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北部イギリスの旅(6)〜スコットランドの昏い歴史を垣間見る。

3日目です〜(正確には4日目だけれど、初日はイギリスに着いた日としてカウントしてます)。
今日は移動多いですよ!

ざっと移動時間みただけで5時間・・・うーん、がんばらなきゃ。

とはいってもまずは腹ごしらえ。イギリスではB&Bを中心に予約しているので朝ご飯がついてます。

この日だけ「ポリッジ」を頼んでみました。ハチミツはどう?って言われたのでお願いしました。ほんのり甘くて美味しい、ライスプティングを想像してもらえると味は近いんじゃないかな。でもかなりおなかにずっしりなので、これ以降お願いはしなかったな。。。っていうか旅行の間中、朝ご飯がガッツリすぎて、大体朝と夜の2食ですごしてました。
この日はコーヒー。だけどやっぱり、イギリスは紅茶が美味しいと思う。
イギリスはこのトーストホルダーだよねw
今日は「スモークサーモンとスクランブルエッグ」にしてみました。イギリスでは定番らしい。下のパンはここでは選ばせてもらえました。ベーグルやイングリッシュマフィンにのせてくるところもあったと思います。
オットはトラディショナルスコティッシュブレックファスト。とはいえ、二人で分けるんですけどね。折角だから食べたいじゃないですか。
食べ終わる頃にようやく明るくなってきました。再来週には夏時間が終わるからなぁ。このあと、この日も8時半くらいには宿を出発。
1時間ほどのドライブで着いたのは「アーカート城」。中世初期に要塞としてつくられ、その後歴史の変遷のなかで主を変えながら16世紀くらいまでハイランドの主要な城としてありました。14世紀にはスコットランド独立戦争の中心地でもあった場所。
城のとなりに広がるのはあの有名な「ネス湖」です。ネス湖って南北に細長くてとても大きい。
前庭には中世の復元武器が飾られています。これで大きな岩を要塞や城にぶつけ、壊したといいます。実際アーカート城だけでなくエジンバラ城やスターリング城など、この武器で壊されてきた歴史があります。(展示されているものはアメリカの映画で使うために作られたものを譲り受けたのだとか)
いまでは桟橋もあってのんびりしていますが・・・
ネス湖沿いだから安全。。。というわけじゃなく、湖から結構敵に襲われたらしいですよ。
廃墟になった城、毎年咲くであろう小さな花。
ネス湖、ネッシーには会えなかったけど(笑)静かで美しい湖です。
こんな「鳩小屋」があったのだそう。これは冬に城で使うタマゴや肉(鳩肉)になるということで大きかったらしいです。
廃墟ですが、結構観光客は多かったです。
こんな立派なお城がうち捨てられた数百年って、なんか悲しいですね。

さて、アーカート城を1時間ほど見たあとで、また車で北上。インヴァネスの街の手前で南下をはじめてすぐくらいに、「ジャコバイト軍」の最後の大きな戦いの場所になった「カロデン・ムーア」があります。(Wiki参照)

立派なビジターセンターも。スコットランドのひとには忘れてはいけない戦いとその場所なのだそう。
「知らなければただの野原に見えるだろう」と言われるカロデンムーア。ここで1時間もしないうちに2千人を超えるジャコバイトのひとたちが殺され、残りの負傷したひとたちも全員殺されたという説明書きがありました。
イングランド政府軍の病院にもなった小屋。
どんな風に布陣していたのか、実際にこの野原に旗が立てられています。
カロデンムーアには何本かの道があります。その道端にはこのとき戦死したクラン(氏族)の名前を記した石がぽつんぽつんとみられます。
この墓石には「Appinのスチュアート氏族」とあります。スチュアートといえばジャコバイトが掲げた正当なスコットランド王の血筋(悲劇の女王メアリーもスチュアート)だけども。
いろんなことが言われていますが、ジャコバイトとは色んな思想を持った人たちが「正当なスコットランド王の血をひく王を擁護したい」という「うっすら」とした共通意識で繋がっていたのだと思うんです。根っこは郷土愛。降り積もった歴史のいざこざが粘っこい足許の泥となって、ここまでの戦いを起こしたんじゃないかなぁ。。。
慰霊の塔。

カロデンムーアには沢山のひとが訪れていました。抑圧された時代とスコットランドの人々のいろんな想いがあるのだなと、無言になってしまいます。

特にこのカロデンの戦いのあと、政府軍は負傷者までも全員殺したと言われていて、指揮官だったウィリアム・カンバーランド公はButcher屠殺者と呼ばれたそうです。カンバーランド公によって「タータンの着用禁止」「ゲール語使用禁止」も出されたそうで、スコットランドのひとにとっては「屈辱」だったらしいですね。こうやってハイランドの文化は大きく廃れました。

イングランドも・・・ウィリアム・ウォレス(映画ブレイブハートの主人公として描かれている)を文字通り八つ裂きにしてグレートブリテン島の隅々(つまりスコットランドにも。)に晒すとか、スクーンの石(運命の石とも呼ばれる、スコットランド王戴冠式で使われていた石)を奪って持ち去ったり、タータン禁止とか・・・どうしてそこまで「一番いやなこと」をし続けたかなぁ。現代でもそういう人いるけど、「面子を潰される」と感じたひとは本当に容赦ないことをする。面子なんてさ、腹もふくれないし幸せにもならないのにね。

ハイランド地方にはそれ以外にも昏い歴史があって、スコットランドのひとたちには複雑な想いがある場所。イングランドが一方的に悪いとは言いませんが、人間というのは本当にこういうことをどれだけ繰り返していくのか・・・と思わずにはいられません。

3日目の午後のことはまた次に。

このイギリス・アイルランドの旅行記はリンクがこちらに全てまとめてあります。よかったら。


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