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カイ・フランクの辛子入れ

カイ・フランクの辛子入れ 異邦人のまなざし

カイ・フランクがデザインしたマスタードポッド、つまり辛子入れがある。

カイ・フランクはフィンランドのデザイナー。シンプルな機能美に裏打ちされたその意匠は、まさにぼくらが北欧デザインに抱くイメージそのものと言っていい。

この辛子入れは、そんなカイ・フランクが生みだした膨大なテーブルウェアのうちのひとつであり、かならずしも際立った存在というわけではない。

そのため、カイ・フランクの人物とその業績を紹介する際にも取り上げられることはあまりないし、ぼく自身いまだ実物を見たこともない。そういう位置づけのものだ。

では、その辛子入れのデザインが魅力に欠いたものかというともちろんそんなことはない。

プリンのようなとでもいうか、単純な円筒形ではなく、底にむかって広がってゆく蓋つきのポットは、食卓に置かれたとき、空間にちょっとしたリズムをあたえてくれることだろう。

それに、なによりそのデザインはぼくらにとってどこかなつかしい。

“KAJ FRANCK & GEOMETRIA“2018より

いま手元にあるのは、「KAJ FRANCK & GEOMETRIA」と題された作品集だ。奥付をみると、2018年にフィンランドのリーヒマキにあるガラス美術館で開催された展覧会の図録らしい。

この作品集のなかに例の辛子入れが大きくとりあげられている。なんと見開きだ。

企画の意図が、特に「形態」にスポットをあてたものだったからかもしれない。

いずれにせよちょっとうれしくなった。

ところで、ぼくがこの辛子入れが気になるようになったのは、ある古い日本の雑誌でそれが紹介されているのを目にしたからである。

1965年というから、いまから58年も前に出版された雑誌だ。

なぜ気になったかというと、そこに付されたエピソードが印象的だったからにほかならない。

紹介しているのは、藤森健次氏(クレジットが明記されていないので断言はできないが、あるいは書き手は柳宗理氏かもしれない)。

いずれにせよ、1956年にカイ・フランクが初めて日本を訪れた際、アテンドした人物である。

その藤森氏(暫定的にそうしておく)が、辛子入れの写真に以下のようなエピソードを付している。

「この形を見るとすぐに思い出すのは、ひと昔前のお茶びんであろう。じじつ、作者(カイ・フランク)が来日したときそっとトランクの底に納めて持ち帰ったお茶びんが、こんなすばらしいアイデアに変わったのである」

なつかしい、とその造形に対して感じたのは、なるほど、そういうわけだったのか。

そのむかし、鉄道で旅をする際、売店で駅弁といっしょに日本茶を買うと、たしかにこの形の容器に入っていた。

まだ、ペットボトルが普及する前の話である。

汽車土瓶というらしい。

さすがにぼくの記憶のなかのそれは、すでにビニール製の容器に変わっていたけれど。

ここでひとつの疑問が立ち上がる。

先の図録では、このおなじ辛子入れの写真にデザイン年らしい「1952」というキャプションが付されていたことだ。

カイ・フランクの初来日は、1956年だったはずである。藤森氏のエピソードを信用すれば辻褄が合わない。

もちろん、カイ・フランクがタイムリープしたという説も100%否定することはできない。それはそれでなかなかに魅力的ではないか。

だが、一応大人としてはもう少し調べてみる必要がありそうだ。

調べてゆくうち、それがアラビア製陶所の「F-mausteikko」というシリーズとして発売されたことがわかった。

ソルト&ペッパー、ビネガー入れ、それにこの辛子入れの4つでワンセットになっている。いわゆる調味料入れである。

辛子入れというキーワードではうまく検索に引っかからなかったのは、それがセットのひとつとしておもに流通していたせいだろう。

「F-mausteikko」で検索したらすぐいくつか情報を見つけることができた。
綜合すると、このセットは1958年に発売され、モデルチェンジを経て1968年まで流通していたようだ。

来日したカイ・フランクは、旅の途中、農村や漁村でふだん使いされている生活道具のたぐいに興味を持ち、フィンランドに持ち帰ったという。

じっさい彼が撮影したスナップも、農村や漁村のひなびたたたずまいをとらえたものが多い。

そのことからも、汽車土瓶をカイ・フランクがおみやげとして持ち帰ったという逸話は信ぴょう性が高いと思う。タイムリープではなく。

しかしここでより大事なのは、デザインされた年を特定することではない。

カイ・フランクが汽車土瓶のかたちに目をとめた、その事実にある。

おそらく、藤森氏にせよ柳氏にせよ、汽車土瓶の機能美に気づいたのはカイ・フランクの目を通してだったのではないか。

それくらい、それは日本に暮らす者にとってはありふれた道具のひとつにすぎなかっただろうから。

逆もまた真なり。

フィンランド人にはなにがおもしろいのかさっぱりわからないようなものを、ぼくら日本人が魅力的に感じるということだってありうる。

日本のいまのサウナブームなど、たしかにそういうところがありそうだ。

かたちに、新しい命を吹き込むのは異邦人のまなざしである。

文化の交流を、ある特定の時代の考えにもとづいた偏狭なイデオロギーによって閉ざしてはならない理由はそこにある。

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