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愚かになれ

前回の記事で「地雷を踏む」という表現を使ったのですが、今回は、それにまつわる話です。

地雷を踏むか踏まないか

私は、怒っている人に「怒ってる?」と聞いてしまうタイプです。

以前友人に、「怒ってる人に、怒ってる?って聞いちゃだめだよ」と言われたことがあります。

この言葉に、私は、けっこう大きな衝撃を受けました。

友人の常識では、そうなのでしょう。

それを否定するつもりはありませんが、私としては、

「え?聞かずに、どうやって他人の心を知るの?」

と思いました。

大人ですし、それなりに色々な人生経験を積んできていますから、想像力を働かせれば、他人の心も「なんとなくわかるでしょ」という考えになるのもうなずけます。

でも、「なんとなくわかる」というのは、所詮は「わかっているつもり」の域を出ないので、積もり積もれば、「あの人のことは理解不能だ」といった状況を招きかねない、というのが私の考えです。

今後も深く付き合うつもりのない相手なら、気にせず放っておきますが、自分にとって大切な相手であればあるほど、その「地雷」を積極的に踏んでいきたくなってしまうのは、私の悪いクセです。

隠し事には愛がある

前回の記事で書いたような、夫との真剣勝負を繰り返す中で、感じたことがあります。

お互いが隠し持っている「地雷」には、実は、「愛」がつまっている。

moimoi

このことを思うとき、いつも頭に浮かぶフレーズがあります。

私の大好きなバンド、SPITZのベビーフェイスという曲から。

隠し事のすべてに声を与えたら
ざらついた優しさに気づくはずだよ

ベビーフェイス / SPITZ

例えば、なんだかイライラしている夫に、「イライラしてる?」と聞いたときのことです。

夫「うん、イライラしてる」

私「なんでイライラしてんの?」

夫「自分のやりたいことと、やってあげたいことがありすぎて、全部やりたいのに、時間が足りなくて、焦って、イライラしてる」

私「私や家のことはいいから、自分のやりたいことを、まずは優先してくれていいよ」

夫「わかった、ちょっと落ち着いた」

心の内に何があるのか聞いてみると、「なにそれ、優しいじゃん」みたいなことが含まれていたりして、聞いてみて良かったな、と思うことが多かったのです。

私としては、「言ってくれればいいのに」と思うのですが、夫としては、「言われなくても気がきくできる夫でありたい」がゆえに、言えないのです。

夫は「良かれと思って」やっていることでも、私は「そこまで求めてない」ということだったりします。

こうした場合、夫は感謝されたいのに、私はそもそもそこに意識が向いていないので感謝するに至らず、夫のイライラはつのる、という悪循環が生まれることもあります。

お互いに想いあっているのに妙なプライドが邪魔をしてすれ違ってしまう、ということって、本当にたくさんあるんだなあ、としみじみ感じました。

私は、あえてちょっと踏み込む、ということをコツコツ繰り返していくことで、お互いの「取扱説明書」を交換できる、と考えています。

自分のことを知ってもらい、相手のことを知り、それぞれが自分のことを知る。

人と人とが、ストレスなくコミュニケーションをとれるようになるためには、必要なことのように思います。

これは、相手がいない場合でも、自分とのコミュニケーションをとれるようになるためにも、必要なことです。

地雷を踏む心得

とはいえ、踏み込むにも、それなりの心得が必要です。

「相手も自分も決して否定しないこと」です。

これは、やってみるとなかなか難しいもので、やるにはちょっと、覚悟が必要です。

傷を負った動物は、自分を守るために、攻撃的になるものです。

が、攻撃的になった相手の挑発には、のってはいけません。

まずは、ただただ寄り添い、話を聞きます。

相手の挑発に、自分の心が波立つことがあったなら、その心にも、ただただ寄り添い、話を聞きます。

お互いが冷静さを取り戻したら、お互いの手札を明らかにし、すべてを目の前に並べてみて、お互いにとっての最善の落としどころを探すのです。

愚かになれ

ここで改めて、ベビーフェイスの歌詞を。


Bye Bye ベビーフェイス
涙をふいて 生まれ変わるよ
Bye Bye ベビーフェイス
今日から明日へ
かすかな炎を絶やさないでいて

華やかなパレードが遠くなる日には
ありのままの世界に包まれるだろう
怖がらないで歩きだせそっと
星になったあいつも空から見てる

Bye Bye ベビーフェイス
涙をふいて 生まれ変わるよ
Bye Bye ベビーフェイス
今日から明日へ
かすかな炎を絶やさないでいて

隠し事のすべてに声を与えたら
ざらついた優しさに気づくはずだよ
真昼の夢を壊さないように
星になったあいつも空から見てる

真昼の夢を壊さないように
星になったあいつも空から見てる

Bye Bye ベビーフェイス
涙をふいて 生まれ変わるよ
Bye Bye ベビーフェイス
今日から明日へ
かすかな炎を絶やさないでいて
絶やさないでいて
絶やさないでいて
愚かになれもっと


この曲は、SPITZの「空の飛び方」というアルバムに入っている曲なのですが、この「空」というのは、仏教の「空の思想」をあらわしているのではないかと、私は勝手に解釈しています。

これをふまえて、ベビーフェイスの歌詞を味わってみると、仏教的なエッセンスをところどころに感じます。

「ベビーフェイス」というのは、煩悩、抑圧された感情やエネルギーなど、表現の仕方は色々ありますが、インナーチャイルド的なものを意味しているような気がします。

「星になったあいつ」というのは、北極星信仰のいう「根源」を意味しているのではないか。

「真昼の夢を壊さないように」というのは、この世は幻想であるけれど、そこでの経験こそが尊い、というようなニュアンス。

「愚かになれもっと」というのは、ブッダの弟子のパンタカの話に思いをはせると、私は今のところ一番しっくりきます。

パンタカの話については、こちらを参考にさせていただきました。

自分の愚かさを知る者は、愚か者ではない。
本当の愚か者は、自分は優れた人物であると思い込んでいる者のほうである。

ベビーフェイスという曲は、

怖がらないで、自分の愚かさを知り、自分の内にある感情を癒し、根源の懐の深さを信頼して、命の火を燃やしていこう。

という「人類への応援歌」である、というのが私の解釈です。

さわやかポップなバンドを装い、特別声を荒げることもなく、しれっと死生観を歌うSPITZというバンドがやっぱり大好きだ、ということで、話をまとめておきます。

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