2番の影の中で:シベリウスの中期交響曲考 その1(MUSE2019年1月号)

 寒さも本番のこの時期になるとシベリウスの音楽を聴く機会が増えます。19世紀から20世紀への変わり目に後期ロマン派の支流としての国民楽派的な立ち位置から始まったその創作の歩みは、ほぼ同じ時代を歩んだマーラーとは正反対のより簡潔で凝縮された音楽をひたすら目指してゆくものでした。それだけにマーラーの時代真っ盛りのいま、シベリウスの音楽を取り巻く状況はむしろ難しくなっているように思えます。最大の要因は演奏スタイル。誰もがマーラーを演奏する現在はシベリウスの作品が要求する凝縮とは逆の肥大化への指向性が主流となって久しく、コリンズやエールリンクのようなモノラル時代の録音に聴かれた作品の傾向との一致はデジタル初期のギブソンを最後に失われたままです。わずかにフィンランド人ピアニストのオリ・ムストネンが交響曲3番を指揮したCDが単に珍しいという域を越えた曲への理解に満ちた名演で、カップリング曲がヒンデミットという点も大いに溜飲を下げたものでしたが、彼が示した道に続く演奏家は今のところ出ていないのが残念です。60年代に相次いで登場したバーンスタインやバルビローリの全集、そしてカラヤンによる後期作品の録音は、マーラーと同じ聴き方でそれらの曲に接していいんだという姿勢を多くの聴き手に植え付けてしまい、1番や2番はまだしも凝縮へとはっきり転じた3番以降の曲に説得力を持たせる全集録音がなかなか出てきません。それだけに90年代に入り再録音に取りかかったギブソンが、1番2番にレンミンカイネン組曲という初期作品をリリースしただけで亡くなったのは未だに痛恨の極みです。それら初期作品においてさえ、再録音は以前よりさらに無駄なく引き締まった造形へと鍛えられていて、この演奏で以後の曲が収録されていたらとの思いは20年余りが過ぎた今も消えることがないのですから。

 僕にとってシベリウスは、初めて本格的に聴き始めた交響曲のレパートリーでした。小学生時代に夢中になった東宝をはじめとする怪獣映画で伊福部昭の音楽などが潜在的に刷り込まれていた僕にとって、初めてなじんだクラシックが交響詩などの標題音楽だったのはむしろ当然のことでしたが、ゆえに交響詩と交響曲の両方を書いていたシベリウスが交響曲に入門する端緒となったのです。そしてシベリウスの7曲の交響曲が、交響詩と似た初期の曲から後になるほど絶対音楽としての語法を深めてゆくものだったからこそ交響曲を聴く耳というか接し方を早い時期に得られたと今にして思うのです。そしてそれがコリンズの指揮なればこそだったとも。50年代前半に収録されたこの全集はヒンデミットなどが活躍した20世紀の作曲界のひとつの潮流となったロマン派末期の行き詰まりを打破しようとした動きのいわば完成型ともいうべきものであり、その意味ではオネゲルの5つの交響曲にも比すべき見事な果実なのですが、なにしろマーラーに人気が集中している20世紀後半から現在に至る状況の中では注目されないのもやむを得ないことなのでしょう。作曲界の動きは常に演奏側や聴衆サイドのそれより先行するのが世の常で、マーラーにしても生前は思うように認められず「いつか私の時代がくる」という捨て台詞とも取れそうなあの有名な言葉を遺すことを免れなかったのですから。
 そんなシベリウス党にとって、最も人気のある2番という曲はある意味鬼門というべきものでした。7つの交響曲のうちで最も規模が大きく雄大な盛り上がりを示すこの音楽はマーラー的なスタイルでも様になることでは最右翼に位置するものであり、より独創的な作風に転じてゆく3番以降の作品への理解を阻んでいるとさえ映るからです。よりシベリウスらしい作品を愛するあまりこの曲への人気に苦言を抑えきれぬ数多のシベリウスフリークはネット時代の今や方々で容易に見つかります。

 では他ならぬシベリウス自身にとって2番はどんな存在だったのか。絶対音楽への接し方、聴く耳を忘れず聴き直してみると、今の僕には少なくとも3番から5番に至るいわば中期の3曲には絶大な影響を及ぼしているように感じられ、彼にとっては極めて大きな存在だったのではという気がしてなりません。規模の雄大さこそマーラー的であれ、語法自体が後期ロマン派の範疇を出ていなかった1番と比べれば以後の交響曲を形作る断片的な動機の蠢きからその全体像が形作られてゆくという手法が確立したのはまさにこの曲なのであり、とりわけ第3楽章と第4楽章を切れ目なく繋げたことは3番と5番の終楽章の直接の雛形にさえなっています。そしてフィナーレこそが最も遅く大きな歩みの曲になっているということを、コリンズだけは4番においても見いだしていて、そのテンポだからこそ4番の終楽章の末尾で2番の冒頭の動機が回想される意味を彼だけが気づかせてくれるのです。いい演奏というものをどう定義するかについては様々な考え方があるでしょうが、特に中期以降のシベリウスのようなモチーフの生成を重視する作風の場合、それらの関連を演奏側が読み解くことができるか、そしてそれを聴き手に伝えられるかは最も大事なことであり、それがコリンズ以降なかなか出てこないのはマーラーというシベリウスとは正反対の音楽を演奏するスタイルが流行ってしまった弊害ではないかと思うのです。次回はこの点をコリンズと一般的な演奏との比較を通じて見ていきたいと思います。2番の影を脱してはじめて、シベリウスは最後の2つの交響曲を書くことができたのだとコリンズは僕に教えてくれるのですから。

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