的はというとアダムス4体を全て8号機にまとめておくことでシンジ君の願いで一気に消してもらうためでした。もうこの世界に残っていないようにしたかったんですね。
オーバーラッピングでMark.09〜12を取り込んだことで8号機は空を飛べたり使徒ビームが撃てるようになっていますし、ラストシーンでシンジ君のDSSチョーカーとカヲル君と同じ方式で外したりと、パイロットであるマリもシン化して使徒になっているんじゃないか?という説もありますよね。ですが2部で「イスカリオテのマリア」について説明した通り、私はマリは割とただの人だと思っています。
自分の体をクローン化させたりビースト化で人を捨ててしまったりするぐらいには自分の体でいろんな実験をしていますが。知的探究心と行動力と愛情がゲンドウ並みに強いリリンです。

シン化の影響を受けたシンジ君でもDSSチョーカーは外せませんでしたし、厳密にはシン化の影響を受けることとシト化してしまうことは違います。
機体がアダムスの力を持ってしまうとパイロットもシト化の影響を受けるのでは?という疑問に関しても、Qではアダムスの器である前代Mark.09に乗っていた黒波も使徒ではないのに機体が勝手に使徒ビームを撃っていました。これはパイロットがアダムスの魂を持っていなくてもアダムス機体には乗れるし、使徒ビームを撃てるということです。
自分の体に直接アダムスの力を注ぎ込んだゲンドウとはちょっとワケが違います。
よってオーバーラッピングでアダムスの力を宿したのはエヴァ機体である8号機だけでマリは何の影響も受けていないと考えます。
そうなるとマリはもっと前から使徒の力を持っていたのでは?となりますよね。ですがマリはQのラストでもアダムス機体である13号機に触れたことでコア化侵食を受けていますし0706作戦時も足元が侵食されかけていました。パイロット本人がシト化していたのならコア化侵食の影響は受けないのでこれがマリが使徒ではない最大の証拠となります。

じゃぁなぜラストシーンでシンジ君のDSSチョーカーを外せたのか?
カヲル君が使徒の力で外したから…というチートな前例が1つしかないので視野が狭まりがちになりますが、
DSSチョーカーって自分では外せないだけで、他人からは簡単に外せるんじゃないか?もしくは条件が揃うと自動的に解除できるようになるのでは?と考えています。
シンエヴァではアスカもマリもチョーカーをしていることが分かりましたが、Qでシンジ君がチョーカーをつけられていた理由は「罰」であったり「覚醒回避の保険」でしたよね。シンジ君にとっては罰・贖罪の象徴みたいなものですし、Qの印象が強いせいか私の目にもそう強く映ります。ですがヴィレに所属するアスカとマリにとっては「保険」の意味が大きかったのではないでしょうか。
ヴィレに所属し人類のために戦っているパイロットが望んで覚醒をするわけは無いでしょう。しかし、今回使徒化したアスカをゲンドウに利用されたように、相手側に覚醒させられる恐れは常にあったわけです。
シンジ君が死ぬかもしれないとあんなに嫌がっていたものですから、アスカ達だって死にたくなければもっと嫌悪感を持っていると思うのですが、そうでも無さげなのは彼女達にとってチョーカーは仲間を守るために自爆を選ぶ最終手段という認識なのかもしれません。実際に使徒化しても勝てないと悟ったアスカは自分が利用されてしまわないようにチョーカーを起動させて自爆しようとしていましたし。

ヴィレが目指すところって、人が生きていける世界ですし、ゼーレやゲンドウがいなくなれば戦うこともなくなりますので、エヴァに乗らなくて良いとなれば覚醒の恐れも無い。いつになるかはわからないけどチョーカーは必要なくなるものです。
そして、自分たちは戦いでいつ死ぬかもわからないし、もしかしたら生き残るのはエヴァパイロットだけかもしれない。
そうなると、ある条件を満たせばミサト以外の人が外せるようになっていないといけないのです。なぜならミサトが死んだら二度と外れない代物になってしまいますからね。
なのでDSSチョーカーには自動解除機能が付いており、ミサト(管理者)が死んだ時、もしくはエヴァの呪縛が解けて覚醒の恐れがなくなったという生体反応が得られた時のどちらか、もしくはその両方が起こった時に簡単に外せるようになるのだろうと推測します。

大人になっているシンジ君がどうしてチョーカーをつけたままなのか?というのはエヴァのある世界からエヴァの無い世界に切り替わったのがシンジ君にとっては一瞬の出来事であることと、チョーカーへの認識が「償い」だから自分から外そうとも思っていなかったことが理由でしょう。ヴィレに戻ってきた時など何かと首元を気にしているのは罪の象徴を受け入れる覚悟だったのに付いていないことの意味を気にしているからです。
だからマリが「もう君の罪の償いは済んでるぞ!」という意味で外してあげたということです。
それにエヴァの無くなった世界には使徒もいないしアダムスの力も消えてあのカヲル君だって大人になって人として生きています。マリだけが旧世界の遺物のように使徒の力を引き継いでいることもできませんし、もし使徒だったらマリは大人の体に戻れていないです。
というわけでマリは使徒ではなくただのヒトです。
しかしただのヒトではありますが、ユイと並んでずば抜けて頭がいいからこそできることがあります。

マリとクローンの関係について②

そういえば第1部にて後で説明しますと言って残していた部分がありました。
マリはクローン技術にとても造詣が深く、マリだからこそできたことがあるということでしたね。
なぜかというと1部の方でも説明済みではありますが再度簡単に書いておくと

①‪マリはユイの同級生だけどシンジ君達と同世代に存在するために自分自身をクローン化させている
②綾波シリーズのオリジナルがユイだということを知っている
③アドバンスド綾波シリーズを再生できた冬月の教え子である

上記3つからマリはクローン技術の専門家のようなものです。つまりなんらかの方法で魂を回収し、肉体を用意してあげればそこに魂を入れて人を生き返らせることができます。
さてさて、死んだり肉体をなくしていたはずなのにエヴァの無い世界で生きていることができた不思議な人達がいましたね。そうです、カヲル君とレイです。2人が大人になって生きていることができたのはマリが生き返らせてくれたからなんです。

カヲル君とレイが生きていた理由

まず大前提として頭に入れておいてほしいことを2つ書いておきます。

前提①
エヴァの物語の世界では生と死の間に魂という中間状態があります。
そのためLCLにつかっている状態なら肉体を無くしても魂はLCLに保存されるので肉体さえ用意してあげればまた生き返ります。(そのかわりテレビアニメ版3人目の綾波のように記憶は無くす。記憶は肉体に蓄積されるようです。)
極論、エヴァに乗っている時は死亡してもいくらでも生き返らせることができるということです。
この世界では肉体と魂の2つが破壊されることが本当の意味で「死」となります。魂も消えてしまいましたよっていうのは虹が出ることによりわかるようになっています。よってQラストの時点でカヲル君の魂は13号機のエントリープラグ内に保存され、破で肉体を無くした白波は初号機の中に魂だけがあり実は死んでません。
このあたりはエヴァのシン化についてのくだりで説明済みでしたね。
ただしこの原理を理解しているのはごく一部の人間だけであるため、大半の人は肉体が無くなった状態=死と認識しています。(もちろんシンジ君もです)一般人がLCLに触れる機会無いでしょうから…。
前提②
シンジ君は"時間も世界も戻さない。エヴァの無い世界に書き換えるだけ"と言っています。
世界を戻す(次の世界に切り替える)というのは今までの円環(ループ)と同じく、生まれるところからやり直すというような感じなので魂はリサイクルされ死んだ人も全員生まれ変わりますが、歴史も記憶も全リセットとなります。
しかしシンジ君はやり直しを望みませんでした。
今の世界のまま。ということは肉体も魂も無くした本当の意味で死んだ人は元に戻せないということにもなりますし、破壊され無くなってしまった本来の肉体も原則元には戻らないということでもあります。
それはつまり肉体に蓄積されていた記憶も元には戻せません。

ということで本題に入ります。
エヴァの無くなった世界にカヲル君とレイが存在しておくには魂と肉体が分離しててもいいからとにかくセットで揃っていないといけません。
それでいてなおかつマイナス宇宙から連れ帰ってくれる人が必要です。
マイナス宇宙で起こったことは、マイナス宇宙の中にいける人でなければどうすることもできませんからね。
しかしここはもう最初から答えが出ています。アダムスの器を取り込んだプラスフォーイーワン状態になってマイナス宇宙を自在に駆け巡ることができる8号機に乗っているマリに連れて帰ってもらえばいいのです。そして最初に書いていたように、マリならば魂と肉体をドッキングさせてあげられます。

レイの肉体はマリがMark.12のパイロットとして入っていたアドバンスド綾波シリーズを1体確保しておけばいいのでなんとかなります。アドバンスド(次世代型)綾波シリーズなら"調整"しなくても個体を維持できますし。
マリがMark.10〜12を相手に戦った時、最後の1体だけ殺り方が分からないようになっているのはそういうことなんでしょう。
それに無理にMark.12からクローン体を引っ張り出さなくても、レイの遺伝子データはたくさん残っているので魂さえ回収できれば肉体ってなんとでもしてあげられます。‬
‪魂はシンジ君のプラグに一緒に入っているでしょうからマリはシンジ君を迎えに行くと同時にレイの魂も回収できます。
‪カヲル君はというと2部の方で書いていたんですが、とある方法で肉体が再生されており13号機のプラグ内には肉体と魂の両方が(分離されて)揃っています。
なのでそれを回収してもらうだけでOKです。

具体的にどうすれば2人の魂を保護しておけるのかというとめちゃくちゃ簡単です。初号機と13号機からエントリープラグを強制射出させてそのプラグを回収、魂が保存されている中のLCLを排水しないようにしておけばいいだけです。
実際にそんなシーンを描いてしまうと現実的すぎて面白みがありません。
シンジ君がそれぞれと対話しエヴァの存在する世界(特撮の撮影場所のような建物)から一旦外に出てもらい、エヴァの無い世界へ向かわせる(シャッターを閉める)という表現で初号機と13号機の中から魂を脱出させます。‬
シンジ君はカヲル君の魂が13号機にあると分かったから、このままだとエヴァを消したら一緒に消えちゃうよ!逃げて!という意味で「第13号機、君のエヴァも処分しようと思う。」とカヲル君に伝えたんですね。
‪だからレイもカヲル君もマリによってマイナス宇宙から連れ帰ってもらえています。アスカが13号機から離脱する直前にマリは話しかける事ができていたのでこの時にはもうゴルゴダオブジェクトに到着していたってことなんですよね。
回収したプラグはシンジ君を迎えに行く前にマリが一旦マイナス宇宙から出てどこかに保管しにいったんだろうなーと思ってます。じゃないとネオンジェネシスで機体は消えてしまってマイナス宇宙からプラグを持ち帰る手段が無くなってしまうので。
‪「おまたせ。シンジ君」と言ったマリ。マイナス宇宙とこちらの世界を往復する時間が必要だったからシンジ君を少し待たせてしまったんですね。

カヲル君とレイの‪2人が同じタイミングで新しい肉体に魂を入れてもらえたのだとしたらラストシーンで一緒にいたことにも合点がいきます。
2人にとってお互いは、気づいた時には隣にいた人…みたいな感じなんでしょうか。
物心ついた時には隣にいた存在って、なんだか兄妹みたいだなと感じてます。
この2人は元々親が存在しませんし、言ってみれば天涯孤独だったのでエヴァが無い世界では早くに親を亡くしたってことになっていそうです。
そうなるとやはり親の愛情に欠けた者同士ですので、血のつながらない他人同士の夫婦・カップルといった関係よりも兄妹でお互いが唯一の肉親という関係ならこの世界ではもう孤独を感じてはいないでしょうしそちらの方が良いのだろうなと思います。色白で赤目という身体的な共通点からも兄妹である方が自然に見えますしね。
それに恋愛結婚できる現代において好きかどうかわからないのに目が覚めた時に君らは夫婦だよというのも酷な気がします。
考えてみればこの2人、今まで散々インパクトでアダムとリリスとして無理矢理融合させられてきた仲で、例えるなら親に強制的に結婚させられる運命にあった2人のようなものですから、仕組まれた運命から解放され自由に生きられる世界になったということは好きな人も自由に選べるようになっているということになります。
(あとすごい現実的な話をするとエヴァの無い世界ではアダムとリリスが共に存在することが許されていても物理融合は危険じゃないか?という懸念があるので近●相●が倫理的に不可能な兄妹にされているのが妥当かと。)

ところで、神が作った最初の男女ってアダムとイヴではなくアダムとリリスだという聖書の解釈があります。とはいえこれには諸説あってリリスの存在そのものがオカルト解釈だったり最初から登場しないとする解釈もあります。
エヴァのストーリーは聖書に関連が多いですが、地球ができた時にいた異なる生物の祖、アダムとリリス…という風にこの物語に"リリス"が存在していることからエヴァはリリスを最初の女とする方の聖書解釈にのっとっているということになります。
エヴァのない世界に書き換えた…ということはリセットではないですが新しい世界が始まったと言ってもいいでしょう。
そこで目が覚めた時には隣にアダム(カヲル)がいて、隣にリリス(レイ)がいた…って、ラストのシーンまで聖書にのっとりやがって!
ちなみにリリスが存在する方の聖書のストーリーでは、リリスはのちにアダムの元を離れサタンの所へ行ってしまいます。リリスが去ったあとアダムの肋骨から次の女イヴ(エバ)が作られました。アダムの次の妻がイヴ。ならばエヴァが無くなった世界でのイヴは誰なのか?
アダムは神様によって土から作られましたが、イヴはアダムの体のパーツから作られた…ということはイヴはアダムの“分身“と言い換えることもできるでしょう。
さあ、イヴは一体誰なのでしょうね??

さらにこぼれ話なんですが、
カヲル君の肉体がプラグ内で再構成されていたことが分かる山下いくとさんの再構成装置ツイートには「再構成中の体は時折ピアノの鍵盤を叩くように動く」と記載があります。
そしてその肉体はエヴァのなくなった世界で生きるために使われたということは、駅のホームにいたカヲル君はQのカヲル君の肉体がそのまま成長した姿ということになります。一度魂が離れてしまったものを再度定着させているためカヲル君は記憶を無くしてしまっていますが体の方が感覚としてピアノを弾いていたことを覚えているわけです。
ピアノの連弾を共通の趣味のようにして楽しんだカヲル君とシンジ君。エヴァの無くなった世界で再び2人の縁を導いてくれるきっかけとなってくれるのはピアノなのかもしれませんね。

マリは自分の願いをシンジ君に重ねてる

最後にマリ自身の話をして終わりましょうか。
といってもマリの話をちょこちょこ出してきてはいてもものすごく情報が少ないキャラクターですので現状の情報から組み立てて想像するとこうなったというかんじです。

マリは「せめて姫を助けろ!”男”だろ!」のセリフやキャラ設定時には昭和のオヤジっぽい言葉遣いを意識されていたりと、男性っぽさを兼ねたキャラクターです。
かといえばプラグスーツの胸部フィッティングを気にしていたり他人に胸を押し付けたりと自分が女性であることを意識しているようなシーンもあり見ている側に「性別」に何か関わりがありそうだな?といった印象を与えてきます。中性的なようでもあり、男性的と女性的両方への振れ幅が大きいという意味で中性的でもあります。
性別に関わりがあるというよりは、拘りがあると言った方が良いのか。エヴァはキャラクターが自身の運命を乗り越えようとする物語ですが、そうなるとその中に登場するマリにも乗り越えるべき運命があったはずです。
マリが乗り越えたかった運命。それは自身の性別だったんじゃないでしょうか?

それもそのはずです。女性であるマリが好きになった人はシンジ君の母、同性のユイだったのですから。
マリとユイの大まかな関係については漫画版14巻か愛蔵版7巻に収録の「夏色のエデン」を読んでいただけると幸いです。
めちゃくちゃ簡易的に説明すると、
マリとユイは大学の同級生(マリは飛び級入学のためユイより年下)で、マリはユイを恋愛対象として好きだが、ユイにはすでにゲンドウという恋人がいた。という話です。でもやっぱり読んでほしい〜!
漫画版はテレビアニメ版の内容を貞本先生が再解釈した世界、といった位置付けですが、テレビアニメ版と漫画版の世界に出てこなかったマリの話を最後にいきなりぶっ込んでくるということは何かしらの意味があって、新劇場版のマリと全く関係が無いわけではないのだろうなとは思っています。

新劇場版の世界でマリがユイを好きになったことは漫画版と同じだと考えています。ですが“好き“の感情の種類や好きになる過程は漫画版とはだいぶ違う可能性はあります。
それは第一に夏色のエデンに出てくるマリと新劇場版のマリは性格が真逆ぐらい違うからです。その上ゲンドウの回想の中にいるマリもかなり明るい子に見えるので新劇場版のマリは昔からそういった性格だったのだろうと考えられます。知的探究心も旺盛そうですし。
それに漫画版と新劇場版は順序も異なっています。
漫画版ではマリがユイを好きになった時にはもうユイとゲンドウは付き合っていましたが、新劇場版ではゲンドウにユイを紹介したのがマリであったことから、マリがユイを好きになったことの方が先で、ユイとゲンドウの出会いはその後の出来事となっています。
故にマリはユイの同級生でありながら、かなり初期段階からユイの計画の理解者であり協力者となっていたということです。
(ちなみに破で使っていた眼鏡の形は漫画版でユイにもらった眼鏡に似ており、破→Qでマリの眼鏡は変わっていますが、ユイからもらったものが大切じゃないのかというと、マリにとってもらった眼鏡が大切であるというよりユイに眼鏡と髪型というトレードマークともなるアイデンティティをもらっており無形であるそちらを大切にしているのではないかと考えています)

新劇場版ではユイに抱いた気持ちが恋だったかどうかもちょっと怪しくはあります。友人として大好き!のような仲の良さとか尊敬みたいなものに変化していたこともありえます。
仮にマリの“好き”が本当に恋だったとしても明るい性格になっているマリなら「そりゃ仕方ないな」ぐらいで失恋してもユイとの関係は変わらなさそうです。
でも、思えば性格って変わっていて当然なんですよ。
第2部では旧作で一度LCLになってしまった人達は自分の欠点を少しだけ克服した状態で新劇場版に登場していると書きました。ゲンドウだけいつまでたっても補完されてこなかったから性格がほとんど変わっていないというわけですね。つまり他の人たちはほんの少しだけ性格がいい方向に変化が見られるということです。
それってマリも同じなんですよ。旧作には登場しなかったマリって、登場しなかっただけでその世界にはいて、インパクトに巻き込まれてLCL化してしまってる。それはもう旧作と新劇場版の間にあった2〜n回目の世界の間中、何度も。
前の世界で補完に巻き込まれた人が次の世界で少しだけ前進できているのであればその前進数は人それぞれではないかと思うのです。旧シンジ君が新シンジ君では1成長しているのだとしたらアスカは3成長している…みたいな風に。
そして人の性格は本人が元から持っている先天的な部分(要は魂の部分)と育つ周りの環境からの影響で形成されていきます。何が言いたいのかというとマリの性格が明るく変化していく要因はいくらでもあったということです。

ですがユイがシンジ君の母代わりを頼もうと思うと漫画版の微妙な距離感のマリよりは新劇場版の明るいマリになら頼みやすそうではありますよね。
ゲンドウの回想の中でシンジ君出産時にマリも駆けつけていましたのでユイとマリは相当仲が良く信頼関係が出来上がっていたのだと推測します。
もしかしてクローンになっちゃおうと考えたのはマリ自身かもしれませんね。ユイからは息子の面倒を見てほしい(方法は問わない)ぐらいの依頼のされ方だったとしても新劇場版のマリは知的好奇心も強くなっているためいっそ自分もエヴァに乗れるようにしようとした、みたいな。破で登場した時はエヴァに乗りたくて仕方なかったようなかんじでしたし。
マリが明るい性格になっていたからこそユイがマリに協力を依頼することができ、それが新劇場版の世界においてシンジ君達と同年代に登場し運命の線路を切り替えるきっかけになったのかもしれませんよね。
そうなると旧作が始まりの世界であるように、もしかして夏色のエデンはユイとマリにとっての始まりの物語的なものなのかも?とも思います。

マリがユイに抱いた“好き”の感情の中に恋も含まれていたと仮定して話を進めていくと、マリはユイの、使徒の襲来から世界を守りたい、人が生きた歴史を守りたいという願いを一緒に叶えてあげたかったから協力者になったのでしょう。
でもそのマリにも唯一叶えてあげられないことが見つかりました。「ユイと子供を作ること」です。
ユイが初号機に入るということはユイの子供だけしか初号機を動かせなくなるということです。子供を残すことはユイの計画を叶えるために必要な最重要工程。だからマリにとって”男性”という性別は欲しくなってしまったものなのではないでしょうか。
‪ユイの計画をあらかじめ理解している自分が男だったなら、ユイが初号機の中に取り込まれてしまってもゲンドウほど狂うこともない。父親としてユイとの子供を育て、しっかり愛情を注いでパイロットにちゃんと育ててあげられただろう。
ユイと同性の自分ではそれを叶えてあげられないからゲンドウとユイの仲を繋げる役となった。ゲンドウを選んだのがユイなのかマリなのかは分かりませんが…。
なかなかそれは、本当にその人の幸せを願っていないとできないことだと思います。

マリが破で初登場した時の設定は「ゲンドウと同じ仕草で眼鏡を直す」でした。
模倣とは憧れという感情から生じる行動です。好きな人(ユイ)の好きな人(ゲンドウ)をミラーリング(模倣)してしまうのはその人に成り代わりたい願望のあらわれではないかと考えます。
マリがゲンドウに抱く感情は嫉妬よりも羨望で、性別に拘っているともとれる言動は、彼女の深層意識にある憧れが投影されているんだと思います。
それでも自分の性別を受け入れ自分を愛し、女性だからこそできることを見つけてユイの願いをサポートしようと思ったのであればマリが女性の象徴のような胸の大きさを誇っていたり、押し付けてアピールしてくるのは彼女なりの自己肯定のひとつではないかと感じています。(一応言っておきますと全ての女性がそういうわけではないですよ!)
マリは生まれつきそういった悩みを抱えていたわけではないだろうと思っています。たまたま好きになった人がユイという同性だっただけ。この辺りの理解が及んでいなかったら大変申し訳ないのですが。

何かを叶えるということは何かを犠牲にするということ。エヴァという物語に登場する大人達は自分の何かを犠牲にしてでも子供達に未来の希望を残そうとします。犠牲にするものは自分の命であったりさまざまで。
マリの願いはユイの願いが叶うことだったのだろうし、でもそうするとユイと一緒にいることはできなくなる。マリは自分の性別が関係して最終的にユイの隣にいることは叶わなかった。ユイと一緒に消える道を選んだゲンドウのことを少し羨ましく思うところはあるのだと思います。
マリが子供達の世代に託したかったもの、むしろ残っていて欲しくないものは「性別が幸せを阻害すること」なのではないかと思います。
マリってシンジ君がヴィレに戻ってきた時からすでにその心が誰に向いているかを察しています。
そしてマリはシンジ君を応援している。同性を好きになった者同士、気持ちを理解してあげられるから好きだった人の大切な忘形見の想いを自分がサポートしてあげたい。

私は何の意味もなく、マリが同性を好きになった人という設定にされるわけがないと思うのです。漫画版が貞本先生の独自解釈に基づく内容だったとしても。
エヴァパイロットってそれぞれに共通点があって、例えばレイとアスカは造られた者、シンジ君とアスカは親の愛に欠けた者、カヲル君とレイは始祖たる魂を持つ者、シンジ君とレイはユイの遺伝子を持つ者、と言った感じで。
そしてシンジ君とマリの共通点ってなんだろう?と考えたら、やっぱり「同性を好きになった者」じゃないかなぁと。
だからマリはカヲル君の複製体(再構成体)に魂を戻して、エヴァの無くなった世界で生きられるようにしたし、生存確認までさせた。

シンジ君とカヲル君は異種であろうと同性であろうと惹かれ合った。2人の間には種族も性別も一切関係が無いことが分かります。
シンジ君は「ネオンジェネシス」でエヴァの無い世界に書き換えたことで、本来は滅ぼし合うしかできなかったアダムベースとリリスベースの異種を等しく”人”として共存できるようにした。異種という障壁を無くした。残る壁は1つ。
現代社会において性別を越えて惹かれあい、好きになることまでは個々人の自由であると考えます。
エヴァの無くなった世界で大人になることができたシンジ君には父さんも母さんもいなくて、実はこの世界ではシンジ君が誰を選ぼうと、たとえ同性を好きになろうと誰にも気をつかう必要も無いし誰にも反対されない環境が出来上がっている。しかしそれを周りに認めてもらえるかどうかという不安は常につきものではないでしょうか。

マリは大好きなユイの息子であるシンジ君にそんなことで悩んで欲しくない。
ユイに母代わりを頼まれていたのもある。でも今度は自分の意思で自分の”女性”という性を、いざというときシンジ君の背中を押す母の役割に活用することにしたのだと考えています。
もし、シンジ君がこれから会って幸せにしたいと願う人、その選択を周りが非難・否定しようとも自分だけは彼を絶対に肯定してあげられるように、マリはシンジ君の側にいる。

宇部新川駅はマイナス宇宙?現実世界?(2021/09/01追記分)

ラストシーンに関する解釈は様々あって正解が一つに絞られなくても良いと考えていますのでこれも一つの考え方であると思っていてほしいのですが、
上記した通り私は宇部新川駅シーンはマイナス宇宙ではなく、エヴァが元から存在しないまま文明が発達したと書き換えられた現実世界であると考えている側です。

理由は宇部新川駅シーンに入る直前、浜辺でマリが「おまたせ。シンジ君。」と言ったセリフでシンジ君はすでにマイナス宇宙から連れ帰ってもらえているからです。
その後駅のホームで目覚めたシンジ君の前にマリは再び迎えに来ます。駅のシーンがまだマイナス宇宙の中であれば直近で2回もマリが迎えに来るでしょうか?
これまでシンジ君が目覚めるシーンがあると必ず「シンジ君がいる場所が移されている・時間が経過している」の2つが起こっていますので駅のシーンがまだマイナス宇宙であるというならシンジ君が目を覚ますシーンは不要となります。
つまりシンジ君はマリによってマイナス宇宙から帰還し、書き換わった後の現実世界で目を覚ましていると読み取れます。

宇部新川駅がマイナス宇宙ではなく現実世界だとするならば、どういう発展をしてきた世界なのか?という疑問も湧くでしょう。
私の出した答えは上述の通りなのですが、他に考えられるとすれば
マイナス宇宙から先に帰還したアスカだけ42歳になっている、つまり駅のシーンはアディショナルインパクト後大掛かりな書き換えは起こらずエヴァだけが無くなり14年経った世界、インフィニティから復帰した人々が復興を目指した14年後の世界なのではということもあるでしょう。しかしこれはちょっと無理あるかなぁと。
エヴァがある世界ではかなり科学技術が進歩していたため、全人類がインフィニティから戻って14年も経ったのであれば外の世界はもっと文明が進歩していても良いはずです。
ですが宇部新川駅および外の世界は今私たちが生活している文明レベルと変わりません。
それに駅のホームに座っていたアスカの髪型は今まで通りのツーサイドアップですし42歳だとするならもう少し別のおしゃれを楽しみそうな気がします。

あとひとつ危惧していることとしてはエヴァは世界から無くなったとしても痕跡が少しでも残っていようものなら、例えば人々が14年前インフィニティになっていたという事実が歴史に残っているとするならば必ずエヴァを復活させよう、もしくはエヴァに類似した何かを作り世界の覇権を握ろうとする勢力、第二のゼーレが生まれてしまう可能性が残ります。
ゲンドウはアディショナルインパクトで「世界の認識を書き換える」と言っていました。
エヴァが再び生み出されないための方法は地球ができた時からエヴァに関わる全てが存在しないものとして人々の記憶も認識も書き換えてしまう方が安全ではないでしょうか。

よって地球ができて、人類が生まれた時から人々はエヴァがあった世界線とは全く別の、どちらかというと私たち視聴者と同じような世界で進歩をしてきたように書き変わっていると推測します。
なのでシンジ君は14年前からいきなりトリップしてきたのではなく、エヴァの呪縛にもかからずに義務教育も終え高校や大学に進学し卒業後就職して28歳となった「エヴァも使徒も存在しない世界で生まれ育ったシンジ君」として目を覚ましその世界を生きていくことになっているのだろうと思っています。

新劇場版でシンジ君≠庵野監督となった(2021/09/01追記分)

上記にプラスであともうひとつ、個人の感想のようなものなのですが、
旧作でのシンジ君は庵野監督自身を投影させた存在…というのはよくきく話ですよね。もちろんシンジ君だけでなく旧作エヴァに出てくるキャラクター全員それぞれが庵野監督の内面を一部持っているような。
それが‪新劇場版では序破の頃から少しずつシンジ君が自分の意思で誰かを助けたいと思うようになり庵野監督から分離して、最終的にシンジ君はシンジ君になったと思っています。

アンノ=シンジって現実の誰かに重ねるのは旧作で終わっていて、‪それは綾波もアスカもカヲル君も同じ。
自分の居場所を見つけた綾波は綾波に、帰りたい場所と守りたい人を持ったアスカはアスカへ、自分の願望をはっきり自覚したカヲル君はカヲル君へと、庵野監督から分離したのだろう、と。
そういう見方をすれば最初から最後まで他人だったマリ=監督の奥さんとして見る説にも、それはちょっと違うだろうなと思うのです。

個であるはずのキャラクターに誰かを投影して考えてしまうことをメタに「エヴァの呪縛」と考えるならば、
レイ=ユイとゲンドウ=カヲルと考える説も、ゲンドウはユイと最後に一緒にいられたことでその魂は救済されてるし、シンジ君は確かにカヲル君に親を重ねて見ていた部分はありますが、最後にはちゃんと「個」としてカヲル君を見るようになっている時点で「投影される」って運命からは解放されています。
エヴァの無い世界にいるカヲル君はカヲル君だしレイはレイ。もうゲンドウでもユイでも無い。
エヴァが無くなった世界になったのだから視聴者側である我々も、キャラクターに誰かを投影して見る呪縛からは解放された方がいいんじゃないかな?というのが私個人の考えです。

ただしカヲル君がアダムでレイがリリスであることは変わっていないと思っています。
ただ、始祖たる者の魂が名を変え、人として生きていけるようになったのだろうと。

ラストシーンでアスカ、レイ、カヲル君が向かいのホームにいたのって、3人がシンジ君よりもお先に監督から分離して個のキャラクターになってるよって意味でもあるんじゃないでしょうか。
宇部新川駅は1番ホームと改札がつながっていて、シンジ君は向かいのホームを経由しないと外には出られない構造となっています。つまりシンジ君がいるホームが此岸で向かいが彼岸では無いんですよね。
シンジ君が目を覚ましたホームが切り替わる前の世界で監督と分離しきっていない世界。向かいのホームが新しい世界‬で監督から分離し個を持った世界。

シンジ君は最初から最後まで他人(監督の内面が投影されていないという意味)だったマリに3番ホームから連れ出してもらうことでエヴァのあった世界を抜け、監督から完全に分離した。‬そして1番ホームを通り、改札を抜けることで新しい世界にいる人達の元で生きていく。
そういう意味もあるのかもと思っています。

エヴァの無い世界でイヴは誰なのか(2021/09/01追記分)

シンジ君はアディショナルインパクトでエヴァの無い世界に書き換えた。‬
‪それはアダムとリリスの共存が許された世界、だからカヲル君とレイは一緒にいて、つまりアダムとリリスがくっついた世界だからイヴは生まれなかった説というのがありまして…
それを聞いて「ん?イヴならもうおるやんけ…?」とちょっと違和感を感じました。

前に書いた文章では「イヴは誰なんでしょうね〜??」とぼかしているくせになんなんだという話ですが他にもわかることがたくさんあるのでもうこの際断言してしまいましょう。
新しい世界にいる人類をアダムと共に生み出したシンジ君がイヴだから。です。
なんならエヴァの無い世界にいる人々はもうリリンではなくなっています。
では追って説明を。‪

聖書においてリリスは夜の魔女とされ(諸説あり)、神様とアダムの元を離れ悪魔サタンの元で悪魔の子リリンを生んだ悪魔サイドです(エヴァ世界におけるサタンはゼーレやゲンドウを指す)
‪対してアダムベースの使徒は旧作では天使名がつけられていたり、新劇場版では天使名こそ無いものの英語では○th Angelと表記されるように、生き残りをかけた人類VS使徒の対立構造はすなわち悪魔VS天使の戦いでした。

旧劇を見れば分かるように、今までのインパクトのトリガーは初号機だったため、「何を望むの?」と聞いてくるのも綾波でした。綾波の魂はリリスの魂ですからね。‬
‪つまりずっとシンジ君と綾波主導でのインパクトであり、言わばリリスとリリン、母と子だけで行われていました。
‪なのでリリスの子供であるリリン達は母胎(黒き月)に還り再度生まれなおす。インパクト後の世界でもまたリリスから生まれるのだからリリンはいつまで経ってもリリン(悪魔の子供)のままだったんです。しかしそれは今までの世界ではの話です。

エヴァが無くなった世界で、もし‪イヴが生まれなかったらどうなるのでしょう?
人類はリリンのまま。つまり悪魔の子供のままとなります。‬
この世界で‪人類側(リリン側)が残ったということは天使を滅ぼしてしまったか、天使を悪魔側に迎合させてしまったということになり結局この戦いは悪魔側の勝利で終わったということになってしまうんです。
どちらかを滅ぼして生き残る。‪はたしてそれはシンジ君が望んだ幸せか?というと、私は違うと思うのです。
旧作でもシンジ君は使徒は本当に敵なのか?と疑問を抱いていたり、カヲル君という使徒を目の前にして敵だと思いたくなかったりした子です。

シンジ君が望んだ「エヴァが無い世界」というのはエヴァの元となるものがいない世界、すなわち使徒がいない世界です。だからおそらく使徒もヒトになっており(使徒好きの私は大撃沈)それと同時に人類も第2使徒リリスの子供である使徒リリンではなくなっているはずです。
‬聖書ではアダムの肋骨から作られたのがイヴ。それは今までアダムのコピーを素体として作られたエヴァンゲリオンがエヴァの世界におけるイヴでした。(イヴはエバとも読めるから=エヴァとなる)
しかしシンジ君が望んだのは「エヴァンゲリオンが無い世界」であり、「イヴがいない世界」というわけではないんです。新しい世界ではエヴァンゲリオンがイヴじゃなくなったというだけで、イヴのポジションは空席になり、そこへシンジ君が就いています。

フォース(アディショナル)インパクトのトリガーは13号機でアダムベースの機体です。なので今回はアダム(カヲル君)とリリン(シンジ君)主導なのでリリスはサブ。だから「君は何を望むんだい?」と聞いてくれたのはカヲル君です。
カヲル君は「僕は君だ。僕も君と同じ」とシンジ君に対して言います。アダムの分身がイヴならば、カヲル君がイヴに選んだのもシンジ君なんです。

そうしてリリンだった人々はリリスの母胎に還る必要なく、リリス(悪魔)の子からイヴ(人)の子に書き換えられるという意味で新たに生まれ直した。‬イヴが人類と使徒を悪魔でも天使でもないただの人へ、人の生きていける世界にしたということです。
‬アダムとリリスから天使と悪魔という属性が消えたと思ったら分かりやすいかもしれません。‬
シンエヴァのラスト、書き換えられた新しい世界にいる人類はリリスの子供ではなくアダムとイヴの子供となります。

綾波の蜃気楼の謎
さて、そうなると長年謎だったものが一つ解決します。
シンジ君はたまに綾波の蜃気楼のようなものを見ていましたよね。たとえば初めて第3新東京市に来てミサトさんに連絡する前と、旧作ではサードインパクト後の海辺で、そしてシンエヴァでは黒波に話しかけられる前に。
シンジ君だけじゃなく旧劇サードインパクトでパシャる寸前にも綾波を見ている人は多数いますし黒波もQでは調整中に見ています。
これは綾波なのではなく、綾波の姿を借りたリリスなのだろうと思っていました。その考えは今でも変わりません。
リリスは夜の魔女と言われるぐらいですから、「夜」とは「死」を連想させ、死期が近い人間の前に現れるのか?とも思えますよね。

実は初めて第3新東京市に来てミサトさんに連絡する前、シンジ君が綾波の蜃気楼を見る前にあるカットが入ります。「白い鳥が飛び立つ」カットですね。
これと同じカットがシンエヴァで塞ぎ込んでいるシンジ君の元に黒波が訪ねてくるシーンの直前にもありました。
白い鳥が飛び立つカットの後には必ずシンジ君は綾波の蜃気楼を見る。
このカットはシンエヴァのラスト、宇部新川駅でのシーンにも入っています。ですがこの時だけ、駅で白い鳥が飛び立つカットの後にシンジ君は蜃気楼を見ません。エヴァが無くなった世界にいるシンジ君は綾波(リリス)を見ないんです。

綾波の蜃気楼(リリス)を見るのは人が今までずっとリリン(悪魔リリスの子供)だったから親に見守られていたり、死の直前にはお迎えに来てくれていたということであり、
旧劇サードインパクト後にシンジ君が綾波を見たのも結局人類はどれだけインパクトで世界を、生態系をやり直しても黒き月から生まれる以上はリリン(悪魔)のままですよ、というのを暗に表しているのでしょう。
シンエヴァではフォースインパクトとアディショナルインパクトが起こり、新しい世界へと書き換わりました。その世界で生きることとなったシンジ君は白い鳥が飛び立つカットの後でもリリスを見ない。それはリリンだった人々は全員アダムとイヴの子供に書き換えられ、リリスの子供じゃなくなったからかもしれませんね。

シンジ君は多様性を認める世界に書き換えた?(2021/09/01追記分)

エヴァという物語が投げかけてくるテーマの中に、小さくも「性別」の問題があると思っていて、シンエヴァのラストから私は「互いに多様性を認めて生きていこう」という隠れたメッセージを受け取っています。
もちろんそう感じない人もいるでしょうし、感じ方は人それぞれでしょう。
なぜ私がそう感じたのかを説明していくにあたり、ここからは少しセンシティブなお話になりますので予めご了承ください。(こういうの苦手だな〜という場合は飛ばしてください…。)

エヴァが発信するテーマの中に「多様性」を感じた理由、その一番代表例が「同性を好きになる描写のあるキャラクターが登場する」からに他なりませんが、ここの考察内でもエヴァの無い世界にいる綾波はアドバンスド綾波シリーズの肉体1体を使って蘇生させている、と書きましたよね。
シンエヴァでは冬月が再生されたアドバンスド綾波シリーズを前にして「雌雄も無く、純粋な魂のみで〜」というセリフを残しています。
つまりエヴァの無い世界にいる綾波には実は「雌雄(性別)」が無いということになります。
このセリフって、雌雄が無くなったことでエヴァの操縦技術が劇的に上がるとか、その後の物語の展開に全く関係してきません。元々エヴァは性別関係無く乗れますし、性差が操縦技術に影響することは無いと言ってもいいでしょう。
だからこそ「雌雄が無く」なんて劇中で言う必要は本当なら無いはずです。それでも言ったということはここに何らかの意味があると考えました。

実はエヴァの世界において雌雄を持たないとされるキャラクターが他にもいます。
カヲル君も体は男性の形をしていますが、本来使徒は単体完全生物なので性別が無いとされています。
それに彼の言動はどこか中性的で男女性の振れ幅が小さいようにも感じますよね。

もしかしてなんですけど、序破急の「急」を胎動を意味する「クイックニング」のQや謎を意味するQなどの色んな意味を持たせるためあえてアルファベットにしたのはLGBTQ+のQという意味もあるんじゃないかな…と思ったり。
LGBTQ+におけるQとは「クエスチョニング(性自認が決めていない、無性)や「クィア(性的少数者全体を包括する用語)」とされます。

男女性の振れ幅が小さいカヲル君と対をなすように、マリは男性的にも女性的にも振れ幅が広いという意味において中性的に見えます。
そして先にも述べたように、「同性を好きになる描写が存在する」ことからエヴァパイロットには性別に関わる情報量がすごく多いと思いませんか?
もしかしたら、エヴァパイロットそれぞれがLGBTQ+の何かに該当しているのではないか?と疑問がわきました。

多様性を認めていきたいとする考えとは本来、こういった型に嵌めて考えたり、決まりきった場所に分類すること自体が良くないのかもしれない…とは思っております。
もしこれから書くことが差別を助長することにつながってしまうのだとしたらもっと別の書き方を模索いたします。
しかし申し訳ないのですが、私の足りない文章力で考えを伝えるために今回は「分類」というものを用いて説明させていただきますので、もし間違いがあればご指摘いただけますと幸いです。

マリ→性自認が女性であり、女性を好きになったことから同性愛者だと推測される。異性を好きになっているかどうかは描写が無いため不明。よってレズビアン(LGBTQ+におけるL)かバイセクシャル(B)だと考える。
アスカ→性自認が女性であり、異性を好きになっている。同性を好きになっている描写は散見されないため異性愛者(ヘテロセクシャル)だと推測。
シンジ君→性自認が男性であり、異性も同性も好きになっているためバイセクシャル(B)かパンセクシャルだと推測される。
カヲル君→男性の肉体を持っているが性別は無いという設定なので性自認があるかどうかは不明。シンジ君を好きになっているが同性愛者かというとシンジ君しか好きではないため断定はできない。よって無性別か性自認を決めていないクエスチョニング(Q)ではないかと予想。
綾波→女性の肉体を持っているが冬月が再生させたアドバンスド綾波シリーズは雌雄が無い。よってその肉体を使用しているならば性自認が無く、綾波もまたクエスチョニング(Q)である可能性がある。

という感じで分析してみました。この視点で見るとラストシーン立ち位置の見方も変わってきませんか?
(私自身は異性しか好きになったことが無く完全にマジョリティ側視点からの推測になってしまいます。理解が及んでいなかったら申し訳ございません)

シンジ君とマリは同性を好きになった者同士、そして向かいのホームにはカヲル君とレイがいる。上記のことから考えるとカヲル君とレイはクエスチョニング同士ということになる。
つまりはお互いがお互いのセクシャリティの理解者であり、友達のような関係と見ることもできます。
(アスカが1人でいるのには別の意味があると思っていて、そちらは第1部の方に追記していますのでよければ読んでみてください)
エヴァの物語の中で、特にシンエヴァでは使徒が死ぬ時の描写以外にも「虹」が出てくるシーンが結構あり、虹は多様性を表すシンボルでもあります。
シンジ君とマリは宇部新川駅で仲良くなるためのおまじないをした。それは手を取り合い多様性を認め合い、この新しい世界を生きていこうという意味もあるのかもしれませんね。

もちろんこれが子供を産み育てる生き方を否定しているわけではないです。
妊婦さん、新生児を育てる夫婦、出産間近の猫、農業を手伝う子供が第3村パートでは登場しており子供を生み地域が共同体となって育て、意思を継いで残していくといった命の営みの素晴らしさをしっかりと描いてくれています。それも幸せの形のひとつ。
私は第3村から何となく戦後っぽさを感じました。でも生き残った人々が土地も物資も選択肢も少ない中で生きていく状況であれば次の世代を生み育てることを重要だと考えるのは必然でしょう。
でも社会が成熟して、人口も増え、生活水準が上がった現代において(たとえばコア化がなくなりインフィニティになっていた人々が戻ってきた世界や元からエヴァが存在せずに発展してきたような世界においては)幸せの形はそれだけではなく、選択肢はたくさんあり、そのどれもが否定されるものではないということも描かれなければならないのではないか?と思ったのです。
そしてその答えがラストシーンなのだろうと。

正直、これがシンジ君とマリ、カヲル君とレイが最終的な組み合わせですよとはっきり意味する描写だったら、そうしたらじゃあアスカはケンスケとだなって想像してしまうし、結局このパターン(異性をパートナーにして子供生んで育てること)が一番正しいのかよ…それがメッセージなのかよ…と、まるで人の幸せの形を押し付けられてしまったような、自分の選択肢を限定されてしまったような気がして「ナンカキモチワルイ…」と感じていたのでしょう。
でも映画を観た自分はそう感じませんでした。
むしろ私の今までの人生における選択を、自分の生き方を肯定してもらえたような気がしました。

エヴァパイロットは全員、大人によって仕組まれた運命から解放され救われた。それはつまり希望ある未来が開かれ自分の幸せの形を自分で決めることができるようになった。選択の自由を手に入れたということではないでしょうか。
もしこれがラストシーンでゴールイン(を匂わせる描写)してしまったら、せっかくもうゼーレにもゲンドウにも利用されなくてよくなったのに今度は監督の思う幸せの形に当てはめられてしまうのか…それってまだ運命仕組まれてるままじゃん…という話です。
(そういう意味でも監督は自分からシンジ君を分離させたのだと感じていますし)

私はシンエヴァでキャラクターそれぞれが(セクシャリティを含め)誰かを好きになったこと、生い立ち、人生での選択、それらが誰一人否定されることなく描かれきったと思っていますし、それがファンへの救いでもあるとも思っています。
それだけではなく自分で幸せになる力をもう持っているシンジ君達の先にはたくさんの選択肢があり、自由がある。宇部新川駅のラストシーンはゴールではなくスタートを描いてくれたのかな、と。
そしてきっと、これからは他人と多様な生き方を認め合い生きていくのでしょう。

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ということで最後まで突っ走ってみましたが
庵野監督、スタッフの皆様、最後まで作りきってくれてありがとうございます。まずはこの言葉に尽きます。
最後の方の説明に関しては社会に対するそういうメッセージ性がある!と断言したいわけでもないし、マリやシンジ君をそう言った象徴や主張のアイコンとしようという意図もないので、これはひとつの考え方、捉え方であると思っていてくださいね。
私個人からすると加持さんだって愛に性別は関係ないって言ってたし〜と、個人でそう思っている分には何の問題もないのですが、説明する時どう言ったもんかなぁと流石に悩みました…。
ただ、現代においても触れづらい部分に踏み込んで描いているという点においてはやはり先進的な作品であると感じています。誰を好きになったってそれが自然であり許容される社会になってほしい。

そしてエヴァンゲリオンという作品に出会い、こうやって考える機会を与えてもらえたこと、本当に楽しくて幸せな時間でした。
私はまだもう少し卒業はできそうにありませんが、燃え尽きるまで、燃え尽きても好きでいたいです。
破→Qのことはまた妄想し直そうと思ってます。ちょっとずつ設定資料が蔵出しされて、いつか空白の14年間の全貌が明らかになる日が…くるといいなぁ。

とっても長かったと思いますが、ここまで読み切って下さって本当にありがとうございます。第3部は内容的にスキしてもらえるかなぁ…ちょっと自信ないですけど読了記念にスキ♡してくださると嬉しいです。(noteアカウントを持っていない方でもどなたでも押せます)
今回は図解が少なめで大丈夫かな?と不安なので後でサイレント修正しにくるかもしれません。ですが今日の日はさようなら、また会う日まで。

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