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【映画】アンダーカレント/今泉力哉


タイトル:アンダーカレント 2023年
監督:今泉力哉

以前から原作は知っていて(ヴィレヴァン辺りで定番の一冊)、昔通っていた病院の待合室にあったのを手に取った記憶がある。ただとっかかりが掴めず、冒頭を流し見しただけでその先を読むことはなかった。これを機会にと原作を読もうとしたけれど、調べたら通勤の範囲にある書店では在庫がない。弟に持っていないか聞いたが、すでに引越しの時に処分してしまったという。再度調べたら新宿の紀伊国屋に在庫があることだったので、仕方なしに足をのばして無事購入することが出来た。
原作を読んで大きな違いは感じなかったが、原作の方がコミカルなテイストが強い。映画の方はその辺りが控えめで温度感の低さが際立っていた。物語の中に漂う人物同士の距離感にフォーカスが当てられているようにも感じられ、わざとらしくなりがちな漫画的表現を抑えているようにも思える。
映画の中で特に印象的だったのが、何度か登場する水中のシーン。かの名盤「アンダーカレント」のジャケットの如く水の中に横たわる姿は、原作では表紙と冒頭と真ん中あたりであっさり登場するくらいなのだけど、映像でじっくりと描かれると物語に幽玄さと過去の記憶がしっかり結び付いてくる。
細野晴臣の紡ぎ出すサウンドも絶妙で、水中を音像化しつつ水の中へと深く潜っていくような、意識が降っていく感覚に没入感を感じさせる。彼女の表面に現れるものとは別の、先の見えぬ不穏と不安の最中にある内面が、音と映像で溶け合う見事なシーンだったと言える。
細野のサウンドトラックワークスを振り返ると、近作では音を極力間引いて主張しない「万引き家族」で、主人公家族たちと社会の間にある空っ風のような音の雰囲気が、そこにある状況の不条理に対してのある種の虚無感を感じた。10年代に入ってからいくつかのサウンドトラックを手掛けているが、本作のサウンドを聴いて想起したのが、80年代のアンビエント期に発表されたサウンドトラックやその頃のアルバムだった。昨今のニューエイジリバイバルで再評価されているこれらの作品群と照らし合わせると、似ているようで非なる部分もあるがこの辺りの雰囲気の延長にある作品の手触りを感じる。00年代であれば「メゾン・ド・ヒミコ」の様なエレクトロニカ以降の表現が目立ったが、近作はエレクトロニカからは脱した表現に変化しているのも一聴して聴き取れる。しかし80年代の作品に含まれるニューエイジ観が本作にあるかといえばその部分は払拭されていて、深層心理へ埋没するための音楽がそこにある。そう記すとメディテーションのように聞こえなくもないが、自助を促すようなものとは違い、心の内に秘める部分を露わにするような表現がここにある。そう考えると面白いのが、先日出版されたエレキングの「アンビエント・ジャパン」の中で、近年の海外のアンビエントシーンでは不穏さを掻き立てるようなものも散見されると記されていた。この本では当然、細野晴臣も大きく割かれているが、さらに日本のアンビエントシーン全体では不穏さは敬遠される傾向があるとも考察されている。確かに日本国内のアンビエントの定義を鑑みると、不快な音は含まれず邪魔をしない、もしくは感情的なエモーショナルさは極力排除する傾向は見て取れる(とはいえ大元のイーノとハロルド・バッドの「Ambient2:The Plateaux of Mirror」などはアブストラクトなエモーションが内包されている)。しかしアンビエント期の細野作品の中に不快さはなくとも、不穏さというか翳りのようなものは含まれている。特に「Mercuric Dance」での日本的なアニミズムのアトモスフィアと、アジア圏の宗教的な祈りに似た雰囲気は、鎮守の森の中に埋没するような、再生するだけで部屋の空気を一変させる力を持つ。本作でのサウンドは「Mercuric Dance」の延長線上にあると思うが、ここにあるのは空間だけではなく画面の中の空気と密接に侵食しあっている。80年代の細野作品との連続性は感じながらも、1995年を境とした時代の節目の前と後を対象化することで、作品の中の内省の違いが露わになってくる。音が主張するイマジネーションはそれ単体でなり得るものと、映像が絡み合うものとでは全く意味合いは異なってくる。映画を観る前にサウンドトラックは既聴済みだったが、映像と合わさって眼前に現れた時にこの音の本当の意味合いを理解できた。
かなり脱線したが、映画全体と原作の流れの中にあるエモーショナルな部分はかなり合致していて、物語のクライマックスとも言える誘拐事件のシーンは、どちらも同じ肌ざりであった。配役については若干過剰に抑制された感はあるものの、物語の雰囲気を大きく逸脱するものではなく、先に書いたように漫画的な表現を抑えた結果ではないだろうか。主人公かなえの気丈な部分が少し希薄な感じはあるが、日常と非日常の狭間の戸惑いと考えれば何を描いて何を描かなかったのかは見えてくる。そして原作から加えた部分も、人物描写の深掘りとしては程よいバランスが持たされたと思う。邪魔ではないし、物語が醸成する空気の連続を汲み取った妙案であった。
町田康にかけた町蔵や、リリー・フランキーの起用など小ネタも多いが、ほとんど原作にあったものをサルベージ出来たのも、今泉力哉という人気監督のなせる技なのかも。


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