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塹壕の文化系

リュイユ展の図録

京都にある国立近代美術館で、リュイユの展覧会がひらかれた。リュイユは、フィンランドの伝統的な織物である。

多くの文化イベントが東京に集中するなか、いまのところこの展覧会は東京での開催が予定されていない。それもあって、わざわざ京都まで足をはこぶ遠征組も少なからずいるようだ。

そんな遠征組のひとりから、運よく図録を借りることができた。「リュイユ フィンランドのテキスタイル トゥオマス・ソパネン・コレクション」と題された、小展示の図録としてはなかなか立派なものだ。なにより、日本語で書かれたリュイユ織の解説は資料的にも貴重だろう。

もともとは防寒具としてもっぱら実用的な理由から作られていたリュイユだが、室内の壁を彩る装飾品として、さらにはアートピースとして、長い時間をかけて北欧の人びとのなかでその立ち位置を変えてゆく。その変遷をたどるのは面白い。

たとえば、リュイユについて、アルヴァ・アアルトのこんなエピソードが紹介されている。野暮ったいという理由から、アアルトはそれを毛嫌いしていたというのだ。

1930年代の初めといえば、アアルトはまさに機能主義・インターナショナリズムへと大きく舵を切ろうとしていた矢先である。真っ白い壁に、おばあちゃんの家にあったようなタペストリーが飾られることに抵抗感を抱いたとしても不思議ではない。

リュイユに対する「非民主的」という過激(?)なフレーズも、跳躍のためにはあらゆる民族主義や地域主義とも訣別をはからねばならなかったアアルトの決意の表明ととらえればより切実さを増す。

ところで、どのようにしてリュイユ織はフィンランドの家庭に広まっていったのか。それには、「フィンランド手工芸友の会」の存在が大きい。

すぐれた織り手の育成だけでなく、アーティストとの協働に目をつけたのは「フィンランド手工芸友の会」の眼力だろう。リュイユの図案をアーティストに委嘱し、それを職人が織り上げることでひとつの作品を完成させたのだ。ちょうど絵師と彫師の協働により作品をつくりあげた浮世絵と同じやりかたである。

それをさらに、手しごとを好むフィンランドの人びとにキットとして販売したのが「フィンランド手工芸友の会」だった。当然、おなじ図案でも織り手のセンスや腕前によってその出来上がりはすべて微妙に異なる。「味がある」と言ってもいい。友人どうし、できあがった作品を見せ合うような楽しみもきっとそこには生まれたのではないか。

図録によって、出展された作品のひとつひとつを見てゆく。写真だとその質感までは伝わらないのが残念である。

そうしているうち、ひとつの作品に、というかひとつの名前に目がとまった。「リサ・ヨハンソン=パペ」とある。パペ(パッペ)といえば、フィンランドの照明デザイン界の巨匠である。東京タワーや東京駅のライトアップで有名な世界的照明デザイナー石井幹子の師匠としても知られる。そのパペが、リュイユもデザインしていたとは。

そう思い、昔フィンランドで入手したパペの作品集を引っ張りだして確認すると、なるほど彼女がデザインしたリュイユ織の作品が掲載されている。今回出展されているのとはべつの作品がふたつ。ただ、全編モノクロの作品集のため肝心の色合いがわからない。あるいはそのせいで印象に残らなかったのかもしれない。

京都で展示されたのは、青と白を基調としたモダンな作品だ。「水の輝き」というタイトルがついている。目録には、「ピルッコ・シルフォルス」という織り手の名前も併記されている。1920年代にはじまったパペと「フィンランド手工芸友の会」との関係は、年表でみるかぎり生涯にわたってつづいたようだ。

こんなモダンなリュイユの壁飾りなら、きっとアアルトだって気に入るのではないか。なにより時代は変わった。リュイユとアアルトの椅子が同居していたとしても、もはやそこに誰も敵対する関係をみてとったりはしないだろう。時間は最良の薬なのだ。

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