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双極性Ⅱ型気分障害コラム (その44)信仰:天理教

補足します。
これが最終章になります。
最後に天理教の教会長になった経緯を書いています。
これは今回の人生半ばでの私の人生の総括の一部でもあります。

うつ(その27)こころの柱にも書いていますが、こころを支える柱が全て折れた時に急激に発症します。

このこころの柱の一つに信仰(宗教団体ではなく)を入れることもいいのではないかということを言いたかったものです。
決して天理教を勧めている訳ではありませんし、どの宗教が間違っている。どの宗教が正しいと言いたい訳でもありません。
信仰とは古来から人間がどう生きるべきかの道しるべになるものです。
極端なカルトではない限り、それぞれの宗教はそれなりに良いことを言っています。
それをこころの柱にできるならば、それはそれでいいのではないか?と言いたかったものです。

但し、信仰において誤った解釈をすると、不必要に強い自省をしてしまう場合もあります。
うつが酷い場合に自省が過ぎるとそれは自分を極端に責めて逆にうつが悪化する可能性があります。
この為、信仰とは健康な精神状態の時に行ってうつの予防保全として活用するならばいいかと思っています。

また、最近の統一教会などの問題でもあるように、相手のこころの弱みにつけこんで恐怖心などを煽り、金銭を巻き上げるような方(どの宗教団体にも多かれ少なかれいると思います。)も見受けられます。
ですので、やみくもにどんな宗教でもいいという訳ではないのかもしれません。

信頼できる宗教家が近くにいないのであれば、宗教関連の書籍などを読まれてそれをこころの柱とされるのもいいかもしれません。
哲学書や啓蒙書などでもいいのかもしれません。
本ならばお金を献金しないさいとは一言もいいませんので。

ちなみに私は信者さん方に献金をお願いしない主義ですし、献金したら助かると言ったこともありません。

本文は、以下から抜粋しています。
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(その44)信仰:天理教
 
ここまで筆者の経験で学んだことを色々と書いてきました。
最期に一つ付け加えたいと思います。
5年前に筆者は上司のパワハラから酷いうつ状態が発症し、会社の産業医から休職するように勧告されました。
家に帰り当時の妻に会社を休職することになったと告げました。
その時、妻は妻なりに精神的に追い詰められたのかもしれませんが、筆者に『キチガイは出ていけ』という趣旨のことを言いました。
うつ状態で反論もできない筆者は一時的に実家の天理教の教会に帰りました。
当時の妻には筆者が躁うつ病であることは告げた上での結婚でした。
それなのにキチガイと言われ、出ていけと言われ、もう夫婦関係を続けることはできないと思いました。
まして、会社は休職中で収入も傷病手当金のみという状態で、どこにも逃げ場がなくこれからどうしたらいいか途方に暮れました。
当時の妻とは離婚するしかないとは思いましたが、精神状態が悪い時の離婚という判断は良くないと思いながら約2ヶ月熟考しました。
その間、当時の妻は一度も筆者の実家には近寄りませんし、電話もかけてきませんでした。
筆者は天理教の教会で育ちましたが天理教は嫌いで信仰はしていませんでした。
しかし、もうどうしていいものかも分からずに、苦しい時の神頼みではありましたが、奈良県の天理市の天理教会本部の神殿に行って神様に参拝しました。そこにおられた天理教の先生にどうしたらいいかと相談したところ、両親が一番喜ぶことをするのがいい。と言われました。
筆者は両親が何を望んでいるか考えました。
両親は一言も筆者に教会を継いでほしいとは言っていませんでしたが、筆者が天理教の教会を継ぐことを望んでいることは前々から分かっていました。
天理教が嫌いな筆者は逃げていましたが、両親の想いを考えると正式に実家の教会に帰るべきなんだなと悟りました。
当時の妻は筆者が天理教を継ぐなら別れると前々から言っていましたし、もう夫婦の信頼関係もなく、もう別れるべきだと決心しました。
天理市から帰って筆者は当時の妻に離婚調停を申し立て、同時に(その15)の入院をしました。
入院しながら家庭裁判所に通って離婚調停をしました。
結果、当時の妻はマンションと車をくれるならば別れてもいいということでしたので、その条件で離婚しました。
離婚後、2ケ月ほどで退院して実家の教会に戻りました。
筆者が実家に戻ってくると、会社経営をしている叔父が喜んでいました。
叔父の会社には適当な後継者がいない状態で、筆者にその会社の社長をしてくれと申し出てきました。
筆者は『病気ですから遠慮します。』と言ったのですが、どうしてもというので承諾しました。
しかし、まだその時はお薬も沢山飲んでいましたし、手は震え、うつ状態も酷いものでした。
その時はまだ前の会社は正式には退職しておらず、傷病手当金をもらいながらの休職中でした。
天理教には天理市の教会本部での3ケ月の修養科というものがあり、そこにいけば色々な病気が治ると聞いていました。
主治医に相談したところ、『天理教はアルコール依存症治療の支援などで頑張っているし、いいんじゃないかな。』と言われたので、その3ケ月の修養科に行くことにしました。
修養科での1日は朝5時のおつとめから学校での天理教の勉強、勤労奉仕などをします。
しかし、朝が早いので、朝起きてもまだ前日の睡眠薬が残っているのか、ふらふらしながら神殿まで歩いていました。
周囲の方からはかなり危なく見えていたそうです。
しかし、3ケ月が経つころには睡眠薬を飲まなくても眠られるようになり、うつ状態も改善して皆さんから『良くなって良かったね。』と言われながらの卒業でした。
修養科が終わり実家の教会に戻って体調を整えて3月31日付で前の会社を退職して、4月1日付で叔父の会社に転職しました。
病状はある程度は回復していましたが、まだまだ不安定でお薬の調整などをかなり努力しながらの勤務でした。
ただ、日が経つにつれて、段々と病状が良くなってきて翌年の7月に正式に社長に就任しました。
社長業しながら実家の天理教の教会の手伝いをしていたのですが、その時教会長をしていた父がその年の年末に倒れて医師から『あと余命は3カ月です。』と告げられました。
その時、天理教関係の皆さんから『父が生きているうちに教会長を交代するのが一番の親孝行だから継いではどうか?』と言われました。
筆者は『会社の社長もしており、病気でもあるし無理です。』と一旦は断ったのですが、出来る範囲でいいからと皆さんから言われ引き受けることにしました。
筆者が引き受けると決めたら、父が回復してきて余命の3ケ月を過ぎても元気でした。
ちょっと不思議ではありましたが、筆者が正式に教会長を交代する時も父は元気でした。
その交代の時期は社長になって丁度1年目のことでした。
筆者も教会長になってからは、朝のおつとめをしてから会社に出て、夕方は会社から帰って夕づとめをする毎日をしていました。
すると、不思議と筆者の精神状態も安定してきて、お薬の量がかなり減ってきました。
『これも、神様に助けられているのかな?』とも思っていましたが、筆者が教会長になってから丁度1年目に父の容態が急変して急逝しました。
父はちょうど1年間の寿命をもらって筆者が教会長をするのを見届けてから安心して神様の元に旅立ったのかと思います。
父が亡くなる直前に当時付き合っていた今の妻を父に紹介していましたので、父も安心していたのではないかと思います。
今の妻は全く天理教とは無関係でしたが、父が亡くなった後に修養科に行きました。
今の妻が修養科から戻ってきた2ヶ月後に筆者は3度目の結婚をしました。
妻と二人で朝夕のおつとめをしていると、不思議とこころが落ち着いてなんとも穏やかな気持ちになれます。
妻には病気のことは付き合いだした時から言っています。
これからもこころおだやかに過ごせていけたらいいなと思っています。
また、天理教の信者さんの中にもこころの病を患っている方が沢山いらっしゃいます。
そういった方のお世話をする時も筆者の経験は多少なりともお役にたてていると思うので、これからも人助けをさせて戴きたいと思っています。
そういった方の相談にのっていると不思議と自分自身の体調がよくなります。不思議なものだなと思います。
 
双極性障害の治療は投薬治療が第一だとおもいます。
しかしそこから先は神だのみでもいいのではないかと思います。
信仰とはこころが平穏になれるものですので、どういった宗教でもいいとは思いますが、信仰を(その27)こころの柱の一つに加えたてこころの土台がしっかりとしていければいいのではないかと思います。
 
これからも、社長業と天理教会長の二足のわらじではありますが、出来る範囲で頑張って行きたいと思っています。

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